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Topics国内 2010年
2010年12月27日
2010年至福の1年
2010年12月22日
91歳からの手紙
2010年11月15日
トップセールスマンの3Kとザッポス
2010年11月09日
さよならガイモン
2010年11月04日
ビジョナリーカンパニー③「衰退の五段階」を読んで
2010年11月01日
口福無限―草野心平を読んで
2010年10月22日
息子が増えました
2010年10月10日
美浦トレーニングセンターへ行ってきました
2010年08月31日
ガイモンの卒業式
2010年08月09日
初めてのホールイン・ワン・・・嬉しさも半分
2010年08月06日
猛暑の妙薬
2010年07月27日
ハワイ見ずして・・・2
2010年07月23日
ハワイ見ずして・・・1
2010年07月06日
目覚まし時計の要らない朝
2010年06月22日
柄谷行人「意味という病」
2010年06月18日
柿の花が咲かない年
2010年06月14日
コンピュータ運用を考える会20周年記念
2010年05月10日
大落馬
2010年03月29日
宮古馬に会いに行って来ました
2010年03月19日
管理50周年記念フォーラム
2010年03月08日
伊丹の白雪へ行って来ました
2010年02月23日
冬の佐渡へ行って来ました
2010年02月22日
久しぶりの鹿児島
2010年01月15日
強羅温泉に行って来ました

国内情報(2010年)
2010年至福の1年

2010年12月27日

後数日で2010年も終わり2011年を迎えようとしています。
今年程個人として充実していた年はなかったような気がします。
トピックベスト3は、
①初めてハワイに行きタートルベイリゾートで4日間連続のゴルフをやった事。
②大阪の堺で初めてホールインワンをした事。
③オーストラリアから乗用馬を購入した事。
特に③番のレクター号は姫野の休日の生活と硬い体を一変させてくれた。
仕事で朝5時に起きるのは嫌なものですが、ゴルフや釣などは寝ないでもそのまま行けるのですが、毎休日となると結構つらい。
それでも「訳有りリンゴ」一箱50個入りを1500円でネットで買って大好物のリンゴを食べさせるのがとても楽しみなのです。
(最初は1個丸ごと与えていたのですが、今は100円ショップで包丁とまな板を買い、リンゴを6つに切り、種とオシリを取ってやり与えてます。回りからただ笑われているだけですが、少しでも身体に良いものを与えたいと思う一心からです)
馬の胃に良いと聞いたので大根も朝一番で食べさせたり、大根や株の葉っぱのイキの良い物を食べさせたりして、少しでも元気で今年の冬を乗り越えてもらいたいと考えてます。
オーストラリアの冬から又、日本の冬になって体毛がどうなるのかとても気になってます。
(現在はまだ夏毛です)
努力が実っているのか最近は食欲も出てとても元気になってきました。
良く見てみると自分が馬でないと思っているようで、隣に馬が来ると蹴飛ばす程ではないのですが、軽く脚を上げて嫌な顔をする。
とにかくガサガサと音がしたり、ビニール袋を見るとすぐに頭を突っ込んで食べようとする。
又、何か欲しい時は犬のように人間の手や服を見境もなく舐め回す。
今までは歯が当たることが無かったのに時々甘噛みをするようになってきた。
基本的には大人しく人懐こいのでクラブの人々に可愛いと言われるのがとても嬉しい。
超大型犬のようで誠に満足な訳です。
まだまだ乗りこなすまで行ってませんが来春には超大型犬と遊んでいる姿を皆様にお見せしたいと思います。
2010年至福の時も後もう少しで終わりですが、来年はレクター号を連れて避暑に1ヶ月程行ってみたいと夢を見ています。
必ずや正夢になると信じて今年の終わりにしたいと思います。
(追 日経BPの「ディグニオ心技体-心と体を鍛えるエグゼクティブたち-」2011/1/07発行のネット雑誌にも姫野が載っているはずです。当然レクター号と一緒です。)

年だけは ただで取れると ババが言う
金無くて 暇が有っても 年は取る
大病院 金で買えない 命だけ
朝早く 馬と分け合う 傷リンゴ
ガラス越し 強い光が 春告げる
ラーメンを 解禁させる 冬嵐
カレンダー 渡すと年が 又増える
一年を 思い起こせば 至福時
人生は 悩み考え 道同じ

良いお年をお迎えください。

オワリ

91歳からの手紙

2010年12月22日

いよいよ2010年も終わりの時を迎えようとしていますが、姫野個人として本当に「至福の時」の連続の年でした。
とくに息子のレクターとの出会いは、今までの生活のリズムを大きく変えてくれた。

   

   

   

   

又、ホームページで2007/11/05に書いた「88歳の青春」の永嶺榮子さんから12月中旬お手紙を頂いた。
姫野のホームページを読んで今年91歳になられた永嶺さんから姫野の川柳の評価とコメントを頂いたのにびっくり。
又、その文体の素晴らしい事と若い文章にさらにびっくり。
その手紙を以下に載せさせていただきます。

来年がどのような年かわかりませんが精一杯努力して楽しい一年にしたいと思います。

サラリーマン

忘れてる 確認の一字 地獄かな
確認が 天国地獄の 境界線    
メモ取り魔 いつ見る時間 有るのやら    
地頭を 良くする方法 神だのみ
駄目社員 貧乏神と 親戚か
無駄酒を 飲めば人生 下り坂
平目族 なりきれないのが サラリーマン
文字消そう サラリーマンを 日本から
真面目さと ちょい悪持った 良い社員
ブロードは ちょい悪社員で 生き残る

道

この道を 引き返せぬ 進むのみ
だんだんと 光輝き 道終わる
先見えぬ この細い道 渡るのみ
停まる程 消えそな道を 今渡る
ふり返りゃ 石になる道 歩くのみ
もうすでに 何も要らない 今の道

 

オワリ

 

トップセールスマンの3Kとザッポス

2010年11月15日

昔から電通は面白い会社と言うイメージが強いのですが「鬼の十訓」とか、標語や駄洒落の類は数知れず、ブロードを作った時にもすぐ「ブロードと素人の差見せます」なんて作られてしまった。
最近ばかばかしいお付き合いをする人が極端に減ってしまったのは本当に残念な事です。
そんな中電通の若手からTop営業が持っている3Kと言うのを聞いたが面白いと思いご披露いたします。
Top営業の3Kの内「かわいい」、「かっこいい」はすぐわかるのですが、3番目のKはなかなか当たらないし、わかり難い。
でも姫野は「東京・大阪コンピュータ運用を考える会」などでよく経験していた。
色々なお願いをたくさんの方に事務局としてお願いしていて、よく自分でも言えたなぁと思うときもあるのですが、事務局としては当然と思い切ってお願いしている。
そういう時ほとんどの方々はOKをしてくださるのだが、その時必ず言われるのが「ここで断ると姫野さんがお困りになるだろうから」であった。

皆さんお分かりになりましたか?
3つ目のKは「かわいそう」なのだそうです。
最後のKだけ見ると姫野もTopセールスの基準に入っている事になります。(アハハ・・・!)

営業の真髄をご披露ついでにサービス業の原点についても紹介させていただきます。
以前ホームページで「ザッポスの奇跡」を紹介いたしましたが、アマゾンに吸収されてどうなったかとても気になって、その気持ちを抑えられずに今週月曜日に著者の石塚さんに以下のメールをしたら水曜日にご丁寧なメールを頂いたので紹介させていただきます。

◆姫野が突然出したメール
 前略 石塚さん失礼かと思いましたが初めてメールを差し上げました、 ブロードの姫野と申します。
ブロードは海外のニッチなIT運用の製品を日本で販売サポート
している会社で、来年25年目を迎えます。
(個人のホームページは署名に書いてあります)
今年3月に偶然「ザッポスの奇跡」を書店で見つけ大変楽しく 読ませていただきました。
もし宜しければ一つ教えてほしいのです。
ザッポスはアマゾンに吸収されて今後はどのようになるのでしょうか? (なったのでしょうか?)
IT業界では買収されると今まで小さくて良い企業でもその文化が 消えてしまう所が多いと思います。
12月に新しい本がダイヤモンド社から出るようですが、石塚さん にも興味もありメールしてしまいました。
新しい本を読めと言うことであればこのメールはご放念ください。
大変失礼かと思いましたが、自分の興味に勝てずメールをして しまいました。
取り急ぎお詫び方がたご連絡まで

草々

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
㈱ブロード 代表取締役 姫野惠悟
tel03‐5803-9061 
HomePage;http://www.boke.co.jp
&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
  
◆石塚さんからの丁寧なメール 
 

姫野様
ご連絡ありがとうございます。
拙著をお読みいただき、光栄です。

ご質問の件ですが、アマゾンによる買収時の絶対条件として ザッポスが提示したのは、「買収後も、
ザッポスを独立した単体として運営する」ということです。
また、アマゾンとザッポスは、
「最高の顧客エクスペリエンス」という共通の企業使命、
そして似通った価値観をもっています。
ザッポスには月に一度くらいの割合で
足を運んでいますが、企業文化の面で
変化や衰えは見られません。
この辺の事情については、私のブログにも
書いていますので、もしよろしければご覧ください。
http://www.dyna-search.com/j/book/?page_id=155

ちなみに12月にダイヤモンド社から出版される本は
私は関与していませんが、CEOの人となりを垣間見ることのできる本だと思います。

また、12月中旬くらいに私の本の改訂版が出版される
予定です。
今後ともよろしくお願いします。
石塚  

本当に知らない人を知る喜びに勝るものは有りません。石塚さんに感謝感謝です。

オワリ

さよならガイモン

2010年11月09日

最初に1年間調教したラン・オブ・ハピネスは最近たくさん仕事をするようになって来てとても喜ばれている。
性格がとても温厚で噛んだり蹴ったりしなくて人懐っこい。
ただレクターと顔を合わせた時はもすごい形相で歯をむき出して怒っていた。
それに較べガイモンは甘噛して人の前腕にアザを作ったり、鳴き声を上げながら前後に飛び上がって人を振り落としたりしてなかなか素人の人を乗せる事が出来なかった。
ただしレクターと顔を合わせた時は静かに何かを話していた。
本当に気が小さくて何か有るとすぐにビビるのが直らないようであった。

8月にガイモンの調教が終了してから暫くしてガイモンは外乗用として売られるかもしれないと言われた。
このクラブでずっと繋がれたままいるよりのびのびと外乗に出た方が良いと姫野個人は思っていた。
暫く話も無くなったのかと思っていたらいきなり明日クレイン金沢に出される事となったと指導員から説明があった。
クラブに行く度に人参を持って「ガイモン」と近くで呼ぶと必ず姫野に向かって歩いてきた。
そしてじっと姫野を見つめてわかっているようだった。
だんだん冬毛が伸びてきて厚い毛布のような身体になって来た。
お別れに調馬索で30分程運動をさせたが、暫く乗られてないのか大暴れした。
最初に油断していてガイモンの右後脚で思い切り姫野の左足のすねを蹴られた。
ガイモンは蹄鉄を後脚にしてなかったのが幸いして、軽い打撲で済んだ。
家へ帰って良く見ると右前腕にガイモンの甘噛の痕が1つ残っていた。
最後までしっかり仕事をして思い出を残してくれた。
外乗の仕事が出来ないと又東京クレインに戻されるような話でしたができれば金沢の海岸をのんびり走って一生を終わって欲しいと思うのです。

少し寂しくなりましたが、レクターに集中して乗馬の自分の技術を上げたいと思います。
出発の前の日に撮ったガイモンの写真です。

   

   

   

ガイモンの 忘れられない 優しい目
千里浜を 楽しく駆ける ガイモン号
千里浜を 我が物顔で 駆け抜ける

オワリ

ビジョナリーカンパニー③「衰退の五段階」を読んで

2010年11月04日

レクター(義理の息子)が乗馬クラブに来てから土、日、月と朝5時に起きる習慣が出来ました。
土、日は朝5時40分に家を出て5時55分にクラブに着いて6時過ぎからレクターに乗ったり世話をしてやったりして10時頃には自宅に戻れるようになり、土、日の自分の時間がとても多くなって来ました。(以前は午後2時~3時頃に家に帰ってました)
月曜日は会社に7時頃までに行く事にしているので6時少し前に家を出ています。

そんな訳で10月中旬頃からゆっくり風呂に入って本を読む習慣が戻って来て、早いと土日で1冊、少なくても週2冊は読めるようになって来ました。
昔程たくさん読むことは出来ませんが、楽しみながら様々なジャンルの本を読めるようになって来てます。

今回ご紹介する「ビジョナリーカンパニー③」はジェームズ・C・コリンズのビジョナリーシリーズの「①時代を超える生存の原則」、「②飛躍の法則」に続く第3作目に当り、今年7月に日本語訳が出されたものです。
付録と原注を除くと200頁程なので結構簡単に読めますので是非お勧めしたいと思います。
内容はある程度のビジネスマンで有れば常識的な事も多いのですが、アメリカの歴代の大手企業の盛衰をうまく分析しています。
実例を交えた「衰退の5段階」は「相関であって因果関係」ではないと言っているが、最後の第5段階から蘇る企業も少なからずいるのが面白い。

又、作者が
-「偉大な企業への飛躍の道を探るより今回のテーマ(衰退の過程)は法則をつかむのがはるかに難しい」と妻にこぼした。
すると妻はトルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭を読んでみれば、と勧めた。
「幸せな家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違っている」-

と言う部分だ。がとても印象深かった。
こんな奥様を持ったご主人はうらやましくも有り、大変だろうと思えるので有る。

この本で自分が感じたのは我々が常日頃から知っている大企業であれ、中小企業であれ、まして個人であれ、「衰退の5段階」に当てはまる物が多いに有ると言う事です。
逆に言うと「蘇るチャンス」を教える物でも有るという事です。

寒雨が 冬の衣に 着替えさす
初雪と 台風が来る 変な国
酒に負け 仕事も出来ぬ 駄目社員
年じゃない 頭の回転 悪すぎる
いつからか 負け犬と呼ばれ 吠えるのみ
現金が 会社の命 握ってる
レクターは リンゴの時だけ 下僕面

 

オワリ

口福無限―草野心平を読んで

2010年11月01日

蛙の詩人で有名な草野心平の「口福無限」を読んで似たような人は本当に居るものだとつくづく感心してしまった。
とは言っても中国に移り、終戦後無一文から人生をやり直したエネルギッシュな筆者の足元にも及ばないのは当然なのですが、昭和の大詩人でありながら居酒屋「火の車」を自ら開店し、それを5年で潰した後、居酒屋風バー「学校」を共同出資でやるなどした変わり者の話です。

とても読み易く料理方法なども載っていて大変面白いのです。
その中で草野が料理の哲学と言っているのが「ドンヨク」と「ゼイタク」と「ケチ」なのです。
これにはとても説得力も有り納得できるのでした。
さすがに生きた山椒魚や沢蟹は食べたいと思わないのですが、日々の疲れを取るには最高の一冊だと思います。
特に「ノンベイ」と「ツマミ系」の人には是非お勧めです。

人間は 何とかなるさで 生き残る
いつまでも 人が恋しい 時となる
レクターと モモに囲まれ 至福時
レクターに 足を踏まれて 跛引く
人生の 最後を飾る レクター号
いつの日か 騙してみたい いい女

オワリ

息子が増えました

2010年10月22日

乗馬を始めて丸4年が経ちましたが、後半2年は新馬調教をやってとことん馬の世話をするのに慣れて来ました。
馬の性格や習性なども少しはわかるようになったようで、犬と似ている所もありますが、馬特有な頑固な所もわかり始めました。
馬と象は良く似ているようですが、一度覚えたらとことん忘れないようで、それが人間の心に強く残るのだと思います。
今年の初めに乗馬クラブから自分の馬を飼いませんかとお誘いが有った時は「え~!自分が」と思ったのですが、だんだん自分の義理の息子を持って見ても面白いかと考えるようになり、夏ごろお願いする事になった。
オーストラリアのゴールドコーストから飛行機に乗って10月12日(火)にクラブにやって来た。
旅の疲れ(検疫や移動)や環境の大きな違いで馬は大変やつれたようですが、とても愛嬌が有り姫野にすぐなついてくれた。
狭い厩舎で寝ぼけて身体のあちこちに擦り傷が出来て可哀相なのですがもう暫くしたら元気を取り戻すと思うのです。(オーストラリアでは自然の中に放し飼いで日本のような狭い厩舎はないそうです)
名前もラテン語でレクター(Rector)とした。(英語でLeader)
これから毎土、日は朝5:30に家を出て乗馬通いの日が続く事になります。
最後に念には念を、とにかく『競走馬ではなく乗用馬』ですから。

   

   

   

       

秋晴れの 良き日に馬が やって来る
喜んで 馬の奴隷に なり下がる
人膚の 恋しき思い ぬる燗で
レクターの 愛らしい目が ご愛嬌
人生を 深く感じて 終り来る

オワリ

美浦トレーニングセンターへ行ってきました

2010年10月10日

インターネットで予約してJRAの美浦トレーニングセンターの見学に行ってきました。
先日NHKで「チャンス」という「藤原紀香」主演の番組が有り、JRAの美浦トレーニングセンターが番組の最初に必ず出ていた。
9月中旬に予約をしないで行ったら全く中に入れなかったので再チャレンジをした。
お土産をもらって専用バスで移動して3ヶ所回るコースだった。
最初に行ったのはチップを敷き詰めたトレーニングの1200mの坂路コースを真下に見る「監視塔」だった。
馬のゼッケンにバーコードが入っていて200m、400m、600mの速度が自動的にPCに表示され、このデータが競馬新聞や競馬関係者に配られるのだそうだ。
見ていると結構首を斜めにする馬がいて、わざわざ首を曲げる訓練をしているのか、質問したらもともと首をまっすぐに走れる馬は少ないのだそうです。
又、ゲートに入る練習もしていた。

   

   

   

次に行ったのが競走馬スイミングプールなど水を利用した施設でした。
今までに一度だけプールで溺れた馬がいたそうで、それから必ず手綱を両方から2人で持つようになったそうです。
また、水の中で人間のルームランナーのように下が動いて運動する機械も有り、結構使われているようだった。

   

   

     

ここで驚いたのは粗末な入り口に似つかわしくない数千万円の「マセラティ」(車)が無造作に置いてあった。
また、変な競馬ファンがいて、馬ではなくて整備する車の趣味の人がいて(「Unimog」と言うらしい)それもベンツであるのでビックリした。(ゴルフ場の砂ならしみたいなものや芝を整備する器具を引っ張る特殊な車)

最後にふれあい広場で競馬から乗用馬になった馬達と暫く遊ぶ事が出来た。
皆大人しく優しい眼をしていた。

美浦トレーニングセンターに所属するのは約1000頭の馬で、人間も1000人程働いているようで、センターの真ん中にはスーパーマーケットがあり、その2階では競馬グッズも販売されていたが、ジョッキー用のものも多く特にその靴の軽いのにびっくり。
ヘルメットと鞭とボディプロテクターは重いが、他の物は計量に引っかからないようにとても軽く作られているようでした。
厩舎がたくさん並ぶ中、今週末3歳牝馬の3冠がかかった「アパパネ」がいたり、凱旋門賞の2着の「ナカヤマフェスタ」の検疫場所なども有った。
牝馬3冠は桜花賞、オークス、秋華賞ですが今年はオークスでサンテミリオンと同着1位だったのです。
これがアップされた時、至上3頭目の3歳3冠馬が生まれている事でしょう。
(やはりアパパネは圧勝しました。美浦の国枝栄厩舎で馬主はなんとディープインパクトのオーナーの金子真人氏です。これでアパパネは獲得賞金4億を超えました。姫野として牝馬で一番印象に残っているのは有馬記念を制した小柄な「トウメイ」です)

だんだんと 馬の奴隷に なりさがる
わが社員 笑える内が 花ですね
馬プール たづな一本 命綱
アルゼンチン 落盤事故で 国1つ
酒あきた 朝は思えど 夜は好き
日本にも 落盤事故が 欲しい時
雨音が 秋色となり 地にしみる

オワリ

ガイモンの卒業式

2010年08月31日

今年の夏の暑さはあまりにも熱く酷暑としか言えないと思うのですが、日本の熱帯化が進み、四季から二季(乾季と雨季)に変化していく途中なのかもしれません。

ところで8月29日(日)1年間調教して来たガイモンの卒業式が行われた。
調教当初はあまりにも首を下にする為とても強い力で首を上げさせなくてはならなかったり、見るもの全て新しい物が有るとビビって動かなくなってしまうなど大変でした。
また、今年の4月には初めての落馬と2回目の落馬を経験させられ、5月からはかなり真剣に乗るようになった。
6月頃からは首を振って下へもぐったり、突然鳴いたり、急に駆け出すこともほとんど無くなり安心して騎乗出来るようになった。
夏の暑さのせいで馬の元気が無くなって来たのも関係しているのかもしれません。
7月頃からガイモンがあまり汗をかかない事がわかり、炎天下の連続した調教は控えるようになった。

卒業式の為に100円ショップで「赤いリボン」と「ハエタタキ」を買って来た。
卒業式では姫野は簡単な障害を跳んで終わってしまった。
本当はもう少しキチンとした調教をして上のクラスで働ける馬にしたかったが調教は1人でやっている訳でもなく、とにかく無事終わった事で良しとしようと思うようになった。
一頭目の「ラン・オブ・ハピネス」に続いて2年間調教をやって見て楽しい思い出で一杯になった。
相変わらず腰も体調も乗馬のおかげでとても良い。
後何年出来るか分からないのですが、この老体が動ける間は乗馬を続けようと思うのでした。

   

放牧中のガイモン

   

                                  洗い場のガイモン                     指導員とガイモン

   

駆足のガイモン

   

                                       駆足のガイモン                     卒業式のスタート

   

卒業式のギャラリー                    障害を跳ぶガイモン

   

速歩のガイモン                    修了書をもらう

スタッフと

卒業の ガイモン生活 終り告げ
お別れの ガイモン晴々 大暴れ
モモちゃんの 寝姿暑し 夏の夜
年寄りを いじめ殺す 熱中症
騙された 鉄人女の 目に涙
一日を お酒で終われる 良き日かな
ゴロ蝉が 鳴きたそうに 飛び回る
暑い中 ちゃっかり秋が 見え隠れ


オワリ

初めてのホールイン・ワン・・・嬉しさも半分

2010年08月09日

8月7日(土)に無理矢理(押しかけて)ゴルフに誘ってもらった。
場所は大阪府南河内に有る「グロワールゴルフ倶楽部」で当日も32~33℃程の暑い日で有りました。(PLの塔も初めて見ましたが、日本で無いような気がしました)
クラブハウスは何と5階建てでプールも有り、昔のバブルの面影をそのまま残しており、どこに行くにも結構手間取る(場所がわからなくて)くらいだった。
関西のコースは全般的に幅が狭くトリッキーな所が多く、当コースも例外では無いのですが、距離が短い分少し易しいようでした。
3つのコースの中の赤坂コースを7:42分スタートした。
国内では2ヵ月ぶりだったのと暑いので散々でした。
第1打いきなりチョロ、結局ボギー、ダボ、トリ、ダボと続いてパートナもどうなるのかと心配してくれていたようです。
本人も久しぶりに50を超える(いつも前半の3~4ホールは悪いのですが)と覚悟したのですが、5番ホールからパー、パー、ホールインワン、パー、パーとなり結局前半は42。
ホールインワンに自分も驚いたのですが、パートナも初めてスコアカードに1を書けてとても喜んでいただいた。
ホールは7番154ヤードの打ち上げでピンの根元が見えず、乗っているはずのボールが無くて奥のラフまで行ったのかなと思いピンを見たら何と入っていた。
ティグラウンドから見えていなかったので、嬉しさも半分と言った所でした。
キャディ同伴でなかったので、正式のホールインワンと認められないので割り勘予定のお昼を姫野が持ちますと言って姫野だけ「水割りダブル」を2杯飲んだ。
こんなに暑いのに自分でも飲んで大丈夫かなと思ったのですが、ホールインワンなどめったに出る物でもないので気持ちよく飲んだ。
後半は45だったのでトータル87でまずまずでした。
(いつもは後半のハーフがかなり良いのですがこの暑さとアルコールでは無理も有りません)

今年日本で5回目のゴルフでしたが、ハワイの特訓が効いたのでしょうか。
又、「石川遼君」のギネスに載った58の正式提出スコアカードのコピーをバックに入れておくと良いと言われているので、パートナの3人の方にスタート前に差し上げて大変喜ばれた。
何となくその効果が姫野にまで移ったような気がした。
次回8月21日は運用会の恒例のゴルフなので参加の皆様に「遼君のスコアカード」をお配りするようにしたいと思います。
それで誰かがホールインワンしたらこれは本物ですね。

欲しい方にはメールをいただければお送りいたします。

パートナー ホールインワンに 言葉無し
夢のよう 今夏の出来事 忘れ得ぬ
下着かと 思う女も 歩いてる
話して 競馬と乗馬 区別なし
ももちゃんの 寝姿暑し 夏の夜
だんだんと 思い出深い 年になり

 
追) 最近読んだ面白い本を紹介させていただきます。
「トレードオフ」序文ジム・コリンズ、ケビン・メイ二ー著
プレジデント社が今年7月に出した本です。
企業が明確にしなければならない方針の選択に「上質か手軽か」の基準をもとに、成功している会社、そうでない会社を著者の眼で厳しく見ているのです。
これはとても参考になりました。
事例は我々が良く知っている大企業ですが、我々中小零細企業にもとても良いヒントになりました。

29頁に載っている図を参考の為に載せますが、上質と手軽と言う幻影を求めた企業は暫くすると不毛地帯に入ってしまうと言うわけです。
夏の1冊に是非お勧めです。(ゴルフの帰りの新幹線の中で楽しく読めました)

 

オワリ

猛暑の妙薬

2010年08月06日

毎年夏になると「汗疹」(あせも)が背中などに出来て特に車に乗っているときなどは結構辛い時が多かったのです。
昔はお風呂上りに「シッカロール(ベビーパウダー)」を気休めにつけたりしてましたが、身体に悪いと聞き、ここ数年は使わなくなりました。

今年も背中や胸に「汗疹」が出来、特に豊満(?)な胸が痒い時が多かったのです。
所が、先日NHKのテレビを見ていて「うそだろう」と思ったのですが騙されたつもりで?を買って来ました。

それは重曹(炭酸ナトリウム)をお風呂に大匙3杯入れることだったのです。
重曹はご存知の通り胃の薬や膨らし粉、漂白剤とか炭酸飲料等多くの分野で使われています。 風呂上りの湯上りがすっきりして「汗疹」が治り風呂も綺麗になると言う「一石三鳥」。

しかし、本当に、実に「一石三鳥」だったのです。
これには家内も驚いて夏はシャワーが多かったのですが、お風呂を沸かして入ることが多くなりました。
又、シャワーのときは石けんの代わりに重曹で身体をこするととてもさっぱりしました。
さらに「痒い所」につけてゴシゴシするだけで「汗疹」は消えてしまうのです。

こんな事嘘と思う人が多いと思いますが、これは本当です。
是非お試しあれ!

網タイツ 上を見なけりゃ 色っぽい
夏風邪を クーラーで引く 馬鹿なやつ
下着かと 思う女が 日傘さす
厚化粧 猛暑の時は やめてくれ
涼しげな 化粧している いい女
もうもうの 煙の焼肉 夏の味

以 上

 

ハワイ見ずして・・・2

2010年07月27日

今回は7/9日(金)の夜成田を出発して7/16日(金)の夕方成田に戻って来ましたので、梅雨末期を知らないで戻って来たらいきなり日本の夏となっておりました。
連日日本は34℃~37℃の猛暑でげんなりでしたが、7/17日(土)から7/19(月)まで毎日乗馬クラブでガイモンの最後(8月で調教終了)を楽しんでました。
夏になり、どの馬もばて気味でおとなしくなってきている為、どの馬も良く見えるのですが、ガイモンもとても良くなってきて回りの会員や指導員からお褒めの言葉をいただけることも多くなって来た。
この3日間は朝6時過ぎに家を出て、6時半過ぎから30分程ガイモンをミニ放牧(小さなサークルに放してやる)すると、砂浴びを何度かやった後は犬の様に餌をねだり姫野を追い回すのです。
せっかく本を読もうとしても読ましてくれません。
かわいいのも確かなのですが、馬と人との心の結び目を作ろうと思ってます。
だんだん人を見るガイモンの目が優しくなってきていると思うのですが、人に対する強い信頼感を持ってくれれば調教は成功だと思っています。
馬術の醐醍味は無心無我とよく言われ「鞍上人なく鞍下馬なし、人馬一体幽玄の境地」まではとても行きませんが、気持ちは同じです。
どちらにしても馬にとってこの暑さは大変だと思います。

またまた話はそれてしまいましたがハワイに戻ります。
タートルベイリゾートでは馬に乗る予定で用意もして行ったのですが、単なるおとなしい馬で海岸沿いを歩くツアーだけだったので(しかもウエスタン)馬には乗らなかった。

   

ちゃんと馬小屋も有り30頭程の馬がいた。

このホテルには2羽の大きなインコが居て、毎日名前を呼んだり、餌をやったりしてかまっていたのですが最後の日にしっかり右親指をかまれ出血してしまった。(皆様も気をつけてください)
前に書いたのは赤いインコの「ULA」で青色の「ikaika」にやられた。

日本の日立のコマーシャルに出て来る「この木何の木」の大きな木はハワイに有るのをご存知でしたか?
「モンキーポット」と言って個人所有の公園に有るのです。

ガイドは狭い公園と言っていたけど、個人の庭だとすると化け物のように大きいと思いました。
入り口には日立がこの公園をサポートしているとも書いて有ました。

   

ハワイがUSAの最後の州(確か50番目)となったのはご存知だと思うのですが、この時日本に入るか、USAに入るか大変大きな競いになったのだそうです。
それでも未だに日本の文化は根づいているようで特に相撲は生中継されていて、楽しみに待っている人が多いのだそうです。
ハワイ時間午後9時半(日本の午後4時半で1日日付が違いますが)から生中継されているのだそうです。
今回の中止をとても残念がっていました。

ハワイで自然の中の魚と遊べるハナウマ湾(Hanauma Bay Nature Preserve)を越えるとハワイ人の為にハワイ人50%以上の血が入っている人は1年間の土地の賃貸料が年1$の地区が有り、曙はここの出身なのだそうです。
又、ハワイには野生化した鶏と野ブタがいるそうで、鶏が一気に屋根に飛び乗ったり、大きな木の中に隠れるのには驚かされた。

1週間カードの支払い以外は英語も日本語も使わなかったし、書く事も無かった。
当然1日5作目標の川柳も書く事は無かった。
こんな事は病気で入院した時ぐらいしか無かったのですが、(新聞も見なかった)なにかとても頭の中が綺麗になった気がする。
今回はオアフ島をほぼ一周することが出来そんな意味でも満足感が強かった。
日本に戻ってきて3日間馬漬け、そしてその後すぐに大阪出張して23日に戻ってきましたが、23日の夕方から毎年行っている三鷹の「横河まつり」に今年も行き、お腹一杯生ビールをご馳走になった。
その週末はガイモンとともに楽しい週末を過した。
こんな夏は2度と来ないと思うほどの素晴しい7月でした。

日本語が ワイキキビーチの 公用語
けんかせず 友達でも無い 海と空
碧い海 青い空に 浮かんでる
一人でも 遊んでくれる 海と空
冷凍の ミカンが教える 夏の旅

オワリ

 

ハワイ見ずして・・・1

2010年07月23日

今まで米国の出張で行かない所は無いくらいあちこち行って来たのにハワイだけは全く縁がなかった。
6月下旬ツアーに相乗り出来き、夏休みを兼ねて初めてハワイに行って来ました。(今まで100回程アメリカには行っています)
4日間はオアフ島の北端に有るタートルベイリゾートで初めて4日間連続ゴルフをやった。
(その前週の日曜日に大学の同期とゴルフをやったのですが右肩が痛く(ガイモン(馬)に引っ張られて)回れるかどうか心配していたのですが、右手が使えない為かえって良かったようです。ほとんどゴルフをやってないのに43.43だったのでとても機嫌よく帰ってきました)

   

3日間は午後二時からスタートのトワイライト(6時頃に1ラウンド終了)を、4日目だけは朝7時から真剣にゴルフをした。
3日目が一番つらかったが、何とか回る事が出来、だんだん力が抜けるのとパターが良くなって来てアメリカのゴルフリゾートらしくとても心地よかった。
まだ日本人もほとんど居らず、特に夜ゴルフ場のレストランで出すローストビーフは最高で2回も食した。

他のレストラン(全部で5箇所)もなかなかでしかも安くて本当に良かった。
特にお店も何も無い道を30分程歩いて行った果物売り場での揚げバナナと1$のマンゴーは最高でした。
とにかく馬鹿となった4日間でした。

タートルベイリゾートで4泊し、東側の海岸を通ってワイキキへ向かった。
途中ジュラシックパークの最初のシーンの撮影を行った所や曙関の銅像なども見たが、東側はサメの多い海のようで泳いでいる人やサーファーはほとんどいなかった。
エビを畑で養殖している所も多く有った。
オアフ島は1周4~5時間かかるそうで、その大きさにも驚いてしまった。

   

ハワイは政府関係・観光関係・軍関係の3つの仕事しかないようで、タクシーのドライバーによると日本人はワイキキを中心にうじゃうじゃいるけど本土からの観光が随分少なくなって、とても景気が悪いと言っていた。
ワイキキに着く前にタートルベイにジャケットを忘れて来たのに気づいて、取りに行こうか捨てようか迷っていると運転手が「タクシーで取りに行くと往復6時間、300$以上取られる、明日自分が観光を兼ねて案内するよ」と言われてついつい乗りそうになったが、ワイキキのホテルに戻ってから日本に着払い(カードの前払い)で送り返してもらう事にした。
(日本に戻ってきたらもう着いていた)
$15.92だったので大きな時間とお金を節約できた。

失敗やアクシデントがあるとついつい回りの優しい誘いが有難くなってしまうが、冷静に判断しないといけません。
特に海外で日本語でサービスを受けると判断を誤る事が多いから要注意です。

ワイキキは本当に日本人があふれていました。
特に場所がワイキキ・シェラトンでDFS(免税店)が目の前にあるせいも有るでしょうが、こんな時期にこんなに日本人達がたくさんいるのに驚いた。
シーズンON直前なのに人・人・人・・・では今週末から大変と思われました。
8時間もかけて海外に出かけるより、日本の宮古島や西表島の方が自然豊かで綺麗でおいしい物がたくさん有り、安全で良いのにと考えさせられた。(お金は別として)
ハワイと言うよりワイキキだけの問題なのかも知れないですが、自然児の姫野としては少し残念でした。

続く

目覚まし時計の要らない朝

2010年07月06日

最近は朝3時半頃から薄明るくなって来て4時にかなり朝が来た感じがします。
その頃には野鳥達のさえずりが始まり(テッペンとかトウキョウ、トッキョとか)うるさい音になり、その内ハトやすずめ達が庭のえさ場に集まり「何にも入っていない、何で遅いんだろう」なんて声が聞こえる。
そんな中もうすぐ15歳になる長女のモモが4時には必ず起きてトイレに行き、おしっこをしたと言いに来る。
ほっておくと外のすずめ達に吠えまくる。
しょうがなくトイレを始末してやると次は大きいのを必ずする。
ほとんど毎日同じパターンでとても元気そうです。
それを人間のトイレに流してやって、もう一度眠ろうとすると、「起きろ」と言って小生の手足を舐めたり、怒って吠えたりする。
朝6時頃には朝食を食べてベッドや居間を2回ほど駆けずり回ってやっとベッドに落ち着く。
後は姫野が寝巻きから何に着替えるか目だけを動かしながら姫野を追っかけている。
背広やワイシャツを出すとすごく悲しげな目になるがTシャツなどを着ると「散歩へ連れて行ってくれ」と大喜びする。
(散歩と言っても半分抱っこして帰りだけ陽の当たらないところを歩かせるだけで20分ほどで戻って来ます)

会社へ行くと言うと諦めて玄関まで必ず送りに来るが、乗馬に行く時は見送りにも来ない。

一日の内ほとんど寝ているが、自分が起きている時は姫野の後をとにかく追っかけてくる。
(多分20時間ほど寝ていて、朝の3時間がやたらに元気なのです)
人間で言えば90歳くらいと思うのですが、一度眠ると耳がほとんど聞こえないせいもあり、めったに自分からは起きてこないし、夜帰る時間が遅いとベッドの上で尻尾を振るぐらいで挨拶をサボろうとする。

姫野が何時に帰ろうとも4時に起きるのは毎日の事で、いつも起きて鳴る前の目覚時計を止めるのが朝一番の日課となってます。
こんなモモと後どれくらい一緒にいられるのかは分かりませんが、もうしばらく天国のお迎えはお断りしなくてはいけません。
その間、少々寝不足であろうと頑張る覚悟です。

         

   

日が昇る 前から起きてる 犬と鳥
9時過ぎて 飲まないお酒 身を守る
わからない 時こそ人の 器見え
風格と 器を作る 良き仕事
人好きが すべての仕事 支えている
雷が 梅雨を終わらせ 夏が来る
金が無い 思った瞬間 金に羽根


追) 先日NHK-BSで第64回TONY賞の表彰式をやっていた。
ミュージカルの世界でTOPを決めるような賞なのだけど、とても面白くてついつい見てしまった。
NYブロードウェイだけで年間3000万人の人が集まるのにもびっくり。
そしてミュージカル主演女優賞にキャサリン・ゼタ・ジョーンズが選ばれた。(何とカーク・ダグラスの妻)
いろんな賞で様々な人々がスピーチしていたが、皆素晴しいものであった。
特に「喜劇の回りに悲劇の積み重ね」と言う言葉が重たかった。
ミュージカル賞には4部門を取った「メンフィス」が、「レッド」は6部門を取ったが2位であった。

この賞で感じたのは、日本とUSAと言うか日本と世界の民族性の違いを強く感じた。
日本の多くのテーマは個人-家族-せいぜい日本
USAは個人-家族-USA-世界(地球)をテーマにしていると思えたのですが御覧になられた方々の目にはいかに映ったのでしょうか?

NHK-BSは海外の紹介の中にとても良い番組があると思います。
特に世界の国々でやっているニュース番組なんか面白いですね。
日本人として目からうろこの瞬間がたびたびあります。

オワリ

柄谷行人「意味という病」

2010年06月24日

最近柄谷行人(Karatani Kojin)の「意味という病」を読みすっかりはまってしまった。
1941年生まれで、まだご健在のようですが、何冊か読んでみようと思っています。

彼の評論で特に有名なのは「マクベス論」-意味に憑かれた人間-なのですが、これを世に出すきっかけが「連合赤軍事件」だったというのが何とも面白い。

-1972年の暮れにひとまず書き上げた草稿を編集者に渡したあと、正月に私はあの事件の指導者"夫婦"の1人が自殺したというニュースを聞いて驚いた。
自殺に驚いたのではなく逆にそれが自明のように感じられることに驚いたのだ。
私は「そうか。いつかは死ぬはずであった。こういう知らせを聞く時もあろうかと思っていた」というマクベスの言葉があまりに現実的であることに戸惑いを覚えたのだった。
男の方が自殺したことが不審に思われたほどに。-

と書いている。
そして、マクベスからマルクスへの類似性にも触れている。

「あらゆる立場を常に不安にし宙吊りにする」立場、これはマクベスが先駆的に呈示して見せた立場に他ならない。
比喩の危険をあえて冒するならば柄谷行人のなかでマクベスはどこかマルクスに似ている。
マクベスは魔女とその予言とに抗して闘った。
マルクスは貨幣とそれによってもたらされた資本制社会に抗して闘った。
ともに「在りもしないものが在るばかりでなく一切がそこからはじまるということ」に抗して闘ったのである。
両者はなによりも、彼らを突き動かす宿命的なものに決定的な異和を覚える存在であることにおいて本質的に似ている。
明らかに「意味という病」は「貨幣という病」の分身である。

又、「人間的なもの」の中で漱石についても述べている。

-大切なのは漱石にあった"人間的なもの"についての懐疑である。
彼は解答を与えたのではなく、疑問を提出しただけである。
しかし、その疑問の大きさが彼の小説を大きく深くしたのであって、江戸文学、漢文学の素養とが英文学の教養とかはそれに比べれば副詞的なものにすぎない。
彼の小説が、今日でも普通の読者に愛読されているのは、読者がそこに"人間的なもの"とは何であるかという低い誠実な呟きを聞き取っており、現代の文学的観念や意匠は敬遠してもそこに見るべきものは見ているからである。-

(名前「行人」は実は漱石の「行人」から取ったのではとの噂もあります)

近代文学で姫野が何となく不満になって居た事にしっかりスポットライトをあてフォーカスしていると考えられるのです。
私と8才しか違わないのにすごいなあと思うのです。
次に読むのは「近代文学の終わり-柄谷行人の現在-」単行本(2005年)です。
自分の今までの近代文学に対するわだかまりを解消してくれるかもしれないと思い楽しみにしてます。

追) もう一冊お読みいただきたいのは〝ビジネスリーダーにITがマネジメントできるか〟の副題がついた「あるITリーダーの冒険」です。
野村総合研究所・研究理事の淀川高喜訳、2010年4月12日初版で日経BP社が発行してます。
グーグルの会長兼CEOのエリック・シュミットがコメントして話題になった小説です。

あらすじは、優秀なビジネス部門の長として活躍していたバートンは突然、実務経験が全く無いIT部門の責任者CIOに任命される。
バートンは様々な難局を乗り越えていきながら、最後はアメリカらしいハッピーエンドが待っている。
アメリカのCIOやIT部門の仕事が分かりやすく説明をされていてITマネジメントの勘所を身につけることが出来る一冊です。

ビジネススクールの教科書にも使われている面白い本で「ITマネジメントをマネジメントする」がキーワードです。
本が厚く重く持ちにくいのが欠点ですが、IT業界にいる人には是非お読みいただきたいと考えます。

オワリ

柿の花が咲かない年

2010年06月18日

今年は珍しく我が家の藤の花がほとんど咲かず、大輪の西洋しゃくなげが咲き、みかんやゆずの白い花が咲き、夾竹桃の白い花が次々と咲いたのですが、いつも200~300個の実がなる「甘柿」が1つの花も、1つの実もつけなかった。
ラジオなどで今年の柿は不作と聞いていたが、近くの家の柿も全く実をつけていない木がほとんどだった。
幸い2年前に大きな渋柿に「甘柿」を接木したのですが、こちらは初めてたくさんの花が咲き、大豊作のようです。
これがどのようになるのか楽しみです。
今までこんな夏を経験した事が無いので今年はかなり冷夏になるのではと心配してます。
改めて自然界の不思議さや偉大さを思い知らされたような気がしました。
所詮、人間は母なる地球には勝てないのだと思ったりもしました。
人間は地球の法則をしっかり理解し、守ることが地球の住民としての最低の義務だとも思いました。
話は変わりますが、皆様もエコブームでご存知のように「緑のカーテン」と言われるゴーヤを10本、きゅうりを5本買ってきて、陽の強く当たる場所にネットを張って、今年初めてチャレンジしました。
きゅうりは苗を買ってすぐに生り始め、5月中旬から小さくて棘に刺されるやつを10本ほど収穫しました。
ゴーヤはどんどん伸びてますがやっと花をつけ始めましたがどうなるかこれからが見ものです。
一日10cm程は伸びているような気がしますが、冷夏だと立派なゴーヤが生らないのではと心配してます。
夏があっという間に過ぎ去り、長く寒い冬が近づいているような気もしてます。

懐も 気温も寒い 今年かな
梅ならず 柿も咲かずに 夏が来る
受けた恩 返す相手は 墓の中
夏が来る 水田輝く 時がくる
どこまでが 陸地か空か 夏霞
魔女起こす トラブル続きの ゴルフかな
ありがたく 今日一日の 終わりかな

追 久しぶりに本の紹介です。

津島美智子著「回想の太宰治」講談社文芸文庫
1938年井伏鱒二の紹介により結婚した太宰治の妻の回想録です。
玉川上水に入水するまでの10年間、生活を供にしながらなかなか鋭い目で太宰治を分析しております。
評論家の目とは全く異なる立ち位置でなんとも言えないリアルティが有ります。

もう一冊は木下順二「本郷」です。(講談社文芸文庫)
木下順次と言えば何と言っても「夕鶴」が有名ですが、本郷を本当に愛していた本人が、かかわったたくさんの作家たちの裏話や本郷の変遷などが盛りたくさんに書かれています。
本郷と言うか日本の近世の文学を知りたい人は(本人は1914年生2006年没)は是非一読ください。
主に出てくる名前だけでも鴎外、漱石、啄木、四迷、寺田寅彦、徳田秋声、宇野浩二、高見順、中野重治、深田久弥、杉浦明平、etc.
本当に驚きです。
本郷は凄い所なのです。
木下順二が高校三年のときインターハイの馬術で3位に入り、終生馬に関連したグッツを収集していたそうで、そんな意味でもとても親近感が沸いてきてます。


オワリ

 

コンピュータ運用を考える会20周年記念

2010年06月14日

ブロード創立から来年で25周年ですが、今年はブロードが事務局をやっている「コンピュータ運用を考える会」の20周年記念事業を先週の6/11(金)、6/12(土)の両日、熱海の「ニューフジヤホテル」で1泊して開催した。
1年程前から20周年事業の委員や委員長を決め、役割を分けてユーザにもかなり参加いただいた。
日程・開催場所・記念品、記念事業(運用の「川柳」募集となる)etc.
充分に準備していたはずだったのに最後に場所が変更になったり、ブロードの今年の新人達が司会や進行をやる事になったりして、それはそれで姫野のいつもの「いい加減さ」で何となく越える事が出来無事終了した。

そもそもこの運用会は会員クラブ形式で運用企画を行う人達の人的交流を主体として「より安全で、より先進的で、より安価」な運用システムを各社で考えようとするものでした。
特に運用ノウハウは人に密着している物で、アプリのように秘密にする事でもなく「本音で語れる会」と言う訳で、2時から5時までの2コマの勉強テーマの後必ず立食のビアパーティがセットされているのです。
年10回もやっているので今から思うと良く続いたと思うのですが、会員の方々が本当に粘り強く支えてくださったからだろうと思います。
記念行事の予定を見ていただくと、

 

2010年度「コンピュータ運用を考える会」記念行事
2010年6月11日
「コンピュータ運用を考える会」事務局
6月11日(金)
1.記念講演  場所:本館 1F会議室「オーロラ」
・ご挨拶20周年記念実行委員長
八若 光良 様
15:00
・記念講演Ⅰ
「IT Leadersに思いを込めて」
株式会社
インプレスビジネスメディア
取締役IT Leaders編集長




田口 潤 様
・記念講演Ⅱ「仮想化の実践事例と・・・」
第一生命情報システム株式会社
取締役常務執行役員



足立 伸男 様
・記念講演Ⅲ
「"Knowledge Resource Management"
-知識資源経営」
株式会社プライド 創業者
松平 和也 様
 
2.懇親パーティ 場所:本館 2F宴会場「白梅」
19:00
・記念撮影 
・乾杯
前幹事 岩井 正弘 様
・記念講演「東京20周年の歩み」
        20周年記念実行委員長
八若 光良 様
 ・川柳入選作発表 
        ITジャーナリスト
田中 克己 様
 ・ビンゴ大会
 ・中締め
        株式会社野村総合研究所
幹事 中村 卓司 様
 
3.二次会 場所:本館 1F「ハイランドラウンジ」(24:00まで)

東阪合わせて50名程の方々に参加いただいた。
11日の懇親会パーティのスケジュールが一杯なのは12日に懇親コンペと熱海散策組みに分かれて楽しむ事になったからです。

   

   

   

(お宮の松)

   

(まげまげ)

6月の10日過ぎの為梅雨に入っているのではと天気を心配したのですが、これも持ち前の「いい加減」で絶対に雨は降らないと思い込んでいたので、その通りになってしまった。
(翌日曜日から「梅雨入り」本番となりました)
ゴルフも素晴しかったのですが、散策組みは熱海の有名なレストラン「スコット」で全員ビーフシチューを食する事が出来、良い思い出となったようです。
このような会がいつまで続くか分かりませんが、皆さんが面白いと思えるところまではやろうと思っております。
最後ですが「川柳」の募集を二ヶ月程やりましたが、898句の応募がありました。
残念ながら大賞20万円は無かったのです。
審査員の合意として1席10万円一句、佳作1万円が五句となりました。
運用の現場からの楽しい川柳をしばし楽しんでください。

川柳審査結果
審査員
 田口  潤 様(IT Leaders編集長)
 田中 克巳 様(ITジャーナリスト)
 八若 光良 様(20周年 委員長)
 太田 清史 様(NRI元副会長)
 斉藤 茂樹 様(20周年 川柳担当委員)
 五十嵐智生 様(同上)
 足立 伸男 様(第一生命情報システム㈱ 取締役常務執行役員)
 姫野 惠悟  (運用会事務局) 順不同

大賞なし

1席(4票)

ありがとう その一言で 力を得

佳作(2票) 
トラブルの 回避の後の 大ジョッキ見てたはず やったはずでは 止まるはず
センター長 ここぞの時に また不在 何も無い これが運用 成果なり
携帯が 一斉に鳴る 会議室  
  
参考作品(1票) 
運用の 日誌に今日も 感謝する仮想化が 難しいなら 手貸そうか?
ヤり過ぎだ あまりに高い 稼働率他社センター どこもうちより よく見える
ハイテクの トラブル回避 ローテクで そのままで 触るな安定 稼働中
マシンより 言うこと聞かぬ 部下に嫁なんとなく 3K人生 良しとする
運用費 やたらと安い インド妻ITILの 標準尽くしに 飽いている
コストダウン 叫ぶセンター 長が無駄 見える化を しても本質 見えてない
センターで 雲も運用 するのかねん?という プロのひらめき ミス救う
クラウドは どこで買うのと 社長聞き 来し道は 我(和)が意(位)を得たり 運用道
センターの 屋上産の コシヒカリ 宝くじ 当たらないのに バグは引く
御時世と またにじり寄る 親会社 下校時の 子供にあいさつ 行ってきま~す
地球には 急に優しく なる上司朝帰り・・・ 遊びじゃないのよ 仕事なの
詫び状と 共にお客に 商品券 汎用機 君は素直な ヤツだった
地球より 俺に優しく して欲しい 抜けの無い 運用考え 毛が抜ける
そもそもが 何もしなけりゃ トラブらぬ 稼ぐ嫁 育児もアウト ソーシング
クラウドじゃ 到底晴れぬ 大不況ツイッター 運用ぼやきが 止まらない
センターと 客と本社が オフライン マスターキー 掃除のおばさん 持ってます
システムも 家計も運用 まるで駄目 SLA 縛ったつもりが 縛られた
信頼は システムよりも 人材に 深夜2時 僕も機会も 再起動
クラウドは どこで買うのと 社長聞き 障害の 過去の履歴は宝箱
運用部 打たれ強さは 社内一 平和だね 口に出したら トラブルだ
震災に 負けぬが不況に 堪えかねて ITに 上流下流も なかりけり
センターの 屋上産の コシヒカリ 目覚めたら 着信なしの 安堵感
運用の マニュアルさえも 誤字脱字泣き寝入り 許さぬ心 運用移管
最新の 技術運用 複雑化 すいません まずは謝る 処世術
運用も ガッツだけでは 乗り切れず稼働率 システム下がると オレ上がる
ほっとする 今日も無事故の ハンコ押し 不況風 やたらクラウド 蔓延し
無責任 首相に勝ったと 自慢をし 晴れた日に クラウド見えぬと 社長言い
無災害 できた時の 達成感人がミス 対策すべて?自動化で
いつまでも トラブルゼロの 夢を追う 声出して 相互確認 ミス防ぐ
論よりも 証拠が大事 監査ログ クラウド化 そのこりゃ俺は 雲の上
二十年 超運用への 一里塚 手順書に 書いてないこと 出来る俺
違うでしょ 漏えいじゃなくて 窃盗だ 綺麗だな ふと見上げると パトランプ
ぬくもりの 有るチームほど ミスが無い 良く言うよ その時に居て ものを言え
  
 
以 上


大落馬

2010年05月10日

今まで絶対落馬しない、無理しないと自分に言い聞かせてきて3年以上その通りでした。
ところがアメリカへ出発する前の日4/10(土)大落馬をしてしまった。
油断以外の何ものでも無いのだけれど、自分の乗り方の欠点も良く分かった。
現在調教している内国産馬の「ガイモン」は首を振って左にもぐる悪い癖が有るのが分かっているのに、だんだん自分の緊張が無くなって手だけで処理していた為上半身に力が入り、良く自転車で急ブレーキを掛けたのと同じ状況になって、右前へ一回転し、ラチ(柵)の外側に飛ばされた。その時は退場となったがお昼の時間にリベンジして調教を終えた。
あまりの一瞬の事で何も覚えていないくらいだった。
柔道の受け身のパターンその物でしたので、全く怪我も無く翌日海外出張に出かけられた。

ところが、アメリカから戻って4/29(木)に又大落馬をした。
その時も状況は似ていたのだけれど前日の大雨で馬場が田んぼのようで姫野が泥んことなりその日はそのまま退場し、翌日リベンジした。
周りの会員からは「うまく落ちますね」と冷やかされた。
指導員から「落ち癖が着くから気をつけて下さい」と注意された。
5月の連休中は馬がもぐり難いようにサイドレーンを付ける事になり、乗り手はかなり楽になったようで、それ以降調教チームで落馬する人はいなくなった。(姫野が落馬して全員落ちた事になったようですが、チームの1人は強く手綱を握らなくてはならなくて腱鞘炎になったそうです)

乗馬の基本であるふくらはぎの密着と上半身の柔らかさをいまさら思い知らされる結果となりました。
又、馬の気持ちを感じてやる思いやりが足りなかったとつくづく反省させられた。
調教は8月までなので出来れば順調に調教して会員の指名を受けられる馬になって欲しいと思うのです。

サイドレーンをしたガイモン

   

落馬して 馬の大きさ 思い知る
ブレーキは 馬が持ってる 人で無い
にんじんを たくさんやっても 落馬する
落馬して 自分の欠点 見えてくる
良い汗を かいてみたいな 初夏の風
新卒者 魔法にかけたい 上司達
真っ黒な 顔したやつほど 仕事せず

追4月30日落馬して夕食を早く済ませてすぐ眠ってしまい、11時頃に目が覚めてテレビを点けたら上海の万博の前夜祭をやっていた。
何となく見ていたのだけれど中国国家主席の隣にフランスの大統領夫妻や韓国の大統領がいた。
なぜ隣の国(陸続きではないかも知れないが海続きの隣の国である)の国家の大切なお祝いに日本の首相は何をしているのだろうかと腹立たしくなった。
自分のやるべき仕事が分かっていないのではないか!
基地問題は大切かもしれないが重さがあまりに違い過ぎるのではないか?
国家の命運をどう考えているのだろう。
一般企業の死ぬような努力をどう考えているのだろう。
そんなこんなを考えていて結局朝まで起きていてそのまま乗馬に出かけた。
5月の連休はほとんど毎日乗馬クラブに行き、久しぶりにのんびり休日を過ごしました。

オワリ

宮古馬に会いに行って来ました

2010年03月29日

日本のリゾートで姫野が気に入っているのが宮古島なのですが、最近乗馬クラブで「宮古馬」のDVDを見て、どうしてもその馬に会いたいと思い、又々無理をして行って来ました。 宮古馬は1991年に沖縄県指定天然記念物となりましたが、1956年(昭和31年)総数12,000頭を数えたのですが、1975年(昭和50年)に総数11頭になってしまい、2010年にやっと30頭まで回復して来たのだそうです。
大人でも高さ120cm程の小さい馬ですが、昨年2頭の子馬が生れてとてもかわいかったのです。
宮古島には二ヶ所の牧場が有り、その両方へ行って来ました。
DVDはこの二ヶ所の合作だったようで、一ヶ所は宮古空港に近い荷川取(にかとり)牧場ともう一ヶ所は西平安名(にしへんな)崎の宮古馬牧場です。
特に荷川取牧場の「おやじ」と2時間程話すことが出来た。

(子馬)   荷川取牧場

(仔馬)                        (荷川取牧場)

生後6ヶ月   家族

(生後6ヶ月)                           (家族)

草を食べる牡

(草を食べる牡)

20年程前から飼い始めたが、宮古馬は家族意識が強く、自然の中で増やすのはなかなか大変らしい。
乗っても良いと言われたが、馬の背骨があまりにゴツゴツしていて、姫野が80kg程有るので馬が可哀相と言ったらおやじも1㎏でも人が乗る体重が少ないほうが良いと言った。
別な本を調べたら何と在来馬で特に小型馬は40kgの体重の人から乗って慣らし行くと書いて有った。(乗らなくて良かった)
宮古馬牧場は雌しかいなくて子馬を売って営利を目的としているようだった。

宮古馬牧場   宮古馬の概要

(宮古馬牧場)                           (宮古馬の概要)

宮古馬の概要

(宮古馬の概要)

荷川取牧場は現在3頭を北海道の日高の牧場に送り繁殖をさせているが自然の餌で無い為丸々太って宮古馬らしく見えないそうです。
宮古ではサトウキビや芋のツルなど自然にある物だけで育っているのだそうです。
頭を触っても全く無頓着で気が良いようだったが、何とかわいい子馬が脱兎の如くもの凄いスピードで3周程駆け回るのを見て野生は凄いと思った。
荷川取の「おやじ」も一番最初に別の牡を馬の家族に入れて、もの凄い争いになり、手首から腕を噛まれて1ヶ月ほど入院したそうです。
その傷跡が痛々しいほど残っておりました。
普段は大人しくても野生はいつ暴発するかわからないのです。
やはり調教はとても大切なようです。
人間も同じで教育や教養をしっかり身に付けさせる必要が有ると確信しました。

宮古島は今回で3回目ですが、島全体がサンゴの白い砂に囲まれていてとても綺麗でゴルフ場も多く、食べ物が美味しいのが気に入ってます。
唯一の欠点は飛行機代がサイパン/グアム/ハワイと比較すると高いのが残念です。

初日はシギラベイ・サイドスイート・アラマンダのレストランで初めて見た草履海老を追加料理として8千円も出して初めて食した。

草履海老   

身を刺身で食し、後は味噌汁にしてくれたが、身を出されているのに目だけ動くのが印象に残った。
残酷な気もしたが、人に捕らえられた以上誰かに食されるのなら自分が食べようと思ったのです。
しかし、一口しかないような身だったので、とても高価で有りました。

食べ物では宮古牛の特選カルビや刺身がとても美味しかった。
これは毎回食べても飽きない気がする。

宮古牛の刺身

(宮古牛の刺身)

脂が生の(冷凍で無い)味がして甘く本当に美味しかった。(100g2000円以上なので少し高い気がする)
島内での宮古牛はたくさん生産できないようで予約が無いと食べられない店も多いようでした。

今回はシギラベイカントリークラブでゴルフを2回したが、INの最初が465ヤードパー4の登りでとても難しく設計されている。
最初はやはりダボだったので2回目は気合を入れて3オン1パットのパーを取ることが出来た。
至る所に様々な花が咲き乱れていてたくさんの蝶にも会えた。

   

又、今回米国ともめている米軍の移設の場所の1つと考えられていた下地島空港を見たくて隣の伊良部島へフェリーで行って来た。
空港が一周できるのに驚いたがこの日は黄砂がすごく、その中で日本百奇景の一つと言われ、引き潮になると次は姿を表す岩の大群も見ることが出来た。

伊良部島と下地島   黄砂にかすむ下地島の奇景

(伊良部島と下地島)                  (黄砂にかすむ下地島の奇景)

又、通り池と呼ばれる丸い池(地下の石灰岩が海水で侵食され地表が陥没して丸い池のように見える)が有り、絶好のダイビングスポットになっているとのことで有った。
2012年には宮古島と伊良部島に無料の伊良部大橋が完成するようで、次回来るのがとても楽しみです。
又、シギラベイには今年4月末にシギラ温泉「奇跡の湯」が完成するらしくそれも楽しみです。
宮古島には全て無料の伊良部大橋、池間大橋、来間大橋が有り、すべて繋がる訳です。
次回は本当に楽しみですが、ゆっくり1週間程居たいものです。

宮古には 琉球王朝 誇り有り
宮古馬は 11ヶ月も 腹にいる
宮古豚 よくよく見れば デンマーク
沖縄も 宮古も言葉 わからない
黄砂降り 宮古はかすむ 海の上
夜間飛行 お供は星と 青い月
深夜バス 人間模様も 運んでく

追先日NHK-BSを見ていたらアメリカのボストン近くの小さな町の小さな会社の特集をしていた。(姫野は見たのが3回目です)
従業員の平均年齢77歳、最高齢94歳、試験バリを製作し、親子3代続いている優良企業なのですが、社長以外は全て平等で時間給なのです。
これを企画しているのがドイツのテレビ局で社員一人一人にインタビューをしておりました。
いつ休んでも、いつ病院へ行ってもOKなのだそうですが、皆さん楽しそうに話しており、「隠居生活なんて真っ平だわ」と言っておりました。
自由に出来る訳は作業を細分化し複数の人が同じ行程をやる事により生産性と抜ける人のカバーが出来るのだそうです。
たまたま家内も居たのですが、「良く見とけ」と言っておいたらしっかりと見ていた。
どうも日本人は仕事を楽しく思う気持ちが足りないような気がする。
我慢我慢して働いて来たのだから好きな事をやるというのは聞こえは良いがボケに向ってまっしぐらですね。
こんな会社を作れたら本当に楽しいと思うと同時にアメリカの懐の広さを見せつけられたような気がしました。

オワリ

管理50周年記念フォーラム

2010年03月19日

10年前に姫野の卒業した慶応大学現工学部管理工学科の40周年をブロードの場所とサーバーを使って記念フォーラムの準備をし、日吉の隣の矢上台で行った。
200名ほど集まっていただいたがささやかながら手作りの良い会で有った。
会が終わり最後の打ち上げも海外出張で欠席となりそのままで終ってしまっていた。
どう言う訳か姫野は「金庫番」の役目ですべて(実行委員の手弁当による発表で)「ケチケチ」で終了した。

昨年春頃から大先輩の松平さんから来年50周年だから何かやらないといけないと、日吉に新築された「協生館」のフランス料理で大学の数人の先生と会食をした。
結局これで又、「金庫番」をやる羽目となってしまった。
なかなかのフランス料理でしたが食べ物に釣られる悪い癖は本当に直らないものです。
銀行で「管理40×××」を「管理50×××」にすぐに直してもらって口座№を変えず振り込みの口座を新しくしてもらった。
今回のメインとして1部上場の大物社長経験者をスピーカーに呼ぶ事にして、ブリヂストンの前社長の渡邊先輩、日本IBMの前社長の北城先輩、現役の花王の尾崎社長(姫野の同期)をなんとか口説いて一人20分程、学校で学んだ事や役に立った事、立たなかったことなどを話していただき、その後50、40、30、20才台のOB代表とパネルディスカッションを行う事とした。

今回は管理工学科の先生や学生にとても頑張っていただいて姫野の出番はほとんど無かった。
色々有ったが司会を含め全ての出演者を管理工学科OBが手弁当でスムーズに行って大成功でした。

協生館   協生館

協生館、500人収容

渡辺先輩   北城先輩

渡邊先輩                                    北城先輩

尾崎先輩

尾崎先輩

パネルディスカッション   パネルディスカッション

パネルディスカッション

入場者も300人をはるかに越えたようでとても嬉しかったが、入場者の方々が「今回のフォーラムは本当に良かった」とたくさんの人が言ってくださり、ようやく肩の荷が降りた。

福川先生と第3期メンバー   手伝ってくれた学生

福川先生と第3期のメンバー                     手伝ってくれた学生

自分では何にもしていないと思っていたのに11時過ぎに家に帰りケーキとお茶だけですぐに眠ったのに夜中に胃が痛くて眼が覚めた。

体力の「衰え」を身に沁みてつくづく感じた。

何かにあたった訳でも無く、たくさん飲んだ訳でもないのに単なる精神的疲れによる肉体疲労だと思われた。
今までの不摂生(酒の飲み過ぎ)が一気に出た感じがする。
それでも次の日曜日には乗馬クラブに8時に行き、久しぶりに「ガイモン」の顔を見て手入れをしてやりながら8:45分から騎乗した。
そうすれば胃の痛みやお腹の重いのが無くなると思っていたがそうでも無く朝から何も食べて無いのがいけないのかと「ホットカルピス」と「ホットケーキ」をお昼につまんだ。
無理に頼んだ「ホットカルピス」(普通は氷入り)が胃に効いたようでかなり痛みが減った。
その日は東京運用会の20周年の宿泊先の下見に行く必要があったので3時頃着替えもせずそのまま車で熱海に向い1泊して次の日ゴルフコースの下見も行った。
さすがにその日はお酒は一滴も飲もうとは思わなかった。

話しが大分外れてしまいましたが、今回の50周年は色々考えさせられることが多かった。
特に慶應工学部は頭初から「小金井」に有り、私が最後の代で有った。
翌年から矢上台(日吉の近く)に工学部が移り、古き良き工学部を知る人はいなくなったので有る。
今回の講演者すべて小金井組で有って、いよいよ小金井組の最後を迎えたような気がするのです。
特に姫野は病気で1年休学となり矢上台も経験する事になり、友達が2倍となったのです。
友達はどちらの年代にも多く、楽しい時代を過ごしたのですが、後10年後の60周年となると小金井組はすべて70歳以上となり現実的には実業から引退となる訳です。
又、今回の入場者も小金井組が多く、これからの10年はよほど学校も卒業生も努力しないとこのような会を開くことは難しいと思われるからです。

しかし今回の会で良かったのは一部上場で有れ中小零細企業で有れその社長を目指す事、目指す気持ちを育てるのが「管理工学科」で有ることが再認識された事です。
一部上場の社長になるのは「宝くじ」に当たるより難しいかもしれませんが、社長の気持ちになって仕事が出来る人になれればこれ程嬉しく逞しい事は有りません。
その芽を大事に育てられれば「管理工学科」の未来は明るいと思われるのです。
又、これからのグローバル企業の社長の要件の大きな1つにITを理解する力が必須だと言う事も追い風にしなくてはいけません。
北城先輩が熱く語られた中で「技術屋は営業は出来るが営業は技術屋になれない」真にその通りで管理工学科はれっきとした技術屋集団なのです。
又、3人の社長に共通していたのは事業の撤退や人員整理などの負の処理に関しては絶対に人任せではなく、社長自ら決断して責任を持つ事と言われたのも修羅場を潜り抜けて来た迫力が有りました。

日本の産業や企業を引張って行く管理工学科の卒業生がたくさん出てくることを心の奥底から期待したいと思います。
とにかく色々と考えさせられ少し興奮してすぐ眠れない珍しい夜を過ごしたのでした。

管理50 目出度いながら 苦労あり
管理50 次の60は 我おらず
自己虫も 五十過ぎれば くそおやじ
やらされる その受身かた 死を招く

オワリ

伊丹の白雪へ行って来ました

2010年03月08日

通年だと3月3日の女の子の日はブロードの創業記念日でお休みなのですが、今年は大阪出張も重なり3月23日に振り替えた。

創業の 心忘れし 雛祭り

24年も経つとこんな気持ちになり自戒の念しきりでした。

その前週の2月の最終金曜日に伊丹の蔵元「白雪」のレストランへ行ってきました。
「コンピュータ運用を考える会 大阪」で伊丹でのセミナーが有り、帰りの懇親会に40名程で立ち寄ったのでした。
白雪と言うと「あまい」酒と言う先入観が有り、どうかな・・・と思っていたら、何とオランダ系の4種類の生ビールを出していた。
1時間半一本(?)勝負でビールを2種類2グラスまでで後は「男山」の冷酒がかなり人気だったようです。(男山と言うと北海道を思い出しますが)
まさに

白雪に ビール溢れる 所有り

   

で旨いビールでした。
地元の人は達者なもので2杯だけのビールのはずなのになんだかんだ言ってビールをお代わりしてました。
関西人てほんとにこんな時のネゴは最高ですね。
(私も4杯程おこぼれを頂きました)

ねばる客 飲み放題は 頼み勝

   

つまみも関西らしく量、質とも豊富でした。
何人かと男山の一気飲みをやってしまい大阪心斎橋のホテルに帰ってきた時はかなり回っておりました。

へべれけな 量を飲みたい 時も有る

といつも飲み放題の後は自分を慰めております。

追 次の土曜日は東京で「志の輔」の落語会のお誘いが有り、大阪から直行しました。
場所は東銀座の為「満福食堂」で日本酒2合と生ビール1本を頂いた。
つまみに「支那竹」「餃子」「春雨」などを頼んだが、すべて薄味で真に昭和の味だった。
一人で飲んで寂しいので落語に誘ってくれた義理の兄(?)にメールしたが飛行機の中だったようで連絡が着かなかった。

古き良き 昭和が残る 満福屋
銀座とは 昭和で終った 場所となり

 

「志の輔」は富山県の出身で良く知っていましたが、いつも笑わせる軽いタイプだと思っていたのですが、二つ目の「百年目」をゆっくり聞いてなかなかだなあと思った。
社員教育に(人生の一つとして)「志の輔」の「百年目」を使いたいと思ってCDを買おうと思ったら市販されてないとの事で諦めかけたのですが、所属事務所に連絡し、特別にくれると言うので確か2800円を振り込んで直接購入できました。
本当はライブの時しか売らないそうで「ライブに来て下さい」と言われました。
社員がどんな反応するか楽しみです。
「百年目」はテレビなどのマスコミでも良くやるのでご存知の方も多いと思いますが、約1時間程なので独演会など無ければ全部を聞く事は難しいのです。
そんな意味では久しぶりの舞台は楽しかった。
9時過ぎに終り、あまり食べたくもなかったが他の方々の為に前もって調べておいた銀座で40年やっている秋田「きりたんぽ」の店にお連れした。(姫野は30年ぶりでした)
又、日本酒を卑しくも3合程頂いてしまった。
本当に充実した一日でした。

酒飲まず 落語なんざあ 聞かれない
雨降って 晴れては春が 近くなる
一人酒 飲む程発句 生れけり
志の輔は 人情噺しで 花が咲く
捨てる神 自分が捨てられ 泣いている

 

オワリ

冬の佐渡へ行って来ました

2010年02月23日

2月14日(日)に福岡から舞い戻って来て水割りを少し飲んで早目に休んだのですが、12時頃に携帯を見ると大阪の社員の父上が佐渡の自宅で亡くなられたとのメールが入っていた。
午前2時頃に15日(月)にお通夜、16日(火)に告別式を行うことになったとの再メール有り。
場所が全くわからないのでgoogleですぐ調べフェリーの時間、Taxiなど乗り継いでおおよそ見当がついた。
どうあがいても東京から日帰りは難しく、両津からの最後のフェリー19:30に乗って22時頃に新潟港に着くのが精一杯であった。
結局朝まで起きていて7:00に会社に行き、社員に報告して8:30分には東京駅へ向った。

何となく旅行ボケしているのと寝不足で少々ボーっと(もともとかな?)佐渡に出かけた。
新潟は実母の実家が有った所だったので土地勘もあり良く知っていたので楽でした。
カーフェリーに乗ろうとして待っていたらブザーが鳴ってジェットホイルが出ると言う。
1時間半も時間が短縮されるので窓口で聞くとベルが鳴っているけど気にしないで下さいと言って差額を支払って乗る事が出来た。
昔は水中翼船と言っていたと思うのですが、海面から浮かび上がる為波の影響を受けず、時速も70km程で音も静かで楽であった。

社員の父上が亡くなられたら何が有ってもお通夜には顔を出そうと決めているのですが、今回は遠く、寒くかなり厳しい旅となりました。
又、月曜日は「友引」なのにこの地方では24時間経つとお骨にしてしまうそうで写真のように「骨」になっていて何となくお通夜のイメージにそぐわなかった。
別れが早すぎるような気がするのでした。

   

   

お通夜より 先に仏が 鎮座する
無理をして 更に無理して 行くお通夜
佐渡汽船 ジェットホイルで 生き残る
佐渡の海 大揺れフェリー 闇の中
冬だけは 1人で店やる 両津婆
厳冬の 佐渡で弔い 辛い夜

両日とも良い天気に恵まれましたが寒いのには参りました。

   

オワリ

久しぶりの鹿児島

2010年02月22日

2月12日に休暇を取って久しぶりに鹿児島に有る日本秘湯を守る会の宿の栗野岳温泉「南洲館」へ行って来ました。
前回は2年前の3月21日に行ったのでほぼ2年ぶりとなります。
今回行ったきっかけは、日本秘湯の会はスタンプ帳が有り、10個スタンプを集めると宿泊した宿の中から抽選で1泊招待となるのです。
従ってたまたま当たったと言う訳です。
源泉90℃と様々な(4つの)お湯が有り退屈しませんが、近頃テレビで紹介されて有名になったようで、多くの地元の人々が日帰り温泉を楽しんでいるようです。
前日の雨のせいで温泉の湯量と温度が高くなっていて「入る前に良く確認して入って下さい」と書いて有りました。

   

   

栗野岳 熱くて入ぬれ 南洲館

受付に前回は見なかったボーダーコリーの「レオ」(2歳)が居てとても楽しかった。
次回会うのが楽しみです。

   

   

地獄谷 南洲館の 見せ所

招待は1泊のみなので翌日は高速バスで福岡へ行きました。
目的は3年ぶりの「六三亭」でふぐと自家製の明太子を食する事でした。

   

姫野の定番の持ち物です(博多駅前のやま中寿司で撮りました)

とても繁盛していてゆっくり「おやじ」と話しが出来なかったが、しばらくお店に出てなかったお母様が元気にやっておられた。
よくまあこんなに人が来る店が有ると思うほどだったがとても安心できた。
ここの「ふぐ」は目の前で捌いて出すので、とても薄く淡白なのが特徴ですがこれもふぐの中の絶品です。
自家製明太子は美味しいのですが「おやじ」は素材が全てですよといつも淡々として言う。
傷物の「切り子」をたくさん買ってきた。

こだわりの 六三亭は おおはやり
自家製を 素材の味と おやじ言う

福岡ではいつも「岩田屋」の地下の食品売り場に寄って「鯨の脂身」と「うに」を買うのですが、今回は「うに」が無かった。
売り場のおやじに「何故「うに」が無いの」と聞いたら「純国産品が手に入らなくなった、必ず海外との混ぜ物となるので止めた」と言うのです。
「うに」の代わりに「このわた」を二本買ってきた。
「鯨の脂身」は短冊薄切りにし、まずお湯で表面の脂を落とし、味噌汁にするのです。具は「なす」だけです。
この食べ方は姫野家だけかもしれません。
翌日は柳川の「御花」に泊まりました。
結婚式で賑ってましたが、どういうわけか大きな部屋(3間)にUpしてくれた。
200本の松の庭園は仙台の松島を写したと言われているようですが、3人の庭師が手で朝8時から夕方5時まで松の手入れしていた。
多分全部やるのに1年がかりなのだと思う。
柳川は有明湾に面してしかも福岡県だったのが初めてわかった。
又、「北原白秋」の生誕の地でもあった。

柳川で 川柳作る 面白さ
松濤園 200本の 松の海
味甘く 柳川料理 飽きが来る
ゆっくりと 旅する楽しみ バスに乗る
熱燗を 飲む楽しみも 後わずか

   

   

 

オワリ

新年も新しい味の発見

2010年01月27日

毎晩毎晩酒席が続くのですが(12月から1月までは土日も入れて休む日がまったくなかった)何と言っても楽しみは、今まで自分の足で探して維持して来たお店にお客様と行って誉められる事です。
お客様から人生の友にその瞬間変わって長いお付き合いになる事程嬉しいことはありません。

昨年は御茶ノ水にあるおでんの「こなから」本店でした。おでんにしてはかなり高めですが「かきおでん」の味は忘れられません。
又、お母さんと娘さんの受け答えや応待がとても気持ち良いのです。
味も薄味でのどが渇くことも無く最高なのですが、予約が取り難いのが大きな欠点です。
特に寒くなるとよほど前から予約しないと席が取れません。外に居て寒いとふと「おでん」と思い電話をすると今日は一杯ですPM8:30からならばとの答えがほとんどです。
でも美味しいですね。

今年に入ってこれはと思ったお店が2軒有ります。
1軒は神田明神下の「高勢」もう一軒は大阪難波の「木津市場」に有る「まるよし」です。
両方ともぶらりと入ったのですが「高勢」は、人肌より少し熱いシャリで握った鮨やシャリがくずれるような巻物が出てすっかりはまってしまいました。(ランチは2000円~4000円)
これまで「高勢」を知らなかったのですが、のれん分のご主人の気風の良さも手伝って感動してしまいました。

人肌を 超えて美味しい 高勢鮨

大阪の木津市場の「まるよし」は先週初めてぶらりと入りました。
お昼1時までしかやっていないのですが、おすすめの天然ふぐのにぎり、はげのにぎり(かわはぎ)、太刀魚のにぎり、平目の白子のにぎり、鉄火巻き、酢の物、粕汁を食べてお腹が一杯で1人2300円。
特に平目の白子のにぎりは最後にお腹が一杯なので後一皿何かここでしか食べられないのを出してと言ったら、しばらく考えていて、出してくれたのです。
本当に絶品でした。ものすごく得をしたような、幸せな気持ちになりました。

フグ握り 木津のまるよし 良い所
まるよしの 平目の白子で 我虜

月1回は大阪に行くので、何とかして昼をこの「まるよし」でと強く思っております。
この日はとても運が良かったのか、夜行った京都の「余志屋」でいつもの鴨のあぶりから始まっておばんざい料理を食べていたら、目の前で丹波牛を塩、コショウだけで焼いていた。
「美味しそうだねえ」とおやじに言うと何と、その牛を自慢しながら出してくれた。
そのあぶった外側と内側とのバランスがものすごく良くて、思わず言葉を失った程でした。
毎度の暴飲暴食ですが、この日ばかりは、幸せの一言でした。

余志屋には 先斗町の 色香あり
(先斗-ぽんと)

いつもの事ですがスーパーオーナーシェフ達との会話程楽しい物は有りません。
これが出来るだけで「生きてて良かった」と毎晩感謝して眠る日々が続いております。
感謝感謝。

多摩川の 川面に光る 春の波
寒暖の 差が身にしみて 春が来る
人生を 遊び心で 終わりたい
教育と 旅はいつでも 終り無し
こんなやつ 思う下にも こんなやつ

オワリ

強羅温泉に行って来ました

2010年01月15日

1月11日(月)の成人の日にラフォーレ強羅へ行って来ました。
何と90歳と85歳の母親と60歳の家内と狭い部屋に4つのベットを並べて休みました。
ラフォーレの中でも強羅は部屋数が最も少なく(30ぐらい)予約が取り難いので有名であった。
1/8に電話を入れたら空いていたのです。
義理の母が金沢へ近々帰る事になっており、これが最後の旅行かとも思い、出かけました。
生憎朝から雲だったので富士山を見る事は出来なかったけれど、やはり強羅の泉質は素晴しかった。
室内の大浴場は無色透明、外は乳白色の硫黄温泉。
その掛け流しの湯量の大さと滑らかな泉質がとても快かった。
料理もフランス料理で2人とも全く残さず食べていた。
2回目のお風呂に入って10時過ぎに戻ってきたら、何と鼾の合唱が有った。
特に85歳の私の母親が凄かった。
母親もこんなに変わってしまうのかとつくづく考えさせられてしまった。
自分の雷を棚に上げて本当に凄かった。
3時前に目が覚めてそのまま朝になってしまった。
年は取りたくないものですね!
昔の母親のイメージがどこかへ飛んで行ってしまいました。
新年早々親孝行をしたのですが、少しほろ苦い味となりました。
帰りは朝食を食べ雪が降る前に家に着く予定で出発したのですが、わずか1時間ほどで家に着きました。
午後から箱根はかなり雪が積もったようです。

朝早い 鼾のお陰で 句作出来
強羅の湯 白く濁りて 溢れ出る
一月の 陽に輝く 新芽かな
姫初め そんな事も 有ったかな
新年の 大吉みくじ ほっとする

追)
新年は乗馬に2回程行っただけでとてものんびり過ごすことが出来ました。
日本航空の社長に「利他の精神」の京セラの稲盛和夫(77歳)さんがなられるとの事なので、新しい時代の幕開けに相応しい成功を収めてもらい、これから益々良いことが多くなる年となってもらいたいものです。

 

お正月 湯島の梅は 咲きにけり
いつまでも 元気で鼾 掻いとくれ
耳栓で 鼾合戦 水入りに
わが娘 一日居なくて 後を追い
我が心 傷つく程に 犬が舐め

オワリ

 

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