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Topics国内 2005年
2005年11月15日
2005年の美味しかった物ベスト3
2005年10月15日
詐欺師とガンマン
2005年08月22日
蓼科平成17年夏の思い出
2005年07月21日
セキュリティビジネス-Ⅱ
2005年07月13日
ついに自分も
2005年06月03日
セキュリティビジネス-Ⅰ
2005年05月27日
久しぶりの研修
2005年05月16日
鵡川のししゃも
2005年05月09日
残念なことですが
2005年03月09日
福と安康(あんこう)
2005年03月02日
タバコの煙
2005年01月12日
2005年の始まり

 
国内情報(2005年)
2005年の美味しかった物ベスト3

2005年11月15日  

まだ2005年も終わっておりませんが、つい最近「宮古島」にゴルフツアーに行き、何故か2005年の美味しかった物のベスト3を考える気になって書いてみました。まだこれから「旬の越前ガニ」を食べるツアーが有るので、変動があるかも知れませんが、福井に居たこともあり、ある程度想定ができます。自分が一般的に言うグルメとは思いませんが「六三亭」やよくテレビに出てくる名人のレシピなどにはあまり興味が有りません。生意気ですが、それらは菜材の域を出ていないと思ってます。
まあ能書きはどうでもいいのですが、兎に角自分で食べて「これは」と思えればよいと思ってます。最近富に酒が弱くなっているので、前のようにどこの日本酒とかワインとか等々は、残念ながら触れないようにしてます。
だんだん前書きが長くなりましたが、まず№1は大塚の駅近くで32年やっているフグ専門店「米作」です。随分前から人に連れられて行っていたのですが、昨年末から自分のお金で行くようになって、あてがいぶち(フグコース)でご馳走になっているのをお店の女将と話しながらお勧めを頼むようになって確か今年の2月頃に食べた「ふぐ刺し」と「あん肝」です。少し厚みが有り、甘味のあるしっかりしたふぐに、蒸したての熱くとけそうなあん肝をくるんで食するのです。「ふぐ刺し」4000円「あん肝」1800円ですが、これは食さなければわからない味です。
又、「ひれ酒」1500円ですが、ひれが一般なひれとまったく違い、「注ぎ酒」500円を2~3回頼んでもまったく問題有りません。東京のふぐは高いので、大阪や福岡まで行ってこれから3月まで楽しむのですが、この店は人に教えたくない店の一つです。

№2は、なんと宮古島で食した600円の「もずくの天ぷら」です。当然鬼もずくの種類で太いのですが、それがものすごく合うわけです。又、そのお店は経営理念(どういう訳か宮古島のお店にはそういう物を揚げているところが多いようです。)として、「余情残心」-心に残る価値作り-を看板としており、地元の家族でごった返しておりました。お店は「金吾」といい日本で初めてソーキそばを出したとのことです。

№3は、またまた宮古島で890円の宮古牛の「牛さし」です。久しぶりに食べた味で予約しないで行って1時間またされました。ここも家族連れでごった返しておりました。お店は炭火焼「焼肉屋」です。

昨年も宮古島に行ったのですが、全島が白いサンゴの砂に囲まれた、気温30℃前後と私の腰にとってはとても良い、しかもなかなかのゴルフ場が有ります。でもさすがに3日連続でやると4日目はやりたくなくなりました。でも沖縄本島より、又、他の南の島々よりは一番良いのではと思ってます。

今11月15日(火)朝4時です。なぜこんな時間にこんなことをしているかというと、昨日の朝、お風呂でギックリ腰になり、昼・夜がひっくり返って、暇なもので書いてます。たいしたことは無いのですが、随分久しぶりにギックリ腰になってしまいました。
今週は土・日を休養日とし、ゴルフも何もしなかったのが返って悪かったのかも知れません。これで、2005年のゴルフは終わりです。(でも12月に4回行く予定です)
どなたか美味しい物を紹介していただくか、連れて行ってくださいませんか?
連絡をお待ちしております。

おわり 

追)今日は紀宮様のご結婚式でした、本当におめでとうございます。


詐欺師とガンマン

2005年10月15日  

ここ1年で一生に一度経験できないような人との出会いを経験しました。
一人は詐欺師、一人はガンマンでした。

今まで生きてきて結構人に騙されたり、嘘を使われたりして嫌な思いやまずいことを経験した人は多いと思います。又逆に良く言う「嘘も方便」で難局を乗り越えられたことも多いと思います。
実際金銭面のことが有れば数値としていつまでも頭に残っていることになると思いますが、近頃は人の言ったことの真意を掴みさえできれば言葉の問題とか声の大きさなどはあまり気にならなくなって来ました。基本的に性善説で人を見てあげようという気持ちでずっと来ている訳です。(ほとんどの企業や日本人は同じでは無いでしょうか?)

今まで世に出て記憶というものが備わってから騙されたと思ったことは無かったのですが、つい最近初めて「詐欺師」という人種に当たりました。昔から「うそ」は「ドロボー」の始まりと言われてますが、正にそんな感じでした。多分彼は「うそ発見器」でも見つけられない程天才的詐欺師というか病気だったのだと思います。こちらも面接をして95%は駄目だけど5%に期待しようと思いました(又、そう思わせる雰囲気をつくるのです)。中途の人の採用は人材育成をアウトソーシングして来たツケを払う訳で、それなりのリスクは当然なのですが、今回は想定の範囲を大幅に超えてしまいました。
最初からお金にルーズだったり、家庭環境が複雑であったり夜の活動(下半身)が先行しがちな人は怪しいと言われておりましたが、正にその通りでよくわかりました。
後からわかったことですが、客先のメールを大切なところを直して関係部署に送り「うそ」の上に「うそ」を重ねておりました。
PC上にはその記録が歴然と残っておりました。6/20の決算に売り上げると言っていたことは全て「うそ」だと後でわかりましたが会社のルールで売り上げ伝票の発行をされないものと入金日が明確になっていないものは計上しないので、実害はありませんでした。いくつかの会社には、フライング営業でご迷惑をかけたようですが、それもすぐ関係修正され、彼はブロードから1ヶ月でまったく消えてしまいました。
個人的には折角去年子供が生まれてとにかく5%の確率でも良いから彼を何とかしてやりたかったのですが、欠勤のままなので懲戒免職処分にしました。少しかわいそうな気もしましたが、次の会社で同じことをしないようにお灸を据えたつもりです。こういう人達の病気を治す病院はないものでしょうか?

もう一人は明確な目的を持って悪役を排除し、一掃してしまうガンマンでした。そして新しい町へ移動する。昔良くアメリカのIT部門の人はガンマンに例えられることが多かったのですが、正にそのタイプでした。
とても優秀で与えられた事はきっちり終わらせてしかも成功させることができるのでした。
西部劇で良く見るガンマンと同じで、ある程度自分の満足した仕事をすると、何事もなかったように移って行くのです。絶対的に自分のエリアを決め、その中から出てこないのでした。
入社して、すぐわかったのは自分で自分のオリを作り、そこから出て来ない(来れない)というのがすぐわかりました。何とかそこから出て欲しいと思ったのですが、結局は徒労に終わってしまいました。

しかしガンマンはガンマン。しっかりその詐欺師を殺して、ゆうゆうとブロードを去って行きました。もうあの詐欺師には会う事は無いと思いますが、いつか又、ガンマンが必要になる時もあると思ってます。
詐欺師もさる者で、しっかり次の職を得て何食わぬ顔をして働いていると風の便りで聞きました。

そんなこんなが有って、2005年は私の人生にとって、とても多くの教訓と新しい経験をさせてもらった年でした。(まだ進行系です)日々新しい人を採用しようと思って面接を毎日のようにしておりますが、この教訓を生かして行きたいと思っております。

おわり 

 

蓼科平成17年夏の思い出

2005年8月22日 

昨年に引き続き蓼科に行ってきました。今回で3度目でなんとなく自分の田舎のようなイメージになって来ました。目的は、14匹の猫(チンチラ)とまだ3ヶ月になったばかりの兄妹のチワワ2匹に会うことでした。
今回は初めて「三井の森のロッジ」に泊まることにしました。丁度ハイシーズンでもっとも高い料金でしたが、ゴルフとセットで少し安く泊まれたようです。
土曜日(8月6日)の混雑を予想して朝3時に起き、4時には家を出ましたが、あまりに順調で途中のパーキングで30分程時間を潰し、諏訪南のインターで降りて6時半には「三井の森ゴルフクラブ」に着き1番のりでした。クラブを降し、ゆっくりしようと思ったら携帯にメールとメッセージが残っており、「今何処」「朝食を食べに来なさい、スタートは10時20分ですよ」etc.
ということで途中まで車で迎えに来てもらって、早々チンチラとチワワに面会することになった。
外のベランダで朝食をいただくが、空気がとてもおいしい。又、二人のチワワは本当にカワイク僕の掌に乗るくらいしかない。一緒に寝たら潰してしまいそうだ。まったく人見知りしないし、小さなしっぽを一生懸命ふってそばに来るのがなんとも言えない。これははまりそうだなとつくづく思う。

朝食に初めて「行者にんにく」入りのソーセージをいただいた。「ほんとに臭いのよ」と奥さんに言われたが他人が食べているとものすごく臭い。インターネットで日本国中おいしそうな食材を送ってもらっているとのことで驚いた。
「今日泊まって行きなさい」というのを2泊だったことも有り、無理やりロッジに泊まったので、朝一番のご夫妻の暖かいおもてなしに深謝深謝。
久しぶりのゆっくりとして、又ボリューム満点の朝食をいただいたが、スタートまでまだかなり時間があるので、1人ゴルフ場へ戻り練習することにする。あまり寝ていないこともあり、横になったら寝てしまいそう。
今日、明日の2回のレンチャンゴルフは大変楽しみにしておりましたが、グリーンの難しさを忘れていて、(八ヶ岳を背にしてものすごく早い)スコアーは3パットの連続で散々でした。(91.89)
本当にゴルフのスコアーにはいつも泣かされます。

今回はロッジにいたせいか、色々な案内や資料があり、蓼科から諏訪にかけては多くの温泉や美術館などが数多く存在することがわかった。おかげでロッジ際の康耀堂美術館にも行くことができた。

翌朝はすぐ近くの温泉「縄文の湯」へ9時に行く予定だったのに定休日であることがわかり、近くの「望岳の湯」に行った。とても清潔で人も少なくノンビリと1時間程入って「八ヶ岳の連山」を堪能した。真に「望岳の湯」であった。自分の田舎の富山の山々とはまったく異なる風貌だが、忘れかけてる田舎より、目の前の景色の方が良く思えるのは不思議だった。

11時頃にOさんご一家とこの温泉でおち会い今日の目的の「渡辺桐子」さんのご自宅に向かう。八ヶ岳南麓の川上村に2000坪の土地を購入し、日本で初めてレタスを漬物にした会社を興した有名な人で、今回初めてお会いしましたが、すっかりファンになってしまいました。現在「八ヶ岳南麓・川上村の野菜たち」という野菜パッケージを直送してくれてます。

  渡部桐子さんのプロフィールとメッセージ
(風の栖からの贈り物)を引用いたします。

  彼女は現在67歳、数年前に大火傷を負い桐鮨を辞め、その後脳梗塞も患うが現在は元気を取り戻し、川上犬3匹、猫2匹と一緒に生きている。彼女が生まれた樺太とこの川上の大地が似ているのがここに住む大きな理由とのことで、車に一杯の野菜と花と漬物をいただいた。
天涯孤独の彼女が自分の歴史を語っている姿を見て、たまたま今回眼にした福沢諭吉の「あたかも一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」を地で行った人だと思った。
末永いご健康とビジネスの発展を心からお祈りしたいと思います。

またまた心に残る2泊3日の蓼科ドライブ旅行でした。

おわり 

 
セキュリティビジネス-Ⅱ

2005年7月22日  

前にセキュリティについて書きましたが、自分の経験から、情報セキュリティビジネスについて述べてみたいと思います。
基本的に各会社の考え方や個性によって異なるのは当り前ですが、日本の会社は、まだ自分の会社は良い人の集まりとして考えており、人に疑いを持ったり監査して追跡調査することが少ないようです。権利と義務(責任)として各自の仕事にテレビカメラを入れることは当然だと思うのですが、そんなことはする必要が無いと思っている人が多いようです。
とにかくどこかのSIerかメーカにやらせておけというのが本音のような気がします。
確かにセキュリティは、日本文化になじまない感がありますが、近頃さかんに議論されている上場会社としての様々な問題に似ていると思うのです。上場企業は、説明責任を負わされている訳です。
そういう意味では、絶対に性善説とか性悪説とかなんて言ってられない訳です。上場と非上場会社の社会的責任は大きく違ってくるのは当然で、少し前までは、アメリカのほとんどの友人達がI.P.O云々と言っていたのが、極端にトーンダウンしてます。「会社はだれのものか?」とよく言われますが、自分達で「ベンチャー企業」を起したオーナー達は根源をを問われているのです。
お金の為にガムシャラに働き、気がついたら、1人になっていた。何の為の人生だったのだろうと考えない人間はいないと思います。そういう意味では、「会社」という意義を問われているのではなく、「人」としてどう生きるかが、根本的に問われているような気がしてなりません。

又、又、どんどん脱線してきましたが、私の経験からの情報セキュリティは、第1に説明責任です。だれが何をしたのか。のログを詳細に取り、違反者を早く見つける体制を作ることです。

第2は、セキュリティは運用がすべてだと言えます。導入して終わりでは何の価値も有りません。いつも運用改善できる体制作りが大切だと思います。

第3は、シンプルイズベストです。現在のアプリやネットワークは、昔のように一旦作ったら、当分手を入れませんというように、コンクリートで固めることは出来ません。そういう意味では、なるべく変化に対応出来るセキュリティシステムとすべきです。それがコストにも大きく影響すると思います。統合化と良く言われますが、その為セキュリティホールを大きくしては何の価値も有りません。
1メーカや1ベンダーにこだわらず、適材適所で良いツールや方法論を使いこなしたほうが良いと思います。
よくIT部門の企画担当者は機能比較とか将来性などを中心に調査される方が多いのですが、たくさんの機能を入れると、企業活動が出来なくなって運用もできなくなってしまいます。新システムの開発とリリースの失敗の事例に似ているかもしれません。結局、中途半端な形で終ってしまうことが良くあるような気がします。結局、担当者が変わるまでなんとなく我慢して過ぎて行くようです。

長々述べてきましたが、セキュリティは、2004~2005年が元年だったと思います。そういう意味では、これから新しい分野として企業内で定着させ、発展させていかなくてはならないと考えます。「開発は子供を作るのと同じ。運用は子供を育てること。どちらが楽しみかというと当然育てること」とよく言われますが、セキュリティを子供を育てるように長い年月をかけて、1人前のシステムとすることを義務として我々は頑張っていかなくてはいけないのです。なぜなら、子供は生まれてしまったのですから!

おわり 

 

 

ついに自分も

2005年7月13日  

6月中旬の土曜日に、久しぶりにゴルフ場へ行くのを止めて、近くのプールに入り体調を整えようと思って9時半頃自宅を出たのですが、すぐ近くの交差点で停止していて、後から追突されてしまいました。こんな所でと思うような田舎の道でしたが、私の後ろに軽四が停まっていたのですが、それが何と2度も後ろからぶつかり、前と後ろがぐしゃぐしゃでした。
犯人は、軽四の後ろにいたジャガーで、ほとんど傷も有りませんでした。私の車(BMのX5)も何ともなかったのですが、軽四に乗っていた中年女性は、首が傾いたままで、すぐ救急車に乗っていなくなってしまいました。
3台目の車を運転していた女性(これからアメリカに留学に行くと言っていた)が全責任を負うことになったのだけれど、大型の車に挟まれた軽四は見るも無残でした。BMの4つのマフラーの穴が軽四のボンネットに見事な4つの穴を開けておりました。

ぶつかった瞬間たいしたことは無いと思っていたのですが、元々弱点の右腰に痛みと左首が張る感じがありました。「むち打ち」は大変だと言われておりながら、たいしたことないと思っていたのですが、次の日、腰がかなり痛く(立っているとすぐ座りたくなる)又、左手の手のひら全体にしびれた感がありました。日曜日にあわてて救急病院へ行きましたが、腰・首ともレントゲンで異常無く、若い医者に「年相応の骨ですね。元々腰が悪いですね」なんて言われて、「痛みドメ」を4種類程もらいました。
日が経つにつれて、腰は治りましたが、首は、ますますバランスがくずれていくようで、夕方や朝には「この首なんとかしてくれ」と言いたいような感じでした。それでも、保険会社が親切で、いつも行っているカイロの医者の治療を認めてくれたので、首もだんだん良くなってきているようですが、20日程経つのに、首を下げて文字を書いていると、すぐ首が張ってきてしまいます。
一般的に治るのに3~6ケ月かかるというのは本当なのかもしれません。

今回の事故で、少し前から小回りのきく小型車(タウンカー)を買うつもりだったのが、やはりダメということになってしまいました。自分は絶対ブツけないと思っても、相手にブツけられる(X5で2回目)ことが大いに有り得るということです。もう1つとても頭にきたのが、ブツけた本人は、2日後に留学の為渡米するという。ブツけたヤツは「犯罪者」であり、保険が有るからなんていうのはまったくおかしいと思う。
警察に言っても取り上げもしないので、直接本人に電話して、苦言を呈しておいた。こんなヤツらは、アメリカのように1ケ月間道路の清掃をするとかして、絶対に、社会的償いを皆の前で果たすべきと思う。交通事故は「犯罪」という位置づけを社会的に認めてほしいとつくづく思った瞬間でした。

皆さんもどこでとんでも無い災難に会うか分かりません。
今まで、安全を最優先にした車選びをしているのに、「自分の身は自分で守る」がつくづく基本だと思い知らされたのでした。  

おわり 

 

 

セキュリティビジネス-Ⅰ

2005年6月03日  

昨年から個人情報保護法で何かと騒がしい世の中になりましたが、セキュリティビジネスに係わって丸8年が過ぎました。
8年前にいきなりある銀行のIT責任者より電話をいただき、相談したいことがあるので至急来てほしいというので翌朝1番に訪問する。
このユーザはすでにメガバンクの統合で名前も無くなったが、その当時は本社の地下に200台程の黒塗りのハイヤーを常備していた。
この話の少し前にPCの自動構成管理のソフトをUNIXサーバーのソフトの自動構成管理として収めた所だった。彼は自分を「Mr.○○Bankと呼んでくれ」という雰囲気で、「自分が決めた事はすべて通します(ります)」と言っていた。
相談は、アメリカの連銀で使用しているセキュリティツール(内部アクセスコントロール)を、日本で契約したいというものだった。納入場所はNY、ロンドンだが、日本で契約したいという。代理権を取ってくれたら即契約すると言ってくれた。本当はこの業界で有名なA社のP氏(アメリカ人)に頼むか姫野に頼むか迷ったのが…、という話だったので、半信半疑ながら、慌てて契約に行き成功。NYとロンドンに導入展開したのが、私の情報セキュリティとの初めての出会いでした。そんな意味で日本で初めての情報セキュリティツールを売ったのが自分だと思っています。

その後、なんとなくセキュリティについて気になりはじめ、アメリカのセキュリティ学会(CSI-Computer Security Institute)に出たり、展示会を見たりするようになりました。 でも日本では特別なユーザ以外「情報セキュリティ」に投資をすることはなかなか難しいようでした。ただ、アメリカの第1期のセキュリティビジネスの開花を見ることができ、良かったと思います。面白い会社がいくつかあったのですが、次々とM&Aにかかって行きました。当然ながらこの会社も例外でなく、4年間の間に3社に吸収され、大手のC社のツールとなってしまいました。この会社からは直接アメリカ本社と契約し、日本で販売してほしいとの話もいただきましたが、どう考えてもこういう会社だと無理だと判断して止めることにしました。

しかし一度たたいた門。しかも中に入ったので次のブロードのビジネスとして立ち上げたいと思うようになりました。ファイヤーウォール系はダメでも情報セキュリティ系は自分に向くと直感的に思っておりました。

UNIX・Windowsのアクセスコントロールをやったことで情報セキュリティの問題や製品特性がかなりわかるようになって来ました。又、HOSTやPCでも同じ問題があることも理解出来るようにもなって来ました。今から6年前にHOST系の情報セキュリティツールを、5年前にPC全体の暗号化ツールをラインアップ出来ました。各々の会社の社長達とは忘れられない思い出がいっぱいですが、考えてみるとどの製品も日本のお客様達のアイディアを頂戴したものばかりです。
特につい最近契約したUNIX/Linuxの証跡管理ツールは忘れられません。それは最初に話をしたツールがC社に移った後に面白いツールがあることがわかって、5年程前からアプローチしていたのですが、なかなかアポを取れなかった。ところが、2年前 日本のT社の副社長と話をしていたら、証跡管理の良いツールがほしいと言う。「ありますよ」と言ったら、「すぐ持って来い」というので「今のT社の問題を図にしてアメリカに持って行って良いか」と聞くと「O.K.だ」というので、さっそくアメリカの代理人にアポを取らせたら、O.K.の返事。取る物もとりあえずアメリカに行き契約をすることに成功した。
それも最初の会社の製品が良くわかっていたことが、ものすごく役立った。この会社の社長は10数年前に日本にいたことがあり、日本でよく言う「水と空気と安全」はただ。を地で行く人で日本では、絶対にセキュリティツールなどは売れないと思い込んでいたとのこと。
又、現在競合とされる(実際は違うのだが)C社の製品について姫野が知っていたことも大きな決め手となった。
又、その後Windows系の情報セキュリティツールは、複数の日本のメーカーと提携することにより、上から下まで一貫したソリューションを持つことが出来るようになった。

ここ2年程で扱う品目ややり方が大きく変わった。
会社のビジネスモデルが進化したような気がしています。又、続々と若く能力有る人々が入ってくれてとても嬉しい毎日が続いています。
今は、このセキュリティモデルを進化させることに注力したいと思っています。意識有る企業のセキュリティレベルを上げ続けることが、企業の大きな責任で有り、それを支え続けられるように多くの人に世話になりながら社会に貢献できれば、これ程ブロード冥利につきるものはないと思うのです。

つづく 

 

 

久しぶりの研修

2005年5月27日  

いつも人の為に何かをして人が喜ぶのが楽しみな性格なのだが、近頃、あまりに放電しすぎている気がして、思い切って日本IBMのエグゼクティブセミナーに申し込んだ。場所は中伊豆の天城。タイトルは「IBMが招く」オンデマンド・テクノロジー最前線。2泊3日のセミナーだが、すべて無料。これには驚いた。又、今までの参加メンバーにすべてナンバリングがされていて、姫野は94655番で有った。来年早々には、10万番台になるそうで、そのクラスは、すばらしい記念品がでるそうです?(日曜日の笑点みたいだ)

朝11時過ぎに家を車で出て、東名厚木→厚木小田原道路からタ-ンパイク経由伊豆スカイラインに乗る。5月の中旬で驚いたのは、山の頂上付近の馬酔木(あしび)の新芽が赤とオレンジで輝いていた。
昔(50年ほど前)田舎の庭にあっためずらしく大きな木を思い出した。高山植物というか、寒い所の木というか(植木屋は寒藤と言っていた)たくさんあちこちに有り、IBMの天城の庭にもたくさん有った。
 中伊豆の山の背に近い所に有り、東側には大島のある海が広々と有り、西側には駿河湾を一望し、北側には富士が静かに立っているようなロケーションであった。その北側の庭にはショートコースが2ホール有り(バンカーも)アプローチの練習には最適のようだった。
 食事はすべてパレスホテルが請け負っており、とても無料のセミナーとは思えない格式の有る料理だった。特にスープは2日間手間暇をかけただけあり、シェフが自慢するだけの味だった。

世界のIBMでいまだにこのような施設を持っているのは、日本IBMだけだそうで、異文化の中に入ったエンタプライズ企業がいかに努力しているか良くわかった。スタッフも多く、相当なコスト負担となっていると思われる。(でも、実際はIBMユーザが支払っているので税金みたいなものか?) 日本企業の宴会や接待ではなく中身の有るセミナーが中心で、それを補う設備や食事、温泉と充実したスタッフ群。やはり、IBMという宗教なのだとつくづく考えさせられた。これはIBMの大きな実績の結果なのかもしれないが、とにかくこの場を維持・継続して来た人々の執念を感じさせるものだった。
 セミナーは13人だったが、これだと皆親しくなるだろうと思われる設定だった。それはIBMユーザ会のセミナーでも参加者に必ずアテンドするIBMメンバーが多くいるのだが、ここでは特に食事を終えた後の懇親会には、2人に1人の割でIBMの人がいるのには驚かされるし、さすがと思う反面、何か外資なのに最も日本的文化を吸収し、発展をさせていると思うのでした。

世の中「刈り取り」だけで生きている人が多く、口をすっぱくして、「枝葉」の人生ではなく「幹」になる人生を送ってほしいと言うのですが、なかなか畑を耕すというか、長い時間をかけて、人と向き合うことは出来ないものだが、この「天城」では、会社を上げてこれに取り組んでいるのだと思う。そう言う意味では、ここで働く人々は「縁の下の力持ち」的で有り、大変だと思うのですが、ただただ頭が下がる気持ちでした。
 最後の日も早く温泉に入り「インフラ整備」が会社にとっていかに大切かをしみじみ考えさせられたセミナーでした。帰りの伊豆スカイラインの新緑と赤い山つつじの花、白いこぶしや馬酔木の花と名もわからない草木に見送られて充分に満足して帰って来ました。何か久しぶりに充電され、改めてやる気になった研修でした。    
 

以 上 

 

鵡川(むかわ)のししゃも

2005年5月16日  

 5月の連休中に五稜郭と旭川の旭山動物園へ行って来ました。
五稜郭の桜は陽当りの良い所だけ満開でしたが、タワーに登り、上からゆっくり見ることが出来ました。それにしても、たくさんの人人人。司馬遼太郎のエッセイ集「司馬遼太郎が考えたこと2」の新撰組みにも出てくるのですが、たまたま読んだり見たりするものが(壬生義士伝やNHKドラマ)、最後に五稜郭がテーマになっており、一度見たいと思っていました。でもあまりに周りが住宅地になっているせいか、頭の中に江戸末期のイメージが出て来ませんでした。
桜も、日当りが良い所のみ7部咲きと言った所でなんとなく「ワシントンの桜」を思い出したのでした。バスに乗って函館駅前の市場の「道南食堂」に急ぐことにいたしました。

入り口に数人ならんでいましたが席数は全部で15ぐらい。Mix丼がたくさん出ていたようだが、7~8人待って(10分程)座ることができた。店の入り口と内には所狭しと色々な有名人の写真などが飾られていた。
うに丼や身欠き鰊の煮物、カレイの煮付けなどを食べた。だれも飲んでおらずもくもくと食べていた。お酒と聞くと無いという。ああ残念と思ってたらビールは有ると言う。回りを見渡すと本当にだれも飲んでいない。でも思い切ってビール(大ビン)をたのむ。にしんはなつかしい味がしてとても良かったのですが、他のものは、まずくは無いがこれはすごいという味ではなかった。基本的に丼物があまり好きでは無い(お腹がふくれるとお酒が飲めないので嫌いなだけなのです)ことも有りますが、めし家の範疇だと思ったのだけれど、皆様も是非一度お試し下さい。

その後、路面電車に乗って市営温泉に入る。とても熱かったけど気持が良かった。でも初めて温泉のお湯もガランのお湯もあてがいぶち(水を入れない)なのにはびっくりした。
まだ時間が有るので、路面電車に乗り途中で降りて喫茶店に入り、素晴らしい抹茶に出会う。古いレンガ倉庫を改造したお店郡を通り、海に出る。その磯臭いこと。何か昔来たことがある雰囲気を味わう。函館駅へ路面電車でもどり、特急に乗って札幌に向う。何と4時間程かかるのに、改めて北海道の大きさを感じる。(先程、昔世話になった人から電話があり、札幌へは飛行機で行くのが一般的と聞く)今回はレンタカーを借りず(お昼からお酒を飲みたい為というかおいしい肴類で飲まずにおれないだろうと思って)バスと電車をベースにしたノンビリした旅で札幌までビール1本、日本酒2合を飲む。(駅の売店で旭川の男山の1合ビンを売っていた。これは北海道だけという花柄のコップ酒だった。東京でも売れば良いのにと思う)
夜9時近くなったのであわててタクシーに乗り、2年前に行った生肉のジンギスカンの店「めんよう亭」へ行く。前回は生肉4人前と生ビール5杯をたいらげ、そのあと時計台のラーメンまで食べに行った。今回は、生肉3人前、生ビール4杯でホテルにもどった。何か年をとったようでがっかりだが、生肉の味は変わってなかったり、お店を切盛りしているオーナーのおばさんも元気だった。
翌日、札幌駅から10時の特急で楽しみにしていた旭川の旭山動物園に向う。旭川からバスに乗る。前回の函館空港→五稜郭もそうだが、直通バスでは無く路線バスしか無い。たくさん人が乗るのにもう少し考えてくれたら便利なのにと思う。着いたのはお昼を回っていたが、とにかくものすごい人人人。どう見ても動物の数十倍の人の数である。
お目当てのあざらし館は、すでに相当に人の列。人気のところはどこもすごい列である。
この動物園は「動物が人を見る」ように設計されていると言われて、今、超人気である。
(動物の種類も少なく田舎の動物園なのに本当にこの人気はすごいものだ。人間、信念を持ってちょっとした工夫しだいでこんなに変わる良い例だと思う。)
10数年前にサンディエゴ動物園に行ったことを思い出した。その時初めて、見る人の目線に合わせ見せる窓を多く作ってあったのを思い出した。とにかく大きな動物園だったが、今だに「カバのプール」を覚えています。何とプールの一方が大きなガラスになっていて、カバの大きなお尻が丸見えなのです。

とても寒い日で空模様も怪しいせいか午後からどんどん人が減って来たようである。気がついたら、昼も取っていなかったので、入り口の隣に有った旭川味噌ラーメンを食べる。なかなか美味であった。バスは30分に1本しか無いのであわてて、乗り場に行くと一杯の人。何とか乗り込んだが、雨も降り始め雪が降るのではと思われる程寒い感じがした。

札幌にもどり「二条市場」の中の鮨屋に行った。
5月は北奇貝のシーズンだということで、少しずつ地の魚を中心に出してもらった。
日本酒の熱燗3合と生ビール一杯を飲む。サービスも良く値段も手頃でしたが、並といった所ですが。
季節柄しょうがないのかもしれません。
降っていた雨も上がり、どんどん寒くなってくようでした。

朝から曇り時々晴れで風が強く昼間でも5℃程しか無かったようですが、お昼に札幌市場の有名な場外市場に行くことにしました。これもとても楽しみにしていた場所です。
たくさんのお店が有り、たまたま入ったお店のお上さんと親しくなり、アドバイスをしてもらう。ここでも熱燗2合とビール1本を飲む。最高に美味しかったのは、茹で上げの毛ガニの甲羅に蟹の身を入れ、ミソとかき回して食べたことだった。こんなにダイナミックに暖かい身とミソの相性がいいとは思わなかった。北海道を満喫した気分だったが、ここでもお酒を飲んでいるのは、1人であった。
ここのお上は、ずいぶんテレビに出ているようだが、そんなそぶりも見せず、自分が食べたい物が有るという。それは、日高の近くの「鵡川(むかわ)の天然ししゃも」の刺身だそうである。
これで次回の北海道の目標は決まった。
水上の古い旅館がやっている「鮎のたたき」のイメージが浮んでくる。
是非次回はピンク色のししゃもの刺身を食べる旅に出たいと思う。

おわり 

 

残念なことですが

2005年5月9日  

 ほんとに残念なことは、先日米国出張からもどり、1日人間ドッグに入り、ここ1年で4mmも身長が低くなっていることがわかったことでした。20才の頃は1m77cm有ったのに、なんと今回1m75cm7mmとなってるではないですか。医者は何とも言わず、「やあ良くこの肝臓、もってますね」「休アルコール日を作って下さい」と言うだけ。
本人は、ここ毎年、体重が1kgづつ増えて来ていること以上に身長が減ったことにショックを受けています。
近頃、とみに体力が無くなって来て、プールに入って少し寒い日によく風邪をひくようになって来て、ここ1年ほとんどプールに行かなくなりました。そのせいか益々、体重が増えはじめて、定期的な運動をしようと思い大きなボールを買って来て、家にいる少ない時間にボールに乗ったり、背中を伸ばしたりしている。NHKのパワーヨガと自己流の体操を組み合わせたり、何かと身体を動かすようにしている。
同じ年令のカイロの医者から、「姫野さん、年を取ると、新陳代謝が悪くなるからどんどん太る。シャツの匂いを嗅いでも、昔程、臭くないよ」なんて言われる。残念だけどほんとなんだな~。なんとなく体力より精神力のほうがヨタって来ているような気がしているが、とにかく、今の内に食べたい物を食べ、飲みたい物を飲み、見たい物を見るとして、その合間に仕事をすることにしようと思う。そう思っている時に限ってややこしい話が出て来るような気がしている。
まあどちらにしても、なるようにしかならない人生であり、会社なのだけど自分の目の黒い内は自分の「ワガママ」というか「筋」を通して正直に生きたいと思う。
何となく昔、55才定年だった意味がわかるような気がして来た。56才になったアメリカでの誕生日が思い出されてしょうがない。あの日はひょっとして54才になったリターン記念日だったのではと密かに考えている今日この頃です。

おわり 

 

 

福と安康(あんこう)

2005年3月9日  

 「毎年、冬の食の楽しみというと、福岡の「天然のトラフグ」と茨木の「あんこう」を食べに行くのを楽しみにしております。ここ何年か毎年行っているのですが、2月に福岡のいつも行っているお店の1つに行って来ました。このお店は40年近く中洲でやっているお店で「フグ」も美味しいのですが、自家製の明太子が何とも言えない味なのです。楽しみにしていたお母さん(85歳過ぎ)は風邪でお休みでしたが、息子さん(ほとんど私と同年?)の暖かいサービスが印象的でした。又、初めて食べた「あぶってかも・・・すずめ鯛の親戚で塩漬けを皮ごと焼いて食する・・・酒のツマミには最高の味でした。またくじらのウネも絶品でした。福刺しも東京と違いうまみが有り、しかも弾力が有り厚みも有りました。何度食べてもおいしいものです。

次の日は、腹ごなしを兼ねて、天神から西鉄で二日市まで行き電車で太宰府へ行って来ました。太宰府というと飛梅で有名ですが、驚いたのは、敷地内で点在する大きな楠木。1000年から1500年の大木がゴロゴロしていました。司馬遼太郎が書いた「まほろばの国」がすぐそばに有り、まさに日本のルーツと言った感激がありました。
そこから電車に乗ってJR二日市まで行き、歩いて地元の温泉へ行きました。3軒の温泉が温泉らしく無く固まっていました。「御前の湯」ではなく「博多の湯」というかけ流しの湯として、つい最近新しくなった所へ入るが、10人も入れば一杯の湯であった。胃腸にいいようで、鉄分が多い色をしたお湯に何度か浸る。バスは1時間に1本しか無く、それに合わせて、目の前のバス停で待つ。西鉄で天神まで戻って来た。久しぶりに時間を忘れてノンビリした時間を過ごした。今、司馬遼太郎に凝っているせいか、楽しくてしょうがない。現在、日経新聞から毎週出ている雑誌も含め、3種類程同時に読んでいる。戦後間もない頃は、何となく内田百聞に似ているような気がする。時代背景がそうなのか、こちらの意識過剰かわからないが、面白いと思う。後2年は楽しめそうだ。

この本郷に移った時も、司馬遼太郎の「本郷界隈」を見つけた時は、本当に嬉しかった。中味が濃く読むのに時間がかかるが、どんどん面白くなって行く。
こちらへ移ってから、その本を200冊は色々な人に配ったと思う。読まなかった人も多いのだと思うが、お1人この本をもらったおかげで、全部読んだ(街道を行く)方がいらっしゃった。本当に世の中には素晴らしい人がいるもんだと思う。
自分の喜びとか面白かったことを人に伝える時、本の場合はとても簡単で、その本をたくさん買って配る訳です。その人その人ですべてが異なると思うのだけれど、それを無理して言ったり聞いたりしなくて良いのが、とても嬉しい。しかも1冊が500円玉なのが良い。
でも、本を配るなと言われるととてもつらい気がする。ぜんぜん知らない人々と何か感じるものを共有していられるなんて、ワクワクしませんか?つい最近読んだ「薇色のイストワール」ちょっと長いのです(本が重たい)が、戦中から戦前の文化をささえて来た人々が、日本の社会的構造の中に有るという感じがしてとても面白かった。是非御一読下さい。
話はドンドンそれていきますので、これくらいにしますが、実は安康(あんこう)は3月初旬にいつも茨木に行ってます。又、2月には「大島の金目鯛」を伊東に食べに行くのが恒例です。毎年毎年行く所が増えて来てめんどくさくなって来る時もあるのですが、やはりその場所へ行って一口入れると、来て良かったといつも思うのでした。昔の人は季節季節の旬を大切にしていたのがわかるような気がします。
こんなことばかりしているせいかゴルフの腕はゼンゼン上がりません。腰が悪いことは何度も書きましたが、やはりお墓に入るまで、直ることはないようです。ただ、近頃体調が悪くなったり、無理したりすると、すぐ腰が敏感に反応してくれるので、それ以上無理しなくなりました。健康のバロメーターとして役に立っているのです。

ゴルフというと最近ケーブルテレビのゴルフチャンネルの「ゴルフアカデミー」を子守り歌(?)として良く見ているのですが、最近なる程と思うことがいくつか有りました。
アメリカのゴルファー、特にトッププロ達は、人格とかゴルフ道みたいなことを良く言うのですが、最初は個人により違うのだろう。彼は素晴らしいのだなんて思っていたのですが、ジュニアの大会の番組を見ていたら、ゴルフが終わってから必ずセミナーを受けなければならず、その中にどのようにインタビューに答えるべきかというプログラムがあり、例えば自分のスポンサーに将来ナイキがなってくれたら、どのようなインタビューの回答が良いかなどといって具体的テーマでスピーチの練習をしていた。なる程な~あ!
又、最近問題?になっている「相撲」の国際化ですが、あるテレビで、モンゴル相撲の昨年の優勝者がなんと中国のレスリング界にスカウトされているのが報道されていた。(日本と中国の力比べ?)
アメリカの大リーグでは、すでに英語は共通語では無いのは常識である。
グローバル化というのは、世界の中心として魅力ある国創りが大切で、人・物・金が集まってくる所でなければいけない。なんとか日本も開かれた楽しい国として、生き残ってほしいと思うのです。
そんな意味で我々がやるべきことは、終わりが無くまるでパスカルのフーセンのように増えて行くのだと思います。そんな中、これから2005年の春を迎える訳ですから、楽しみが一杯です。
ほんとに話がそれてすみません。

おわり 

追) ブロードの設立記念日は「女の子の日」の3月3日です。
やっと(?)丸18年が過ぎ19年目を迎えることになりました。今思うとほんとに色々な人にお世話になって来たと思うのですが、自分を大切にと言うと誤解されるかと思うのですが「自分自身に嘘をつかない」を身上として来た結果、まだ生き残っているのではないかと近頃思うことしきりです。私を指導(?)してくれる大先輩達は「もうけそこなったヤツ」とか「変なヤツ」とか言って色々な人を紹介してくれてます。確かにお金に縁の無い人生だった(失礼まだ先があります)なあとつくづく感心してますし、よく考えると断った仕事も多かったなあ、それを許してくれた方々もたいしたもんだと改めて思い直しております。

以上  

 

タバコの煙

2005年3月2日  

 「たばこの煙」というと昔は男女の間に有る、色っぽい物という感じがしておりましたが、特に紫煙となると、国内外問わずいいものでした。私も、東京に出てきてからずっと煙草を吸い続けており、会社に入って「マージャン」をやるようになってから、1日3~4箱も吸う極端なチェーンスモーカーとなってしまいました。

寝床の頭の上、トイレ、バス、キッチン、ありとあらゆる所には灰皿がありました。中指と人差し指がいつもヤニで黄色くなっておりました。

その間、何度か禁煙をしようと思い、持っている煙草をゴミ箱に捨てたり、もらい「もく」にしたりしましたが、なかなか止められませんでした。しかし、ある時、会社を止めようと真剣に思い始め、別に「願」をかけたつもりでもなかったのですが、気楽に「煙草」をやめる気になってそれ以来、1本も吸ってません。
18年目にして、瓢箪の蓋が取れたような感覚でした。
外に出て、外も捨てたもんでないな~あと思い、改めて、中にもどる気は無くなったようなものです。確かに外に出て身体が大きくなって元にはもどれないようなもんなのです。

すでに禁煙して20年が過ぎましたが、丁度独立した頃から、アメリカで嫌煙権がうるさくなり、益々タバコから遠ざかったような気がします。ただ、だんだん他人が吸うのも嫌になって来ました。特に狭い会議室では、声が出なくなったりで、とても嫌な思いをしてます。
又、私の自宅の近くに東急電鉄が経営している「東急けん山スポーツガーデン」というゴルフ、テニス、フットサルの大きなスポーツ施設があり、練習中のタバコと携帯に悩まされていました。若い人がうるさく携帯したりする時は直接注意したりしましたが(最近は若い人がほとんどいなくなりました)、タバコはいかんともしがたいのでした。何度も「意見箱」に書いたのですが、2年程前にやっと1階の隅に4席だけ禁煙打席を作ってくれましたが、近くで吸う人がいると何の価値も無いのでした。

2月の初めに、支配人への意見箱に、少し大袈裟でしたが、コンプライアンス上 どうお考えなのか?他の名門練習場では、7:3か8:2で禁煙席が多い所も有り、文書で回答してほしいと書いたら、先日文書が郵送されて来た。どうも考えていることとやる事のギャップがかなりあるようで、これから1Fと2Fで8打席ずつ禁煙打席を作るとしていた。

個人的には、ゴルフはスポーツであるという認識を持っているのですが(ゴルフを始めて40年近くになります)スポーツである以上、お酒とかタバコと無縁のものであると思っています。こんな悪癖があるから、高いゴルフ税などがかけられてしまうのだと思います。USAでは、人前でお酒を飲むとか煙草を吸うことは、おおげさに言うと人権を問われかねないと思うのですが、自宅に帰ってから自分の好きなお酒を飲んだり、煙草を吸ったりする人は多いものです。(つい最近のテレビでも煙草の消費量NO.1は中国NO.2はUSAとのことでした。)

文章をいただいたこの支配人に以下のようなメールをしました。

文書での回答ありがとうございます。いろいろ手を打たれているようですが「けん山スポーツガーデン」はこの土地において重要な使命を帯びていると思います。是非、今後ともロイヤルティの高い人々が集える貴重な施設として、頑張っていただきたいと思います。(時代に即した変革を希望いたします)

私の気持は「時代を先取りした」と書きたかったのですが、とても残念です。5~6年前の雪のちらつくシカゴでのジャズやブルースのパブがものすごい「たばこの煙」だったのを急に思い出しました。今頃どうなったか見に行きたいものです。

おわり  

 

 

2005年の始まり

2005年1月12日 

年末の31日に娘「モモ」の9才の誕生日を祝う為に、いつもの文明堂のカステラを買いに行く。この日ばかりは、2人の娘達も1切ずつカステラをもらう。相変わらず「リンゴ」は手で切ってやらないと食べようとしない。本当に中型犬にしてはめずらしいと思う。又、夏からはじめたダイエットの効果があがり、12kgを超えていたのが9kgを切るようになった。女らしく(?)腰がくびれて来て、散歩でもしっかり歩けるようになって来た。医者に言われた通りの食事の注意がずいぶんきいているのに驚かされる。
Input=Outputの法則?通りで、自分を振りかえるといつも3~4kgオーバーなので意思の弱さを痛感する。

2004年は「災」の年だったようで、ちょうど12/26からサイパンに行っていて、現地で津波のニュースを知る。観光では無くゴルフ目的だったので難をのがれられたのかもしれない。12/20頃にひいた風邪が最近ようやく治ったような気がする。年末不義理した飲み屋のママから、「年いくと、風邪が治るのに時間がかかります。良いお年を!」なんて、携帯メールが入っていた、真にその通りでした。でも今年は長引くような気がしています。何か寒さにだんだん弱くなって行くように思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?

サイパンから帰った翌日31日は、午後から雪となり、見る見る積もって行きました。近くの坂道では、タイヤが古い車や馬力の無い車が右往左往して横スベリしておりました。 新年の乾杯の酒を買って来いといわれて、すぐ近くに有るもともと酒屋のコンビニに行く。運良く魚沼産の「八海山」が有り、早々と決めて家へもどる。コーギーの「リンゴ」はこんな時に雪の中を大はしゃぎで飛び回っている。ダックスのモモは、ホットカーペットの上にかけて有る毛布にもぐりこんでピクリとも動かない。何となくほっとする歳の暮れでした。

新年に神戸地震のその後の特集をやっていた。10年経った今、弱者救済が叫ばれる中、だんだん暗闇に消えて行く人々にスポットを当てていた。その中で特に気になったのが自分の母と同じ80才の1人暮らしの女性であった。震災でご主人を亡くすが、10才の日本犬チビとの2人3脚で生き延びてきたが、4年前16才でその最愛のチビが亡くなり、この時の落ち込みは、お父さん(亡くなったご主人)の比ではなく、それから半年以上、人に会うことも出来ず、ただただ時間だけが過ぎて行ったというドキュメンタリーであった。お父さんに本当に申し訳ないと思いながら、どうしようもなかったとのこと、幸にも今は立ち直って元気な姿でテレビに写られていた。
年末にも北海道にいた「むつごろう」さんが東京八王子にメインを移転する時に語っていたが、「人間(犬)はどこかで犬(人間)を一生の友として選んだ!」正にその通りだ!と自分が犬好き(犬バカ)であることを誇り?に思うのでした。

お正月にいつも行く神社が2つ有るのですが、そこで毎年「おみくじ」を引いていつも大吉が出ているのに説明文章の内容が今いちだった記憶が残っているのです。ところが、今回初めて最初の神社で小吉、次が末吉で、今年は「フンドシ」(失礼!)を締め直さなくてはと思いを新たにしました。(多分生まれてこのかた初めてではと考えています。当然厄払い神社では凶が出ますが)
そのせいか、1月から入社の者が病気で入院したり、海外から帰ってこられなかった人もいて、前途多難を思わせています。これでウィンタースポーツでケガをして入院したりする人が出てきたら、会社の近くの神社にオハライをしてもらわないといけないなんて思って7日に友人と飲んでいたら「姫野さん、今年は儲かる証拠だよ。今までずっと儲かっていなかったのだから!」とお褒めいただいたので、変な気持でありました。遅れて来た人が払うルールなのに、なぜか早く来た自分がカード払いしていました。(ヤラレタ!)

2005年は2000年のスタートの「礎の年」となってほしいものです。売上とか利益も大切ですが、1つ1つ「良い仕事」をするような会社となり、世の中で必要な会社として認められるよう今年も努力して行きたいものです。読者(?)の皆様も今年が本当に良い年となるようお祈りしております。

おわり  

 



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