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2005年11月15日 | 2005年の美味しかった物ベスト3 |
2005年10月15日 | 詐欺師とガンマン |
2005年08月22日 | 蓼科平成17年夏の思い出 |
2005年07月21日 | セキュリティビジネス-Ⅱ |
2005年07月13日 | ついに自分も |
2005年06月03日 | セキュリティビジネス-Ⅰ |
2005年05月27日 | 久しぶりの研修 |
2005年05月16日 | 鵡川のししゃも |
2005年05月09日 | 残念なことですが |
2005年03月09日 | 福と安康(あんこう) |
2005年03月02日 | タバコの煙 |
2005年01月12日 | 2005年の始まり |
国内情報(2005年) | ||
2005年の美味しかった物ベスト3 | ||
2005年11月15日
まだ2005年も終わっておりませんが、つい最近「宮古島」にゴルフツアーに行き、何故か2005年の美味しかった物のベスト3を考える気になって書いてみました。まだこれから「旬の越前ガニ」を食べるツアーが有るので、変動があるかも知れませんが、福井に居たこともあり、ある程度想定ができます。自分が一般的に言うグルメとは思いませんが「六三亭」やよくテレビに出てくる名人のレシピなどにはあまり興味が有りません。生意気ですが、それらは菜材の域を出ていないと思ってます。 №2は、なんと宮古島で食した600円の「もずくの天ぷら」です。当然鬼もずくの種類で太いのですが、それがものすごく合うわけです。又、そのお店は経営理念(どういう訳か宮古島のお店にはそういう物を揚げているところが多いようです。)として、「余情残心」-心に残る価値作り-を看板としており、地元の家族でごった返しておりました。お店は「金吾」といい日本で初めてソーキそばを出したとのことです。 №3は、またまた宮古島で890円の宮古牛の「牛さし」です。久しぶりに食べた味で予約しないで行って1時間またされました。ここも家族連れでごった返しておりました。お店は炭火焼「焼肉屋」です。 昨年も宮古島に行ったのですが、全島が白いサンゴの砂に囲まれた、気温30℃前後と私の腰にとってはとても良い、しかもなかなかのゴルフ場が有ります。でもさすがに3日連続でやると4日目はやりたくなくなりました。でも沖縄本島より、又、他の南の島々よりは一番良いのではと思ってます。 今11月15日(火)朝4時です。なぜこんな時間にこんなことをしているかというと、昨日の朝、お風呂でギックリ腰になり、昼・夜がひっくり返って、暇なもので書いてます。たいしたことは無いのですが、随分久しぶりにギックリ腰になってしまいました。 おわり 追)今日は紀宮様のご結婚式でした、本当におめでとうございます。 | ||
詐欺師とガンマン | ||
2005年10月15日
ここ1年で一生に一度経験できないような人との出会いを経験しました。 今まで生きてきて結構人に騙されたり、嘘を使われたりして嫌な思いやまずいことを経験した人は多いと思います。又逆に良く言う「嘘も方便」で難局を乗り越えられたことも多いと思います。
今まで世に出て記憶というものが備わってから騙されたと思ったことは無かったのですが、つい最近初めて「詐欺師」という人種に当たりました。昔から「うそ」は「ドロボー」の始まりと言われてますが、正にそんな感じでした。多分彼は「うそ発見器」でも見つけられない程天才的詐欺師というか病気だったのだと思います。こちらも面接をして95%は駄目だけど5%に期待しようと思いました(又、そう思わせる雰囲気をつくるのです)。中途の人の採用は人材育成をアウトソーシングして来たツケを払う訳で、それなりのリスクは当然なのですが、今回は想定の範囲を大幅に超えてしまいました。
もう一人は明確な目的を持って悪役を排除し、一掃してしまうガンマンでした。そして新しい町へ移動する。昔良くアメリカのIT部門の人はガンマンに例えられることが多かったのですが、正にそのタイプでした。
しかしガンマンはガンマン。しっかりその詐欺師を殺して、ゆうゆうとブロードを去って行きました。もうあの詐欺師には会う事は無いと思いますが、いつか又、ガンマンが必要になる時もあると思ってます。 そんなこんなが有って、2005年は私の人生にとって、とても多くの教訓と新しい経験をさせてもらった年でした。(まだ進行系です)日々新しい人を採用しようと思って面接を毎日のようにしておりますが、この教訓を生かして行きたいと思っております。 おわり
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蓼科平成17年夏の思い出 | ||
2005年8月22日 昨年に引き続き蓼科に行ってきました。今回で3度目でなんとなく自分の田舎のようなイメージになって来ました。目的は、14匹の猫(チンチラ)とまだ3ヶ月になったばかりの兄妹のチワワ2匹に会うことでした。今回は初めて「三井の森のロッジ」に泊まることにしました。丁度ハイシーズンでもっとも高い料金でしたが、ゴルフとセットで少し安く泊まれたようです。 土曜日(8月6日)の混雑を予想して朝3時に起き、4時には家を出ましたが、あまりに順調で途中のパーキングで30分程時間を潰し、諏訪南のインターで降りて6時半には「三井の森ゴルフクラブ」に着き1番のりでした。クラブを降し、ゆっくりしようと思ったら携帯にメールとメッセージが残っており、「今何処」「朝食を食べに来なさい、スタートは10時20分ですよ」etc. ということで途中まで車で迎えに来てもらって、早々チンチラとチワワに面会することになった。 外のベランダで朝食をいただくが、空気がとてもおいしい。又、二人のチワワは本当にカワイク僕の掌に乗るくらいしかない。一緒に寝たら潰してしまいそうだ。まったく人見知りしないし、小さなしっぽを一生懸命ふってそばに来るのがなんとも言えない。これははまりそうだなとつくづく思う。
朝食に初めて「行者にんにく」入りのソーセージをいただいた。「ほんとに臭いのよ」と奥さんに言われたが他人が食べているとものすごく臭い。インターネットで日本国中おいしそうな食材を送ってもらっているとのことで驚いた。 今回はロッジにいたせいか、色々な案内や資料があり、蓼科から諏訪にかけては多くの温泉や美術館などが数多く存在することがわかった。おかげでロッジ際の康耀堂美術館にも行くことができた。 翌朝はすぐ近くの温泉「縄文の湯」へ9時に行く予定だったのに定休日であることがわかり、近くの「望岳の湯」に行った。とても清潔で人も少なくノンビリと1時間程入って「八ヶ岳の連山」を堪能した。真に「望岳の湯」であった。自分の田舎の富山の山々とはまったく異なる風貌だが、忘れかけてる田舎より、目の前の景色の方が良く思えるのは不思議だった。
11時頃にOさんご一家とこの温泉でおち会い今日の目的の「渡辺桐子」さんのご自宅に向かう。八ヶ岳南麓の川上村に2000坪の土地を購入し、日本で初めてレタスを漬物にした会社を興した有名な人で、今回初めてお会いしましたが、すっかりファンになってしまいました。現在「八ヶ岳南麓・川上村の野菜たち」という野菜パッケージを直送してくれてます。 渡部桐子さんのプロフィールとメッセージ
彼女は現在67歳、数年前に大火傷を負い桐鮨を辞め、その後脳梗塞も患うが現在は元気を取り戻し、川上犬3匹、猫2匹と一緒に生きている。彼女が生まれた樺太とこの川上の大地が似ているのがここに住む大きな理由とのことで、車に一杯の野菜と花と漬物をいただいた。 またまた心に残る2泊3日の蓼科ドライブ旅行でした。 おわり | ||
セキュリティビジネス-Ⅱ | ||
2005年7月22日 前にセキュリティについて書きましたが、自分の経験から、情報セキュリティビジネスについて述べてみたいと思います。 又、又、どんどん脱線してきましたが、私の経験からの情報セキュリティは、第1に説明責任です。だれが何をしたのか。のログを詳細に取り、違反者を早く見つける体制を作ることです。 第2は、セキュリティは運用がすべてだと言えます。導入して終わりでは何の価値も有りません。いつも運用改善できる体制作りが大切だと思います。
第3は、シンプルイズベストです。現在のアプリやネットワークは、昔のように一旦作ったら、当分手を入れませんというように、コンクリートで固めることは出来ません。そういう意味では、なるべく変化に対応出来るセキュリティシステムとすべきです。それがコストにも大きく影響すると思います。統合化と良く言われますが、その為セキュリティホールを大きくしては何の価値も有りません。
長々述べてきましたが、セキュリティは、2004~2005年が元年だったと思います。そういう意味では、これから新しい分野として企業内で定着させ、発展させていかなくてはならないと考えます。「開発は子供を作るのと同じ。運用は子供を育てること。どちらが楽しみかというと当然育てること」とよく言われますが、セキュリティを子供を育てるように長い年月をかけて、1人前のシステムとすることを義務として我々は頑張っていかなくてはいけないのです。なぜなら、子供は生まれてしまったのですから! おわり
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ついに自分も | ||
2005年7月13日 6月中旬の土曜日に、久しぶりにゴルフ場へ行くのを止めて、近くのプールに入り体調を整えようと思って9時半頃自宅を出たのですが、すぐ近くの交差点で停止していて、後から追突されてしまいました。こんな所でと思うような田舎の道でしたが、私の後ろに軽四が停まっていたのですが、それが何と2度も後ろからぶつかり、前と後ろがぐしゃぐしゃでした。犯人は、軽四の後ろにいたジャガーで、ほとんど傷も有りませんでした。私の車(BMのX5)も何ともなかったのですが、軽四に乗っていた中年女性は、首が傾いたままで、すぐ救急車に乗っていなくなってしまいました。 3台目の車を運転していた女性(これからアメリカに留学に行くと言っていた)が全責任を負うことになったのだけれど、大型の車に挟まれた軽四は見るも無残でした。BMの4つのマフラーの穴が軽四のボンネットに見事な4つの穴を開けておりました。 ぶつかった瞬間たいしたことは無いと思っていたのですが、元々弱点の右腰に痛みと左首が張る感じがありました。「むち打ち」は大変だと言われておりながら、たいしたことないと思っていたのですが、次の日、腰がかなり痛く(立っているとすぐ座りたくなる)又、左手の手のひら全体にしびれた感がありました。日曜日にあわてて救急病院へ行きましたが、腰・首ともレントゲンで異常無く、若い医者に「年相応の骨ですね。元々腰が悪いですね」なんて言われて、「痛みドメ」を4種類程もらいました。 今回の事故で、少し前から小回りのきく小型車(タウンカー)を買うつもりだったのが、やはりダメということになってしまいました。自分は絶対ブツけないと思っても、相手にブツけられる(X5で2回目)ことが大いに有り得るということです。もう1つとても頭にきたのが、ブツけた本人は、2日後に留学の為渡米するという。ブツけたヤツは「犯罪者」であり、保険が有るからなんていうのはまったくおかしいと思う。 皆さんもどこでとんでも無い災難に会うか分かりません。 おわり
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セキュリティビジネス-Ⅰ | ||
2005年6月03日 昨年から個人情報保護法で何かと騒がしい世の中になりましたが、セキュリティビジネスに係わって丸8年が過ぎました。8年前にいきなりある銀行のIT責任者より電話をいただき、相談したいことがあるので至急来てほしいというので翌朝1番に訪問する。 このユーザはすでにメガバンクの統合で名前も無くなったが、その当時は本社の地下に200台程の黒塗りのハイヤーを常備していた。 この話の少し前にPCの自動構成管理のソフトをUNIXサーバーのソフトの自動構成管理として収めた所だった。彼は自分を「Mr.○○Bankと呼んでくれ」という雰囲気で、「自分が決めた事はすべて通します(ります)」と言っていた。 相談は、アメリカの連銀で使用しているセキュリティツール(内部アクセスコントロール)を、日本で契約したいというものだった。納入場所はNY、ロンドンだが、日本で契約したいという。代理権を取ってくれたら即契約すると言ってくれた。本当はこの業界で有名なA社のP氏(アメリカ人)に頼むか姫野に頼むか迷ったのが…、という話だったので、半信半疑ながら、慌てて契約に行き成功。NYとロンドンに導入展開したのが、私の情報セキュリティとの初めての出会いでした。そんな意味で日本で初めての情報セキュリティツールを売ったのが自分だと思っています。 その後、なんとなくセキュリティについて気になりはじめ、アメリカのセキュリティ学会(CSI-Computer Security Institute)に出たり、展示会を見たりするようになりました。 でも日本では特別なユーザ以外「情報セキュリティ」に投資をすることはなかなか難しいようでした。ただ、アメリカの第1期のセキュリティビジネスの開花を見ることができ、良かったと思います。面白い会社がいくつかあったのですが、次々とM&Aにかかって行きました。当然ながらこの会社も例外でなく、4年間の間に3社に吸収され、大手のC社のツールとなってしまいました。この会社からは直接アメリカ本社と契約し、日本で販売してほしいとの話もいただきましたが、どう考えてもこういう会社だと無理だと判断して止めることにしました。 しかし一度たたいた門。しかも中に入ったので次のブロードのビジネスとして立ち上げたいと思うようになりました。ファイヤーウォール系はダメでも情報セキュリティ系は自分に向くと直感的に思っておりました。 UNIX・Windowsのアクセスコントロールをやったことで情報セキュリティの問題や製品特性がかなりわかるようになって来ました。又、HOSTやPCでも同じ問題があることも理解出来るようにもなって来ました。今から6年前にHOST系の情報セキュリティツールを、5年前にPC全体の暗号化ツールをラインアップ出来ました。各々の会社の社長達とは忘れられない思い出がいっぱいですが、考えてみるとどの製品も日本のお客様達のアイディアを頂戴したものばかりです。
ここ2年程で扱う品目ややり方が大きく変わった。 つづく
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久しぶりの研修 | ||
2005年5月27日 いつも人の為に何かをして人が喜ぶのが楽しみな性格なのだが、近頃、あまりに放電しすぎている気がして、思い切って日本IBMのエグゼクティブセミナーに申し込んだ。場所は中伊豆の天城。タイトルは「IBMが招く」オンデマンド・テクノロジー最前線。2泊3日のセミナーだが、すべて無料。これには驚いた。又、今までの参加メンバーにすべてナンバリングがされていて、姫野は94655番で有った。来年早々には、10万番台になるそうで、そのクラスは、すばらしい記念品がでるそうです?(日曜日の笑点みたいだ) 朝11時過ぎに家を車で出て、東名厚木→厚木小田原道路からタ-ンパイク経由伊豆スカイラインに乗る。5月の中旬で驚いたのは、山の頂上付近の馬酔木(あしび)の新芽が赤とオレンジで輝いていた。
世界のIBMでいまだにこのような施設を持っているのは、日本IBMだけだそうで、異文化の中に入ったエンタプライズ企業がいかに努力しているか良くわかった。スタッフも多く、相当なコスト負担となっていると思われる。(でも、実際はIBMユーザが支払っているので税金みたいなものか?)
日本企業の宴会や接待ではなく中身の有るセミナーが中心で、それを補う設備や食事、温泉と充実したスタッフ群。やはり、IBMという宗教なのだとつくづく考えさせられた。これはIBMの大きな実績の結果なのかもしれないが、とにかくこの場を維持・継続して来た人々の執念を感じさせるものだった。
世の中「刈り取り」だけで生きている人が多く、口をすっぱくして、「枝葉」の人生ではなく「幹」になる人生を送ってほしいと言うのですが、なかなか畑を耕すというか、長い時間をかけて、人と向き合うことは出来ないものだが、この「天城」では、会社を上げてこれに取り組んでいるのだと思う。そう言う意味では、ここで働く人々は「縁の下の力持ち」的で有り、大変だと思うのですが、ただただ頭が下がる気持ちでした。 以 上
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鵡川(むかわ)のししゃも | ||
2005年5月16日 5月の連休中に五稜郭と旭川の旭山動物園へ行って来ました。五稜郭の桜は陽当りの良い所だけ満開でしたが、タワーに登り、上からゆっくり見ることが出来ました。それにしても、たくさんの人人人。司馬遼太郎のエッセイ集「司馬遼太郎が考えたこと2」の新撰組みにも出てくるのですが、たまたま読んだり見たりするものが(壬生義士伝やNHKドラマ)、最後に五稜郭がテーマになっており、一度見たいと思っていました。でもあまりに周りが住宅地になっているせいか、頭の中に江戸末期のイメージが出て来ませんでした。 桜も、日当りが良い所のみ7部咲きと言った所でなんとなく「ワシントンの桜」を思い出したのでした。バスに乗って函館駅前の市場の「道南食堂」に急ぐことにいたしました。 入り口に数人ならんでいましたが席数は全部で15ぐらい。Mix丼がたくさん出ていたようだが、7~8人待って(10分程)座ることができた。店の入り口と内には所狭しと色々な有名人の写真などが飾られていた。
その後、路面電車に乗って市営温泉に入る。とても熱かったけど気持が良かった。でも初めて温泉のお湯もガランのお湯もあてがいぶち(水を入れない)なのにはびっくりした。 とても寒い日で空模様も怪しいせいか午後からどんどん人が減って来たようである。気がついたら、昼も取っていなかったので、入り口の隣に有った旭川味噌ラーメンを食べる。なかなか美味であった。バスは30分に1本しか無いのであわてて、乗り場に行くと一杯の人。何とか乗り込んだが、雨も降り始め雪が降るのではと思われる程寒い感じがした。 札幌にもどり「二条市場」の中の鮨屋に行った。 朝から曇り時々晴れで風が強く昼間でも5℃程しか無かったようですが、お昼に札幌市場の有名な場外市場に行くことにしました。これもとても楽しみにしていた場所です。
おわり
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残念なことですが | ||
2005年5月9日 ほんとに残念なことは、先日米国出張からもどり、1日人間ドッグに入り、ここ1年で4mmも身長が低くなっていることがわかったことでした。20才の頃は1m77cm有ったのに、なんと今回1m75cm7mmとなってるではないですか。医者は何とも言わず、「やあ良くこの肝臓、もってますね」「休アルコール日を作って下さい」と言うだけ。本人は、ここ毎年、体重が1kgづつ増えて来ていること以上に身長が減ったことにショックを受けています。 近頃、とみに体力が無くなって来て、プールに入って少し寒い日によく風邪をひくようになって来て、ここ1年ほとんどプールに行かなくなりました。そのせいか益々、体重が増えはじめて、定期的な運動をしようと思い大きなボールを買って来て、家にいる少ない時間にボールに乗ったり、背中を伸ばしたりしている。NHKのパワーヨガと自己流の体操を組み合わせたり、何かと身体を動かすようにしている。 同じ年令のカイロの医者から、「姫野さん、年を取ると、新陳代謝が悪くなるからどんどん太る。シャツの匂いを嗅いでも、昔程、臭くないよ」なんて言われる。残念だけどほんとなんだな~。なんとなく体力より精神力のほうがヨタって来ているような気がしているが、とにかく、今の内に食べたい物を食べ、飲みたい物を飲み、見たい物を見るとして、その合間に仕事をすることにしようと思う。そう思っている時に限ってややこしい話が出て来るような気がしている。 まあどちらにしても、なるようにしかならない人生であり、会社なのだけど自分の目の黒い内は自分の「ワガママ」というか「筋」を通して正直に生きたいと思う。 何となく昔、55才定年だった意味がわかるような気がして来た。56才になったアメリカでの誕生日が思い出されてしょうがない。あの日はひょっとして54才になったリターン記念日だったのではと密かに考えている今日この頃です。 おわり
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福と安康(あんこう) | ||
2005年3月9日 「毎年、冬の食の楽しみというと、福岡の「天然のトラフグ」と茨木の「あんこう」を食べに行くのを楽しみにしております。ここ何年か毎年行っているのですが、2月に福岡のいつも行っているお店の1つに行って来ました。このお店は40年近く中洲でやっているお店で「フグ」も美味しいのですが、自家製の明太子が何とも言えない味なのです。楽しみにしていたお母さん(85歳過ぎ)は風邪でお休みでしたが、息子さん(ほとんど私と同年?)の暖かいサービスが印象的でした。又、初めて食べた「あぶってかも・・・すずめ鯛の親戚で塩漬けを皮ごと焼いて食する・・・酒のツマミには最高の味でした。またくじらのウネも絶品でした。福刺しも東京と違いうまみが有り、しかも弾力が有り厚みも有りました。何度食べてもおいしいものです。
次の日は、腹ごなしを兼ねて、天神から西鉄で二日市まで行き電車で太宰府へ行って来ました。太宰府というと飛梅で有名ですが、驚いたのは、敷地内で点在する大きな楠木。1000年から1500年の大木がゴロゴロしていました。司馬遼太郎が書いた「まほろばの国」がすぐそばに有り、まさに日本のルーツと言った感激がありました。
この本郷に移った時も、司馬遼太郎の「本郷界隈」を見つけた時は、本当に嬉しかった。中味が濃く読むのに時間がかかるが、どんどん面白くなって行く。
ゴルフというと最近ケーブルテレビのゴルフチャンネルの「ゴルフアカデミー」を子守り歌(?)として良く見ているのですが、最近なる程と思うことがいくつか有りました。 おわり
以上 | ||
タバコの煙 | ||
2005年3月2日 「たばこの煙」というと昔は男女の間に有る、色っぽい物という感じがしておりましたが、特に紫煙となると、国内外問わずいいものでした。私も、東京に出てきてからずっと煙草を吸い続けており、会社に入って「マージャン」をやるようになってから、1日3~4箱も吸う極端なチェーンスモーカーとなってしまいました。寝床の頭の上、トイレ、バス、キッチン、ありとあらゆる所には灰皿がありました。中指と人差し指がいつもヤニで黄色くなっておりました。
その間、何度か禁煙をしようと思い、持っている煙草をゴミ箱に捨てたり、もらい「もく」にしたりしましたが、なかなか止められませんでした。しかし、ある時、会社を止めようと真剣に思い始め、別に「願」をかけたつもりでもなかったのですが、気楽に「煙草」をやめる気になってそれ以来、1本も吸ってません。
すでに禁煙して20年が過ぎましたが、丁度独立した頃から、アメリカで嫌煙権がうるさくなり、益々タバコから遠ざかったような気がします。ただ、だんだん他人が吸うのも嫌になって来ました。特に狭い会議室では、声が出なくなったりで、とても嫌な思いをしてます。 2月の初めに、支配人への意見箱に、少し大袈裟でしたが、コンプライアンス上 どうお考えなのか?他の名門練習場では、7:3か8:2で禁煙席が多い所も有り、文書で回答してほしいと書いたら、先日文書が郵送されて来た。どうも考えていることとやる事のギャップがかなりあるようで、これから1Fと2Fで8打席ずつ禁煙打席を作るとしていた。 個人的には、ゴルフはスポーツであるという認識を持っているのですが(ゴルフを始めて40年近くになります)スポーツである以上、お酒とかタバコと無縁のものであると思っています。こんな悪癖があるから、高いゴルフ税などがかけられてしまうのだと思います。USAでは、人前でお酒を飲むとか煙草を吸うことは、おおげさに言うと人権を問われかねないと思うのですが、自宅に帰ってから自分の好きなお酒を飲んだり、煙草を吸ったりする人は多いものです。(つい最近のテレビでも煙草の消費量NO.1は中国NO.2はUSAとのことでした。) 文章をいただいたこの支配人に以下のようなメールをしました。 文書での回答ありがとうございます。いろいろ手を打たれているようですが「けん山スポーツガーデン」はこの土地において重要な使命を帯びていると思います。是非、今後ともロイヤルティの高い人々が集える貴重な施設として、頑張っていただきたいと思います。(時代に即した変革を希望いたします) 私の気持は「時代を先取りした」と書きたかったのですが、とても残念です。5~6年前の雪のちらつくシカゴでのジャズやブルースのパブがものすごい「たばこの煙」だったのを急に思い出しました。今頃どうなったか見に行きたいものです。
おわり
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2005年の始まり | ||
2005年1月12日 年末の31日に娘「モモ」の9才の誕生日を祝う為に、いつもの文明堂のカステラを買いに行く。この日ばかりは、2人の娘達も1切ずつカステラをもらう。相変わらず「リンゴ」は手で切ってやらないと食べようとしない。本当に中型犬にしてはめずらしいと思う。又、夏からはじめたダイエットの効果があがり、12kgを超えていたのが9kgを切るようになった。女らしく(?)腰がくびれて来て、散歩でもしっかり歩けるようになって来た。医者に言われた通りの食事の注意がずいぶんきいているのに驚かされる。Input=Outputの法則?通りで、自分を振りかえるといつも3~4kgオーバーなので意思の弱さを痛感する。 2004年は「災」の年だったようで、ちょうど12/26からサイパンに行っていて、現地で津波のニュースを知る。観光では無くゴルフ目的だったので難をのがれられたのかもしれない。12/20頃にひいた風邪が最近ようやく治ったような気がする。年末不義理した飲み屋のママから、「年いくと、風邪が治るのに時間がかかります。良いお年を!」なんて、携帯メールが入っていた、真にその通りでした。でも今年は長引くような気がしています。何か寒さにだんだん弱くなって行くように思うのですが、皆さんはいかがでしょうか? サイパンから帰った翌日31日は、午後から雪となり、見る見る積もって行きました。近くの坂道では、タイヤが古い車や馬力の無い車が右往左往して横スベリしておりました。 新年の乾杯の酒を買って来いといわれて、すぐ近くに有るもともと酒屋のコンビニに行く。運良く魚沼産の「八海山」が有り、早々と決めて家へもどる。コーギーの「リンゴ」はこんな時に雪の中を大はしゃぎで飛び回っている。ダックスのモモは、ホットカーペットの上にかけて有る毛布にもぐりこんでピクリとも動かない。何となくほっとする歳の暮れでした。 新年に神戸地震のその後の特集をやっていた。10年経った今、弱者救済が叫ばれる中、だんだん暗闇に消えて行く人々にスポットを当てていた。その中で特に気になったのが自分の母と同じ80才の1人暮らしの女性であった。震災でご主人を亡くすが、10才の日本犬チビとの2人3脚で生き延びてきたが、4年前16才でその最愛のチビが亡くなり、この時の落ち込みは、お父さん(亡くなったご主人)の比ではなく、それから半年以上、人に会うことも出来ず、ただただ時間だけが過ぎて行ったというドキュメンタリーであった。お父さんに本当に申し訳ないと思いながら、どうしようもなかったとのこと、幸にも今は立ち直って元気な姿でテレビに写られていた。 お正月にいつも行く神社が2つ有るのですが、そこで毎年「おみくじ」を引いていつも大吉が出ているのに説明文章の内容が今いちだった記憶が残っているのです。ところが、今回初めて最初の神社で小吉、次が末吉で、今年は「フンドシ」(失礼!)を締め直さなくてはと思いを新たにしました。(多分生まれてこのかた初めてではと考えています。当然厄払い神社では凶が出ますが)
2005年は2000年のスタートの「礎の年」となってほしいものです。売上とか利益も大切ですが、1つ1つ「良い仕事」をするような会社となり、世の中で必要な会社として認められるよう今年も努力して行きたいものです。読者(?)の皆様も今年が本当に良い年となるようお祈りしております。 おわり |