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Topics国内 2008年
2008年12月22日
2008年の節目「3人を偲んで」
2008年11月17日
人間は2本足で歩いたサルから生れた
2008年10月10日
予約が必要ですが
2008年09月12日
IT業界にITを活用する
2008年09月09日
ラン・オブ・ハピネス
2008年08月15日
「夏の蛍」を初めて見ました
2008年08月05日
楽しい夏がやってきました-2
2008年07月25日
楽しい夏がやってきました-1
2008年05月31日
りはめより100倍恐ろしい
2008年03月28日
天孫降臨の国へ行って来ました
2008年03月25日
え?  そうなんだ!
2008年03月11日
今年は出雲大社へ
2008年02月08日
「日本秘湯を守る会」とちょっといい話
2008年02月04日
「鳥栄」に行ってきました
2008年02月03日
節分
2008年01月15日
久しぶりに文字文化の生活へ
2008年01月07日
2007年から2008年への流れの中で

国内情報(2008年)
2008年の節目「3人を偲んで」
2008年12月22日 

2008年は姫野にとってとても大きな節目の年となりました。
来年の厄年を前に何と言って良いかわかりません。
富山高校からですから45年も前から弟のように思っていた藤野信行さん(高校時代の唯一の友人で福井県芦原の住職兼園長さん)が、東京へ出てきて38年間東京の父として思っていた小倉一春さんが、又、独立する前からの大先輩で30年程親しくお付き合いいただき義理の兄と思っていた柴田亮介さんが各々今年ガンで旅立たれてしまった。
こんな年も有るのだと思うけれど残された自分としては3人とも死に目に会えず、何となくひょっとしたらと悪い思いがそのまま当たってしまったのです。
病院で苦しむ姿や元気な時と全く別人のような姿を見なかったせいか元気な姿だけが脳裏に刻み込まれて天国で誰と何をしているのやらと思うことが出来るのが自分に対する何よりの気休めとなっています。

3人の楽しい思い出を考えていると自分だけが取り残されているような気になると同時に3人の分まで頑張って世の為人の為精一杯頑張ろうという気にもなってくるのです。

特に東京の父と思っていた前メヂカルフレンド社の小倉社長は「日本の医療と看護の父」と言われ、私が昨年体調を崩した時、私は長い間慶應病院がかかり付けだったのに国立がんセンター中央病院長の土屋先生をすぐご紹介いただき「姫野さんにもしもの時が有ったら先生、日本の最高の医療で何とかしてやって下さい」と目の前で仰った。
そんな立場の方が全身に悪性ガンが発症し、あっという間に亡くなられた。

12月のお別れ会に少し早く着いたら私は2番目で私の隣には1番目にお見えになられた国立がんセンター名誉総長の末桝さんがいらっしゃってしばらくお話をさせていただいた。
何か小倉さんにはこれからもずっと姫野を見守っていただけるような気がして仕方が無い。

2008年は100年に1回の大恐慌というもの凄い年となりましたが、私にとっても人生1度の大変な年となりました。
今回の大恐慌は個人的見解としては規模やお金中心の資本主義の限界と大きな技術変革(ex車のエンジンが要らなくなるとか素材革命により今までの考えが通用しなくなるなど)の波が押し寄せてきていると思うのです。
そんな意味ではこれからの10年はとても楽しみな年でも有ります。
自分も飲み込まれるかも知れませんがそれも良いと思うのです。
とはいえ流れに身を任せるしか手立ては無いのですが、もう少しで読み終わる「埴谷 雄高(ハニヤ ユタカ)の死霊(シレイ)」を読んだせいか少々の事は気にならなくなりました。
本の力は本当に凄いものですね。
今年もたくさんの本のお世話になりましたが、自分が本を読む趣味を持っていてつくづく良かったと思っています。

今年の12月には88歳になる家内の母親も同居し、83歳の実母、人間の年にして80歳程と70歳程の犬の娘、59歳になる家内とまるで我が家は「ババ花盛りの家」となったのですが、自分も負けずにピンピンコロリを目指して頑張りたいと思います。

追)年越しで1つだけ残念なことが有ります。
12月上旬にある会で京都「出町ふたば」の塩大福がとても美味しいと話題になり、翌日京都でたまたま会食が入っていたので朝8時の新幹線に変更してわざわざお店へいったのですが何とその日(火曜日)は定休日だったのです。
これには本当に無念と言うか残念な思いでしたが、1月に是非とも再チャレンジする事にしてます。
新年の大福を楽しみに年を越します。

オワリ

 

人間は2本足で歩いたサルから生れた 
2008年11月17日 

昔から言われている事ですが、人間の腰痛は「人間が2本足で歩き始めてからの宿命」とずっと私も思っておりましたし、皆様もそう思ってらっしゃる方が多いと思います。
所が先日NHKのテレビを見ていてこれは誰かが作った1つの仮説で有り、どうも嘘と言う訳です。
テレビの展開をご覧になった方々も多いと思いますがとても興味深かったので簡単に御紹介いたします。

先ず、未だ狩猟民族がいるアフリカに突然テレビが移り、彼らの1日の移動距離を調べインタビューしているのです。
その人々は大体1日20~30kmを移動しているようですが、腰が痛くなった事は有るのかと言う質問に皆「有る」と言うのですが、良く話を聞くと「木の上から落ちた時」とか、「どこかに腰をぶつけた為」に痛くなるのであって、現代人のような腰痛では無いことがわかって来るのです。

そして、今から1万年以上前のまとまった墓から、たくさんの腰が変形した人骨が見つかったと言うのです。
ここで「人間の腰痛は狩猟文明から農耕文明に移行したことによって起き易くなった」と1つの仮説が出てくるのです。
稲刈りや籾を取る作業が腰痛を発生させることになったと言うのです。
又、腰の負担は前傾になると立っている時の4倍にもなるとのことでした。
人間は農耕文明により富を得ることが出来るようになったが、一緒に腰痛も背負う事になったのだそうです。

さらにもう1つの原因は現代病としてストレスが引き起こす腰痛で、もの凄く痛いのだそうです。
これは、どこも悪く無いのにドンドン痛くなり歩く事や寝返りさえも打てなくなる人が居るのだそうです。
1つの例として、ある有名な女性作家のインタビューも有りました。
色んな医者(整形やカイロ、鍼etc)に行ったが全く良くならず最後に神経内科に行って自分のストレスが認識出来始めると嘘のように腰痛から開放されたのだそうです。
テレビでは脳の動きなどもやっていました。

腰痛は人間が富を得る為の代償として天が人間に与えた物だとすると何たる皮肉なことでしょうか?
又、一般常識でも科学が進歩することにより、まったく異なる回答になったり、常識が非常識になることが多々有ることがわかるのは大変有意義でも有り、楽しくも有ります。
久しぶりに「テレビは凄いね」と思う番組でした。
有る人曰く、「カイロなどの医者は完治させないのがコツ」なんて悪口を言われていても、その時はかなり気持ちが良いのでどうもその快感でごまかしてしまい、自分で根治する努力をしない(出来ない)事が多いと思うのです。
自分が30年間苦しんだ腰痛も現在全くと言って良いくらい出なくなりました。(28歳でゴルフ場で起きたぎっくり腰が慢性化したようです)
常時右側の腰が重苦しかったのですが、今は全く問題有りません。
自分としては2年経った毎週土、日の乗馬と毎日30分の腰湯と禁酒がこんなに自分の身を楽にしてくれるとは思いませんでした。
ほとんど毎日飲むようになったお酒は40年、腰痛は30年、これは自分がお墓に入るまで続くと思ってましたが常識は覆ったのです。
この3点セットがいつまで続くかわかりませんが相当永く続けて残された最後の時間を楽しく過ごしたいと密かに考えております。
おかげ様で20年間続いていた週1回程のカイロに全く行かなくなってしまった。(年間20万円程?)
又、我々男にとって(失礼女性もですね)お酒はとても大切なものだと思うのですが、身近にいる優秀な人々も気がついたらお酒依存症に近くなっていて、しばらくぶりにお会いするととてもがっかりさせられる人が居ることが有ります。
又、本をたくさん読んでいらっしゃる人は陳腐化しないようです。
何か、残り少ない人生の最後の仕上げの大切な時間をお酒に奪われ浪費してしまっているような気がするのです。
(最近お酒は薬として1合ぐらいで済ませてます)
自分もほんのちょっと前まではそうだったので人に言える立場では有りませんが、あえて「酒飲みに」言いたいのです。
お酒で自分をごまかしてませんか?
お酒で本質を見る力を失ってませんか?
残りの時間をP,P,K(ピン、ピン、コロリ)で終る準備をしてますか?
自分の人生は誰のものでも無く自分のものでしか有りません。
良くメタボは生活習慣病と言われてますが、自分で作った生活パターンを定石としてその罠に嵌ってませんか?
米国のオバマではないですが「CHANGE」する勇気もたまには必要だと思うのです。
そんな事を考える時がいつか来るのでは遅いかも知れませんが、その前に是非楽しい人生を送る努力をしてみようでは有りませんか。

オワリ

 

予約が必要ですが
2008年10月10日 

いよいよ「天高く馬肥ゆる秋」の季節となってきました。
最も中国ではこの言葉は夏の暑さから解き放たれた馬が元気になってきて「匈奴が又、攻めて来る」の意だそうですが、なんでも海外の物を都合よく取り込む日本人のたくましさ(?)には本当に驚かされます。
又、漢民族がその為に宇宙からも認識できると言う人工の建造物「万里の長城」を創ったのも、とても日本人には理解出来ないことで有ります。

そんな何百年単位の歴史の時間を感じさせるのも素晴しい秋ならではではと思います。

さて、本郷界隈にも百年以上続いているお店もまだ多く有りますが、最近ご紹介したいお店を2つUPいたします。

1つは、神田明神下にある、山口瞳が愛した「左々舎」(ささや)です。

左々舎(ささや)さん

店の前から入ってすぐに看板娘の24才の猫茶々が迎えてくれます。
もっとも気持ちよく眠っているのをこちらが起こしてしまうのですが、人の会話を聞いているのではと思う程です。

看板娘の茶々24才  茶々

中へ入ると正面に山口瞳が墨で書いた「極楽蜻蛉」の大きな額が掛かっています。
(この額は8月と9月だけだそうです)

山口瞳が墨で書いた「極楽蜻蛉」  山口瞳が墨で書いた「冬の夜に風が吹く」

ふくの季節は「冬の夜に風が吹く」がご主人のお勧めでした。
料理は季節で決まっていて9月中旬から3月下旬までは「ふぐ」、4月から6月は「鯛」、7月から9月中旬は「鱧」となります。
今年に入って山口瞳の本に書いてあったので探して、すでに3種とも食することが出来ました。
1月から3月のふぐの季節はなかなか予約が取れないようです。
今年は9月16日(火)からのふぐの季節に当日予約して行って来ました。
コースは7000円、9000円、13000円ですが、7000円ぐらいのコースでも充分だと思います。
夏ふぐのせいか味は「和歌山の安乗ふぐ」に似ているような気がしましたが、多分南紀で採れるふぐかなと想像しました。
ここはすべて天然物を使っているので鯛も鱧もとても美味しいです。
ここ50年程の時間が止まっているような気にさせるのですが、神田明神下の薄暗い通りもなんともいえない風情が有ります。
ゆっくり熱燗を飲まれる方には最高の店と思います。
ブロードの会社から歩いて10分はかかりませんのでいつでもご案内いたしますが、予約は必要です。
何とか後50年は続いて欲しいお店です。

2つ目は、京都「先斗町」に有る「余志屋」です。
すでに行き始めて20年近くになります。
年数回行ければ良い方ですが、知る人ぞ知る京都「おばんざい」の名店です。
かなり著名な食通も通う程の店で、今回も無理言って5時から7時までの2時間でお腹一杯食べてきました。

当日の料理を書いて見ます。

小芋の揚げ物(お通し)
茄子の煮びたし
鴨ロース
鱧の切り落とし(梅肉、わさび醤油)
お造り(鰹(薄腹・トロ)、鯛、うに、鯖)
鴨まんじゅう 出汁巻き+染め下ろし
ぐじの唐揚げ
もずく
釜飯(じゃこ・銀杏・鰹節)・・・チョイスがたくさん有ります。
アイス

一番高いコースのおまかせが1万円です。
でもこれを完食するにはかなり大食漢でないと無理と思います。(当然姫野は食べられますが)
釜飯は食べきれなければ「おにぎり」にしてくれますが、これも又、絶品です。

今回もカウンターに見たような人が来たと思ったら、藤山直美(父は藤山寛美さん)と母親と付き人、それに最初はわからなかったのですが、病み上がりらしい「前川清」でした。
藤山直美さんはお店を取り仕切って(鍋奉行のように)おり、お酒も飲まず舞台の話などをさかんにしておりましたが、眼光鋭く、なかなかの人と見ました。
(前川清は水のように白ワインを飲んでました)

2時間はすぐに過ぎてふと帰ろうと思ってお店の出口の柱を見たら三角の白い紙に「襟替え」と書いて貼って有りました。
おかみさん(今の板前の奥様、姫野は先代のおかみさんから知っています)に聞いて見るとあれは舞妓(赤い襟)から芸妓(白い襟)になった時を「襟替え」と言いお世話になった人やお店に挨拶するのだそうです。

襟替え  「市真芽」さんの手拭い

ちなみに舞妓としてデビューするのは「店出し」、芸妓を辞めるのを「引き祝い」と言うのだそうです。
そして記念と言って「市真芽」さんの手拭いまで頂戴してしまった。
(「襟替え」には「手拭い」を「引き祝い」には「白いおこわ」を出すのが通例のようです)
(どなたかお会いになられたら「余志屋」の話を是非出して下さい)
勘定しようとしたら時間が無くて1品(茶碗蒸し)出せなかったと言って千円も引いてくれた。
帰りしな忙しいのにオーナーの板前さんも挨拶に来てくれた。
一言ブロードの20周年の最初に書いたスーパーオーナーシェフの話をしっかり覚えてくれていて「私もそうなりたく努力します」と言われとても恐縮もし、感動もした。
年1回も行けるかどうかなのに、しかも毎日たくさんの人が(と言っても1Fはカウンター10席と4人掛けのテーブルが1つ、2Fは2部屋で10人程)来店しているのに本当に頭が下がる思いであった。
お店は5時~7時、7時半~の2回転ですが、予約はすべて板前の主人が確認する為予約する方は東京の姫野からの紹介と言っていただくと良いと思います。
単品を適当に頼んで2人で1つを食べるのが最適で1人5000円もあれば充分です。
(当然お酒は別ですよ!)
今回、紹介したお店が少しでも永く続く事を祈っております。
追)もし行かれる方の為に電話番号を記しておきます。

左々舎:03-3255-4969
余志屋:075-2210-5115

オワリ


IT業界にITを活用する
2008年09月12日 

昔から医者の不養生と言うか紺屋の白袴というか専門を得意とする業界は良くいえば人を中心に、悪く言えば俗人的になりすぎていて気が付くと回りの業界から見ると大変遅れてしまっている所がかなり有るようです。
IT業界も真にその通りで他部門のシステム化や効率化はお手の物なのになぜか自分たちのシステム化や効率化はかなり遅れて来ているような気がしてました。

最近黒船の襲来と言うか開発環境では中国やインドなどが価格と人的能力(?)により、日本の開発会社を席捲しようとしているようです。
特に日本のIT業界は8K産業と言われる程で優秀な学卒の新人達がIT業界を敬遠することが多いと言われてます。
これらも戦後日本のIT産業が人の数で勝負することで売上を伸ばし、大手として生き残り上場するパターンがあまりに多かったことが根を深くさせていると思います。

アメリカではTOPクラスの学生は大企業には入らないようです。
ITなどのベンチャー企業へ最初からチャレンジして入るケースが多いのです。
サラリーマンは安定はするが、アメリカでは決して高賃金は得られない。
自ら営業を希望して頑張って高収入を得るのか、ベンチャーに入り、一攫千金の夢を追うのかで有る。(その一攫千金の当たる確率が高いのです)
実力がすべてで人間関係が薄いと思いがちなのですが、意外や意外、人との付き合い方は日本人よりはるかに密な感じがするのが不思議です。

今から思うと、自分が独立して偶然にITの運用の世界、特にパッケージソフトウェアの世界に入ってから自分がやって来たことは、目に見えるようにすることです。
時間とかアクセス回数とか、メモリ使用量とかスワップの回数とか、数値から分析してとにかく高価なコンピュータを少しでも有効に活用できることが出来るソフトウェアパッケージを扱ってきた。
これは効果がすぐ出るので売り易いと言うか、わかり易いと言う事は有ったかもしれないが、基本的に大学時代に親しんだIE(Industrial Engineering)が自分の肌に有っていたせいだと考えています。
作業分析から始まった効率化や適正化の考えが自分としてとても納得出来たからだと思うのです。
今から思えば田舎からポッと出てきた青年がIEや経済性工学などを目の当たりにして初めて目からうろこが落ちる瞬間を自分で何度か体験できたと言うことでしょう。

そんなこんなで20年を過ごしてきた中で、今年に入って納得がいくと言うか、学生時代にIEに出会った時のような感激を味わっている会社に遭遇したのです。
姫野のホームページの海外の「久しぶりの海外出張」に書いたDenver近くのコロラドスプリングスに有る会社です。
ずっと言われ続けてきたコンピュータ運用に関して初めてIT技術を適応させて運用の効率を10倍以上向上させるものです。(部分的にわかるツールはたくさん有りますが、全体を見るのは初めてです)
極端に言えば今まで毎月100人で稼動させていた仕事を10人で処理運用できる訳です。
最初はそんな旨い話は無い。
現実はそんなに甘いもので無い。
などと思っていたのですが、仕事のやり方を変える事もあるかも知れませんが、色々調査したり、データを入手するに従ってだんだん納得しだしたのです。
それが最初にお話した「紺屋の白袴」なのです。

ブロードで販売している製品のほとんどはアメリカでこんなソフトが有るよと言う日本のユーザの紹介やユーザニーズによって日本に持ってきた物がほとんどなのです。
2つ目は海外に有るブロードのような会社との長年のお付き合いから、日本ならブロードでということで紹介を受けて始まるケースです。
今回も又、ユーザの紹介のケースなのです。

人海戦術の多い運用の世界ですが、そのツールを使った現実に数値化されたアメリカでの面白い数字をごく一部ですが御紹介いたします。


PCI DSS
セキュリティ要件

予測される
人手での
作業時間

ECMによる自動化での
作業時間
ECM※による節約時間
ECMでどのよう
に解決?
2.2
Configuration Management

400
2
398
標準構成の保証と
NISTガイドに
基づく機知の脆弱
箇所を是正する 
5.1/5.2
Anti Virus &
Anti Spyware
16
2
14

セキュリティ設定、
サービス,AVおよび
デスクトップファイ
ヤーウォールの正しい
構成を保証する

6.1
Patch
Management
120
2
118
セキュリティブレテン
(パッチ) の評価、
配布、確認をする
6.3/6.4
Application
Discovery &
Control
120
2
108
継続してソフトウェア
/アプリケーションの
ディスカバリとその詳
細の保存をする
8.5
User Accounts & Authentication
40
2
38
ユーザの正しい認証と
パスワード管理を確実
にする

 ※ECMはEnterpriseConfigurationManager


セーブされた時間:99%

又、統計によると一般的ユーザの運用者1人当たりの平均的サーバー管理数は20~30台でガードナーが良しとして推奨している台数でも40台です。
それがECMを使うと1人当たりの平均的サーバー管理数は100~300台程になるのです。
(サーバーの台数にもよりますが経験値で4人~10人/月作業が減っているとのことです)

この数値をどう評価するのかは別としてこの会社は(製品はECMというパッケージソフトウェア)何か有ると思うのです。
運用の世界は人がやらなくて良い(人がやりたくない)仕事がかなり有り、出来るだけその部分はIT技術を使うことにより、大幅に軽減されるはずですし、今まで人が管理、作業した事によるトラブルが大幅に減少する事も間違いないと思います。

社長以下大変ハイレベルで親しみを感じる人々ですので何とか現在この製品導入をする会社に喜んで頂き、日本のIT業界に新しい風を起こしたいと考えてます。
(この会社のアメリカ法人が使っている製品を日本に導入する為にブロードが正式代理店となってお手伝いをしているのです)

日本のIT業界は30年間市場が変わってません。
世界から見るとまさにガラパゴス諸島なのです。(大手メーカとNTTデータで80%を握っている)
又、この種のツール販売はコンピュータメーカーやアウトソーサーには絶対出来ないことだと確信しています。
自分がこのIT業界に何か残せるとしたら、企業が安心(安住)して、しかも適正の価格でIT技術を活用できることだと思うのです。
一部のコンピュータ会社に企業の命運を握られてしまう事ほどバカな話は有りません。 そして、IT部門が企業の中で最重要なポジションとして再認識してもらい他部門と同等以上の地位を確立してもらいたいと思うのです。
地球温暖化から始まり、最近は資源や食料問題にマスコミが紙面を浪費しているようにしか思えません。
グローバルで企業が生き残るにはITの効率的活用が絶対的に必要なのです。
これこそが日本の生命線だと思うのです。
そんなに大袈裟に考えなくても良いのでしょうが、何か新しい物に挑戦する時は妙に心が動くのです。
そんな気持ちになったのも20年ぶりかもしれません。
又、独立して20数年ずっと運用の世界に入って初めてこの業界に恩返しができるかもしれないと何となく動物的感で思っているのです。
こんな気持ちにしてくれた日本のユーザに感謝感謝です

オワリ



ラン・オブ・ハピネス
2008年09月09日 

今年の夏もいよいよ終わりのようですが、先日ある本を読んでいたら「室町時代の高僧が夏の夜は暑くて寝苦しい」と有り、なんと35℃と有った。
何となく近頃地球温暖化で今が特別暑いと思っているが地球規模から言えば1000年~2000年なんか誤差に近いと思う。
ここ10年/20年なんて御託を並べる必要もないのでは?とつい思ってしまう。

以前から最近乗馬にはまっているとお話しておりましたが、8月の下旬から新馬(と言っても3才の未勝利馬)調教にチャレンジすることになりました。
土、日は乗馬で駆歩をたくさんすると月曜日の朝はお尻の皮が剥けてかなり痛い時が多い。
水曜日にはだいたい良くなるのですが、「顔の皮は厚いけど尻の皮は薄いなあ」といつも思うのです。
そんなことも有り、だんだん年を取る事もあって馬の調教にチャレンジしていく事にしたのです。

馬に詳しい方のために書いておきますが、
父はマイネルラブ、母はリターンオブハピネスで平成17年4月10日生れの黒鹿毛です。
身体もまだ小さく優しい目をした男の子です。
だから新馬戦で未勝利で終ったのもうなずけるような気がします。
乗馬クラブに来る前に「玉抜き」をされていてまだ傷口が残っておりました。
とりあえず「引き馬」をやらされておりますが、たくさんの人がかまうせいか1週間前まで角砂糖すら食べなかったのに今は何でも食べます。
気が強くなくては競走馬として生き残れることは無いのですがランはそれが幸いして乗馬クラブに引き取られてラッキーでハッピーだったと言えます。(これから30年程は生き残れる可能性が大なのです)

3ヶ月程「引き馬」をして物音や風に驚いたりして急に早くなったりしないように訓練して 安定して来たら紐をつけて輪乗りをさせ、その後は鞍をつけて乗り、6ヵ月後には集団の中で落ち着いて行動出来るようにする訳です。

それでダメだと「熊本」送りとなって1kg?円で処分をされてしまうのだそうです。
何とかクラブの人に愛されて寿命を全うして欲しいと思います。
この新馬調教は6ヶ月で12万円程かかりますので決して安くはないのですが、現在3頭の新馬に20人程が契約しているようです。

自分は犬語が出来ると思っているのですが、(自称バイリンガルと言ってます)
その内馬語が話せるようになると確信してます。
現在2年経ちましたが名前を呼ぶとしっかり反応する馬がかなり出来ましたし、大きな目を見ていると何がして欲しいのか少しわかるようになってきました。
自分の娘もそうですが、とにかく話しかけてやることが大切で、しばらくすると相手がどんどん姫野を理解してくれると同時に自分も相手を理解していくようになっていくのです。
毎朝、上の娘は朝起きてからずっと姫野の追っかけをするのですが、「今日はこれから会社へいくよ。だからババの家へ行っといで」と言うとあっという間に姫野に興味が無くなり隣に住んでいる母親の家に喜んで行ってしまいます。
良く考えて見れば娘がバイリンガルな訳ですね。
失礼しました。
6ヵ月後には成功した新馬調教の話を報告させていただきたいと思います。

オワリ

 

「夏の蛍」を初めて見ました
2008年08月15日 

毎月曜日の朝は7時過ぎに出社して8時半から30分間全体会議が有る為休みにくく、いつしか夏休みは適当に取ることが多くなり、土、日を挟んで金曜日を入れ3連休にしてます。
昨年から、新人の初めてのゴルフ会を8月上旬の金曜日によみうりゴルフ倶楽部で行っており、今年も2組で回って来ました。
平日10時近くのスタートなのですが、健康保険組合のおかげで一人1万円程で回れるのです。(半額を補助してくれるのです)
35℃を超える猛暑の中でベストスコアを出すメンバーが続出しました。
夕方終了後、帰りは、ゴルフ場から20分ほどのわが家で焼肉のパーティーを開くのが通例となって来ました。
今回はパーティーのみ参加も入れ10人となりましたが、狭い部屋で全く仕事に関係ないダベリはそれなりに若い人には良い経験となっているようです。
10人も集まると一番大変なのは、年老いた娘モモとリンゴのようで、終わった後は、死んだように眠りこけておりました。
どちらかというとこちらが肉を焼いたりして、3時間程、飲んで食べてもらうだけなのですが、ゴルフで疲れているせいか食べる量も飲む量も知れてます。
それでも肉の食材だけで40,000円程になりますが、外であれだけの肉を食べれば一人、1~1.5万円はかかると思います。
そんな訳で、来年からは「美味しい肉を食らう会」としようと思ってます。
夏の暑い盛りのイベントですが、私にとって何となく新卒者の新人たちの成長を見る、楽しみな会でもあります。

話は変わりますが、8月8日のゴルフの前日に「神宮の花火大会」に行ってきました。
本郷に移る前は、ビルからも花火が見えて飲み会もやったりしましたが、年々有名になり、今年で29回目なのだそうです。
ブロードが西麻布から南青山に移ったのが、22年前ですから随分たっているのですが、驚いたのは、司会の「楽太郎」は第一回目から司会をしていたのだそうです。(本人が言ってました)。
来年は30周年の記念大会となり、しかも楽太郎が近々「円楽」を襲名するというのもなにかの縁でした。(翌朝の日経に載ってました)
個人としては、楽太郎が円楽になるのは大反対なのですが、円楽も弱気になったのだなぁとつくづく思いました。
会社も同じですが、自分の元気な内に、次のメンバーを指名するか、一代家業(企業)で終わりにするかは、早目に決めた方が良いと一般的に思えるのですが、そうも行かないのが世の中というか、人なんだと思えてくるのです。
しつこいですが、あの円楽をあの楽太郎がと思うだけで、円楽の価値が下がってしまうような気がします。(円楽や木久蔵は日本の一代限りの文化遺産だと思うのですが)
神宮の花火大会での昨年の楽太郎の司会があまりにひどかったせいもありますけど、 近頃落語会全体がとても小粒な人しか居ない腹立ちもあります。

またまた話が飛んでしまいましたが、今回も神宮球場の一番良い席で見せていただいたのですが、何となく昔と比べて花火が小さくなっているような気がします。
確かに都心の野球場の中なので色々な規制があるのかも知れません。
わずか一時間の花火大会で、前後一時間程はステージでのショーをやっているようですが、見たくもないので花火の始まる7時半から8時半までしか席におりませんでした。

花火大会では、野球場のグランドの中にも沢山の椅子があり、我々はスタンドの一塁の前から5列目くらいで見ておりました。花火との距離があまりに近すぎて、花火が満開になるのと音が一致しないのです。言って見れば音が先に鳴ってから花が開く訳です。
それでも迫力は十分でした。
ふっと花火の合間にグランドを見ると、「蛍」のような青白い光か無数に見えるのです。(おわかりのように携帯の画面です)
それも空にたくさんの花火が上がると、その「蛍」がどんどん増えるのです。
空の明るさとうす暗い地上の「蛍」の明るさとのアンバランスがとても見事で、正に「夏の蛍」が無数に飛んでいるようでした。
花火よりこの美しさにはしばし見とれてしまう程、29年目にして始めて味わった快感でした。
来年30周年には、さらに新しい感動を味わいたいものです。

オワリ

 

楽しい夏がやってきました-2

2008年08月05日

今回楽しみにしていたのは、インターネットで車用の冷蔵庫を買い、その最初の旅行だったのです。
実は30%オフで買えたのですが本当に使えるものなのか少し心配していたのです。
日曜日にオーダーして出発の前の日に着いたのですが、100V-12/24Vのコンバータも一緒に買ったので前の日に車庫で充ニ分に冷やすことが出来た。
(車の中は12V電源)大きな目的は低アルコールビールを冷やしておくことでしたが、全部で15コ程入るのですが、結構冷たくなっておりました。
次回以降大変楽しみとなって来ました。
この冷蔵庫は冷凍庫にもなりますが55℃くらいに暖める事も可能ですので冬も使い道が有りそうです。

最近友人が久しぶりにホームページを見たらあまりアップをされてないのでがっかりしたと言われ相当ショックを受けました。
やはり毎月1回はアップしないと評判は悪くなってだんだん見てもらえなくなっていくようですし、自分の整理もつかなくなって行くようなので何とか月1回はアップしたいと改めて考え直しました。

今年の6月は山桃の実が2000個以上なり、そのままの実を少し食べましたが、残りほとんどをジャムとして食べることが出来ました。
この山桃の木は2年前もたくさんの実がついたのですが、昨年はほとんど実をつけなかったのです。
庭師に見てもらったら玄関の1.5メートル四方ぐらいの大きなコンクリート製の鉢に入っていてこのままだと枯れてしまうと言うので今年の初めに大枚30万円程かけてクレーンで吊り上げて庭に直接植え替えることにしたのです。
そして今回見事にたくさんの、しかも大きな実をつけてくれたのです。
何となくこの木とはこれからいつも会話できるような気がしています。
ご存知の方も多いと思いますが、山桃独特の酸味と香を思っており、良く高級料亭のお通しとして出てくる赤い実でほおずきの大きさに似ています。
小さい実をつけるのはよく見かけるのですが我が家の山桃の大きさは特別です。(自慢です)

玄関の空いたコンクリートの鉢の所には古木の白い花の藤を植えることにいたしました。
庭師が小木を持ってきたので、これから成長した何十年後の藤を見れるほど姫野は長生きしないと言ったら大笑いしておりました。

今住んでいる家はもう25年ほど経った鉄筋コンクリートの家なのですが、庭にとても気を使っており、四季折々に花が咲いたり実が生ったりするので本当に楽しみです。
しかも、大切な2人の娘用の芝生も30坪程有りとても満足しています。
なかなかこれだけ揃えて生かしておくことは大変だと思い、後を継いだ身としては前の持ち主の気持ちを大切にして家を大切に運営継続して次の人へ継ぎたいと思っています。

芝

とは言いながら今まで無かった物を4つ植えました。
まず「花ゆず」の木で、これも小さいのですが、100個ほど成ります。
「サラダ」に使ったり、「ゆずジャム」にして楽しんでいます。
2つ目は金柑ですが、なかなか大きくならないのですが、これは甘露煮にしています。
3つ目は自分の大好きな茗荷です。
これは何と金沢、富山、輪島の三ヶ所から送ってもらったのですが三ヶ所に分けて植えて各々成長して実(花)の成る時期がそれぞれ異なっていて夏の「大門ソーメン」に入れるのを楽しみにいています。
4つ目は古い「あけびの木」があったのですが、食べてもあまり美味しくない為思い切って 家内の好きな「キウイ」に植え替えました。
なかなかメスの木が成長しなくて今年は実がならなくて庭師が30コ程実を差し入れてくれました。
日当たりの加減なのかなかなか難しいものです。

今までのミカンと柿は小さい木ながら大量に成るので毎年楽しみにしているのですが、性格的にどうも実が成る木があるほうが良いようで、桜とか虫の多く着く梅や桃は庭に置かないようにしています。
農薬散布はやりたく無いのです。
ですからなるべく自然で風通しよくするよう心がけてますし、肥料も牛糞や鶏糞を中心に腐葉土に混ぜて使っています。
ただ夏は大量に水を与えますが、それも井戸水を使っており、夏の間とても涼しくて重宝しています。(これも先代からの物ですが)

話は大分それましたが自宅でも楽しい夏を送っています。
夏椿が終ってから今は白の「夾竹桃」が3ヶ月程自慢げに咲いており、もうすぐ「百合」が咲き始めます。

「夾竹桃」 「百合の花」

夾竹桃  ユリの花

おわり

 

楽しい夏がやってきました-1

2008年07月25日

毎年5月の連休は必ずと言ってどこかへ出かけていたのですが、今年は4月27日(日)に13歳の娘モモが乳腺ガンの手術をしたので、どこへも出かけず、ずっと一緒に居る事にした。
ひょっとしたら年なので麻酔に耐えられないかもと医者に散々驚かされていたので、朝11時の手術が始まって麻酔がかかるまで側についててやった。
12時には病院から無事手術が終った連絡をもらい、5時頃には醒めるのでその頃迎えに来て下さいと言われたのだけど家に居てもしょうがないので3時過ぎに病院へ行った。
そろそろ麻酔から醒め始めていて少しボーっとしていたが早めに家につれて帰る事にした。
犬は一般的に8個の乳首が有るのに2つ切断されていたが、傷口も残らず本当にうまい医者だと思った。
2週間ほど傷口を舐めないように首に透明なプラスチックをつけていたが何とか元気になって来た。
現在は二人とも食欲も有り、とても元気にしています。(二人とも犬の娘です。念の為)
でも残り2~3年の時間だと思うのでなるべく一緒にいる時間を大切にしてやりたいと思っています。

前置きが長くなりましたが、夏になったらすぐどこかへ行こうと決めていたので、7月18日(金)に松本近くの浅間温泉へ行き、19日(土)は新穂高温泉、20日(日)は新平湯温泉と3泊4日の小旅行を楽しんできました。
3ヶ所とも泉質がまったく異なっていて良かったです。
(本当は「日本秘湯を守る会」の新穂高近くの2軒に行きたかったのですがまったく予約が取れなかったのです)
安曇野の安房峠を学生時代から毎年夏富山へ帰省するために通っていたのですが、安房トンネルができて20年、まだ一度も通ってなかったので是非行きたかったのです。
安房トンネルを除いて回りの建物や道路は20年前とほとんど変わりなくてタイムトンネルを通過して来たような気がします。
昔は中央高速の伊北インターから松本へ出て、それから安曇野から安房峠を越える為運が悪いと物凄く時間がかかりました。(都会のバスが峠ですれ違いが出来ないことが度々有りました。)
今は松本インターまで行けるので富山まで6時間ほどで行けるようになりました。

今市町村合併が進んでいて電話の局番が変わったりしてカーナビで間違うことが多いのですが、松本から新穂高温泉へ行く時も安房峠を越えて右を行く所を左に行くので変だぞと思ったのですが、気がついたら(45分程)高山の街の中心まで行ってしまった。
今年の7月の初めから高山から白川郷まで高速が完成し、名古屋から富山、金沢がとても近くなりました。(安房トンネルを抜けると何とすべてが高山市なのです)
そのせいか高山の街は人でごった返しておりました。

新穂高の「山の上ホテル」に電話をしたら1時間ほどで着きますと言われたので「行き」に目をつけておいた美味しそうなそば屋に入った。
入ると地元の人しかいなくて、親子3代で切り盛りしていた。
名物の「味噌煮込みうどん」を食べたが関東(名古屋とも違ってました)とまったく違っていて最後の一滴まで飲み干した。
本当にお店を探すのが我ながらうまいと自画自賛の喜びの一瞬を楽しんだ。
「山の上ホテル」の自慢の一つは河原に作られたとても大きな混浴の露天風呂で、広さは50畳ぐらいは有ると思われた。
残念な事(?)に誰も入っておりませんでしたが、川の音と奧穂高などの3000m級の山々を手に取るように見ることが出来ました。


北アルプス鳥瞰図

翌日新穂高ロープウェイに乗りましたが残念ながら360°の景観を見ることは出来ませんでしたが、目の下の川は富山で有名な神通川の源流で有ることが初めてわかった。
ここがスタート地点でイタイイタイ病で有名な神岡を経由して富山平野から富山湾に流れ込んでいる訳です。
新穂高の豊富な湯量が神通川を作っていたとは夢にも思いませんでした。

 


ロープウェイは2つに分かれていて2つ目の駅の近くに案内所が有り、なんと4つの山の案内シアター(全部で2時間程)と鳥や動物などの剥製が有り、とてもよかったです。
是非行かれたらお寄りになることをお勧めします。

ロープウェイ  山並み

久しぶりに富山の立山・剣(北アルプス)などを思い出しましたが、夏山の素晴しさを改めて再認識しました。
ふと思うと今でも時々脳裏を横切る山の思い出が50年以上前の事なんだと時間の経過と自分の老いをかなり感じる時でも有りました。
来年と言わずに近い内に又、行きたいと強く思う楽しい夏の始まりとなりました。

続く

 

 

りはめより100倍恐ろしい

2008年05月31日

今5/28朝6時です。
22回目となる恒例のセキュリティカンファレンスに出席する為と代理店会議が行われる為ロス空港近くのヒルトンホテルにいます。
この代理店会議には10カ国ぐらいのブロードのような世界の代理店が集まるので情報交換も大きな楽しみになってます。
アメリカでは又、IBMのz/OSに振り子が戻りつつ有るようで、ホスト系ソフトもかなり盛り返して来ているようです。
実は今年の3月に読んだ「なんば式健康法」(高校のバスケット部に取り入れられて話題になったものです。)の中に寝酒の変わりに30分入浴して熟睡するのが良いと載っていてそれを実行してます。
今までは、本はほとんど電車や移動時間に読むのを常としていたのですが(近頃は携帯を使う時が多い)単行本を手当り放題買って風呂の中で読んでます。(単行本で無いと読み難いのです。)
30分の目安は単行本を読み始めて、うっすらと汗が出て来た所で本を読むのを止める訳です。
これを始めてからとても身体の調子が良くなり、ほとんど毎夜やってます。(乗馬で腰の痛いのも無くなりました。是非試して下さい。)
週かなりのペースで読めるようになって来ましたが、その中で今回は2冊御紹介しますので騙されたつもりで読んで下さい。
手に入り難い方は姫野から送らせて貰いますよ!
1冊目は300冊程買って全社員に配り、友人と思う人々に勝手にお配りしております。

集英社文庫 斎藤茂太の「骨は自分で拾えない」476円+税

残念な事ですが人間には必ず訪れる死について84歳の自分を中心に素直に書いて有ります。
60歳以上(姫野も残念ながら来年仲間に入ります)の方々だけで無く40歳代、50歳代の方々も是非お読みいただきたいのです。
著者の父は茂吉であり、弟は北杜夫で有る事は皆様も良く御存知と思いますが精神科医として分析が鋭いと思います。
残念ながら2006年に90歳で亡くなられたのですが、一読の価値は有ると思います。
2冊目は「りはめより100倍恐ろしい」です。読まれた方も多いと思いますが、現役の高校生が携帯で書いた口語体の新しい文学とも言えるもので、第1回野性時代青春文学大賞受賞作でもありす。

角川文庫 木堂椎(こどうしい)著「りはめより100倍恐ろしい」438円(税込)

新しい天才の誕生のような気がします。
日本語がどうの、書き方がどうのetc.の過去というか既成概念を捨てて新しい何かを感じられると思います。
手当たり次第に読んだ中の2冊ですが、ともに単行本のせいかとても安く、その価値は金額と比較にならないものが有ると思います。
本の素晴しさを教えてくれる2冊だと思います。

ロスのヒルトンホテルより

 

 

天孫降臨の国へ行って来ました
2008年03月28日 

3月21日(金)を会社の創立記念日(3月3日)の振り替え休みとした為4連休となり、それを利用して「日本秘湯を守る会」の鹿児島で3つしかない宿を巡ることにした。 「おりはし旅館」と「南洲館」は霧島の近くで、もう一軒は南薩摩市の近くの吹上温泉の中に有る「みどり荘」でした。
非常に印象深かったので3つの温泉を簡単に紹介させていただきます。
①妙見温泉に有る「おりはし旅館」は鹿児島空港からレンタカーで30分も有れば着く近いところに有ります。
何と源泉は4種類、メインのお風呂は黒味がかった茶褐色の33℃の源泉と薄茶色の熱めの源泉のお湯に分かれた2つの湯船からなっていました。
かわるがわる交替で3セット程入ると、とても気持ち良いのでした。
特にぬるめの湯(キズ湯)は自慢なのだとのことでした。
すべて掛け流しの湯で、泊まった所も離れの10畳ほどの部屋が3つ繋がっていて、奥に掛け流しの内風呂も有りました。
内風呂のお湯は24時間流れており、窓の開閉で温度調整するようになっておりました。
(水も温泉だそうです)
冷蔵庫には温泉水も入っておりました。
食事は正に地産地消を行ってる感じでメタボ系の人にはとても効果が有りそうでした。
時間がゆっくり過ぎて行き、温泉の水音だけが耳に残る-今もこんな所が有るのかと思うほど天降川のすぐ横に有る小さな旅館でした。
1度は経験されると良いと思います。
リピーターがとても多い旅館のようです。
②栗野岳温泉の南洲館は栗野岳の山頂近くに有る一軒だけの温泉です。
回りは地獄谷的風景で硫黄の臭いと共にあちこちから噴煙が立ち上っているのがわかる程 活火山の頂に有るのが良くわかるのでした。
源泉は4種類。
ここも「おりはし」と同じ洗い場で身体を洗うということを考えていない設計(水があまり無いのかも)でした。(温泉は入るだけで身体が綺麗になるそうです。)
特に面白いのはドロ風呂とスチーム式のラムネ温泉でした。
ドロ風呂はペーハー1.9と強い酸性で様々な病気に効くそうで一番人気のようでした。
ラムネ温泉は日本の室(ムロ)の床に温泉を通し、スチームバスのようにした所でしたが通常板張りのところは足の裏が火傷するほどでした。(私は面の皮は厚いのですが、火傷してしまいました)
男だけ隣に腰掛式の風呂が別に有り入りました。(やはり男は弱いのか?)いかにも湯治場的雰囲気が有り、自炊する人も多いようでした。
食事は意外なほど豊で量も多く、なかなかでした。
もう一泊したいと思えるほど奥深い温泉でした。
③みどり荘は薩摩半島の中程に有る吹上温泉の中に有り、目の前に大きな溜池が有り、心休まる所でした。
今までの温泉とは違う単純アルカリ温泉で露天風呂は源泉をそのまま使っておりました。
今までの2つの温泉のレベルが高かったせいか風呂はあまり感激しませんでしたが、食事のレベルが最高でした。
魚はすべて天然物、当然野菜も近くで採れた物で量ももの凄く、私にして、もういいなという感じでした。
少し残念だったのは、御飯の前に出た黒豚のシャブシャブです。
どこも肉は冷凍物を薄くして出すので、今までの流れが台無しとなってしまいました。
とは言いましても温泉のレベルではTopクラスで有ることは確かです。

この温泉で二句
履きなれぬ 下駄音残す 露天風呂
名湯の 効能見て 納得す  (お粗末です!)

夜半から降り始めた雨が出発の頃には「篠つく雨」となっており、またまた帰りやすくしてくれた。
それまではとても良い天気で風もなく相変わらずお金で買えない天気に恵まれた。
最初に行った「霧島神宮」は「君が代」で歌われている「さざれ石」の生れたところだそうで、その石も置いて有りましたが、何かあまりぱっとした石では有りませんでした。
又、あちこち天然の水が湧き出ていると聞いていたのに今日はまったく見当たらない。
ちょうど道路の仕事をしていた地元のおじさんに聞いたら今時はどこにも湧き水は無いと言われてがっかりした。
やはり、富士山でも言われる「100年かかって出てる湧き水」は嘘なんだと確信した。 温泉も一年の時期によって湯量や温度がかなり変動するようです。
その一年周期を何千年、何万年と重ねている重みは充分に感じることが出来ました。

金、土と昼中暇な為ゴルフをやった。
近頃乗馬に時間を取られていて、3月7日に運用会のコンペで今年初めて回り、95だった。
今回は、1日目85(コースレート72)、2日目は80(コースレート68)で回り、ゴルフの楽しさを久しぶりに思い出した。
ゴルフも乗馬も楽しくなってきて鹿児島の「日本秘湯の会」の3温泉制覇は大満足でした。

オワリ

 

え? そうなんだ!
2008年03月25日 

そんな予想外の事って多いですよね。
嬉しい時より残念だと思うことが多いのも残念なことです。

第1に、自分が好きだった司馬遼太郎。
一生かかってあれだけ多くの書物を良く書けるものだとずっと尊敬し、愛読していたのにある人から、司馬先生は少なくとも4人のゴーストライターが居たと言われ興醒めと言うか、熱が醒めてしまった。
日経新聞の表4の「私の履歴書」も今掲載されている潮田健次郎さんなどは、レベルは違うが自分で個人経営からスタートした人としてはとても共感を持てるし、読む気も起る。
中にはいかにも自慢話し功名心で誰かが書いてとても見る気も起きない人もいる。
今は作家も忙しすぎるようで昔のように10年に1冊とか出せば良い世の中にならないかといつも思う。
政治家や芸能人などもほとんどがゴーストライターが書いているのだと言う。
これって当たり前のこととは思うけど、あっさり言われると何かしらじらする。

第2に、つい最近松下幸之助が20年以上前に「松下電器」から松下の名前を消すと言う話を聞いた瞬間肩をわなわな震わせたので、その後この話は完全に封印されて今日ようやく日の目を見るに至ったのだそうです。
多分その時の関係者は飛ばされる人がたくさん出たのだと思う。
神様も虫の居所が悪い時があると思うと同時に人間は絶対神になれないし、なってはいけないと思われるのです。
それがすべての間違いの始まりなのでしょう。
関西では当たり前の話らしいのですが、マスコミには絶対に載っていないのではと思いUPしました。

3番目に、 これは特に75歳以上の扶養家族をお持ちの方々ならばすぐお分かりだと思うのですが、悪名高き「高齢者医療保険」です。
4月1日から保険が別になり、保険料も別途徴収されるのです。
最初友人から「日本はおかしい。75歳過ぎれば死ねと言ってるに等しい」と言われ何の事かさっぱりわからなかったのですが、自分の母親(83歳)にも先日話をしたら怒っていた。
自分は、新聞やテレビでこんな悪法は許せないとキャンペーンをやってるのかと思っていたらどうもそうでもないらしい。
お年寄りを大事にしない国に、将来は無いと思う。
日本のマスコミや政治はどうなってるのだろうか?
ガソリン税や日銀総裁なんかより最っと日本人として大切な物を失ってしまった。
日本人は世界の中で本当に信用収縮してその内そんな国も有ったなあとなるのでは? え?そうなんだ!で終ってほしくないものです。
で「オワリ」の予定だったのですが、昨年から良く行くようになった有楽町の「照鮨」のおやじが、八百長とか日本人が少ないとかとかく話題の多い日本の国技の「相撲」についてこんなコメントをくれた。
「昔、だんな衆が関取を連れて歩くことが遊びとして流行った時は、今のような重箱の隅を突くような話はなかった。日本の男が小さくなったと言うかそんな人が居なくなって本当に残念です。」
そう言えば重箱の隅を突く朝日新聞的心やマスコミを駄目にした早稲田的心なんて言っている自分が一番小さくなってきているのではと近頃つくづく思うのです。
うまく言えないのですが裸眼で見ることが出来なくなって以来何かのフィルターを通してしか見れなくなっているような気がします。
自分が単なる年寄りになってきたと言えばそれまでなのですが、とても残念でなりません。

今日は下の娘(リンゴ)の11歳の誕生日です。
今週末は同じ25日生れの愚息と29日生れの自分の誕生会、題して「3ご」の会です。 いよいよ来年大台に乗る事になり感無量の気持ちですが、来年は生きてて本当に良かったとレポートしたいものです。

オワリ

 

今年は出雲大社へ
2008年03月11日 

2月の中旬に出雲大社に初めて行って来ました。
昨年は伊勢神宮、一昨年は大宰府天満宮でした。
どうしても今年は出雲大社へ行きたくて、雪になるかもしれない一番寒い頃に行くことになりました。
松江でレンタカーを借り、少し雪の残る道を走りましたが、35年ぶりぐらいにスタッドレスタイヤを履いたのですが、本当に進化していて走りやすかったのに驚きました。
岡山から松江の間はかなり雪が降っていて驚くやら心配するやら複雑な気持ちだったのですが、お昼に松江で美味しいと言われる「出雲そば」と「しじみ汁」を食べていたら青空が急速に広がって来て懐かしい裏日本の冬空を楽しむことが出来ました。
車で1時間程で出雲大社に着く頃には急に風が強くなり所々龍の髭のような黒い雲が出て来てあの青空はどこへいったのかと驚くばかりでした。
でも、その風も雲もすべて出雲大社の方向から沸くように飛んでくるのでした。
太古の昔から日本海を渡る風や雲を人々は良く知っていたのだと思われました。
伊勢神宮とはあまりに違う風景と佇まいにどう見ても民族や国家が異なる人々が作ったのではとあまり当てにならない思いを展開し拡大して楽しみました。
本殿を1周して裏の宝物殿(大黒様や恵比寿様?)を50円払って見学しましたが、入り口におばさんが1人いるのに驚いた。

どういう訳か本殿の回りはまったく雪が無く寒い中あっという間に二礼四拍一礼を終えて出てきた。
伊勢神宮と同じ風が吹いて神が宿っているように木々が一瞬揺れるのにはびっくりした。
駐車場もタダなのが嬉しいが、出雲大社がこんなに小さい場所だとは思いもしなかった。
それだけ歴史が古いということなのだろうか?

その後、例の秘湯の会の「海潮(うしお)温泉の海潮荘」に車で向った。
どんどん雪深くなるが1時間程でその温泉に着くことが出来た。
カーナビのおかげでたどり着けた、本当に小さな一画に4軒程の温泉宿が軒を並べていましたが、もの凄い雪が積もっておりました。
その一番奥が「海潮荘」でした。
季節のお勧めの「しし鍋」を頼んだのですが、お世辞にも美味しいとは言えない物でした。
しかし、温泉は弱アルカリでほんのわずか硫化水素が入っているようでとても肌に優しく暖まる久しぶりに味わった良い湯でした。
秘湯会の温泉宿は10ヵ所泊まると1泊無料御招待が有るようで、そのスタンプを今日初めて押して貰った。
3月末には鹿児島で3ヶ所行く予定で、なんとか年内10ヵ所を回って見るつもりです。

夜、食事をしていてかなり粉雪が舞い始めて、これは明日の朝は大変なことになるのではと思っておりましたが、朝旅館を出て県道に出ると辺り一面真っ白で自分の車の前に車が走っていないとどこまでが道でどうなっているのかまったくわからないくらい雪がしっかり積もっておりました。
かなり気温が低いようで道路も固まった雪で車の轍も見えないくらいでした。
それでも「昔取った杵柄」と言うか40~50km程で前の車に離されないように松江へ向いました。
ブレーキを踏むとスリップをするのでなるべくエンジンブレーキを使い、一時停止をしないようにして松江市内に入りました。
市内も昨日とは打って変わって白一色の白銀の世界。
しかも時々強烈な風に乗って雪が舞っていました。
お昼をゆっくりお城近くで食べようと思ったのですが、頭を切り替えて急遽帰りの予定の「出雲空港」へ急いだ。
雪は増す増す激しく、宍道湖もほとんど見えなくて、湖の回りを巡る道から20~30m程しか水面が見えないのでした。
「出雲空港」の近くに行くと昨日はまったく無かったのにもの凄い雪で、特に空港へ入る道は車の往来も少ないようで30cm以上の雪が積もっておりました。
空港では朝一番に羽田から来て羽田に戻る便が12時を過ぎても待機状態で次の便が来るかどうかもわからないと言う。
しかも、雪は増す増す強くなって10m先も見えない状態。

待つ手もあったが、松江に戻り電車と新幹線を乗り継いで帰ることにした。
又、同じ道を引き返したが、2車線道路が1車線になる程のもの凄い雪でした。

うまく12時半過ぎの特急に乗り、岡山で新幹線に乗り換えて午後7時過ぎには家に帰ることが出来ました。
もう少し決断が遅ければ翌日になったかもしれません。
こんなドタバタの中でとても嬉しかったのは松江のトヨタレンタカー店(駅より7~8分歩く)で「道が悪いので駅まで近道無いの?」と言ったら車で駅まで送ってくれた。このおかげですべて順調に帰れたのだと思う。
本当に感謝しています。
雪国育ちの自分が久しぶりに味わった一瞬の雪の夢物語のような「出雲大社」でした。

オワリ

 

 

「日本秘湯を守る会」とちょっといい話
2008年02月08日 

新年早々いわきの温泉(福島県)に行き常磐道のいわき湯元I.Cから帰る際にすぐ近くのJRAの馬の温泉を見学してきました。
残念ながら馬の温泉浴は見学できませんでしたが、数々の名馬がこの温泉で休養をして天皇賞や有馬記念を制覇しているらしく、地方競馬出身でぬいぐるみにまでになった有馬記念馬のオグリキャップなど多くの馬の写真が有りました。
駐車場を右に5分程歩くのですが、左側に白鳥山温泉「喜楽苑」と書いた立て看板を見つけました。
そして「日本秘湯を守る会」と書いて有ったので何となく気になり、自宅に戻ってからインターネットで調べてみました。なんと日本の200数十ヶ所の温泉がこの会に入っており、いかにも長い間人々に愛され続けて来た温泉といったような気がしました。 朝日旅行の「日本の秘湯の本」にすべて載ってます。
ホームページも無いような所が多いようですので是非850円(送料310円)の本を買い求められる事をお勧めします。
今年は何とか10ヵ所を目標に回って見たいと思います。
皆さんすでに行かれているようでしたら是非情報を下さい。
楽しみにお待ちしております。

話は例のごとく突然変わりますが、ちょっといい話が有りましたので紹介をさせていただきます。
大阪で長いお付き合いをしていただいているお客様で去年8月にお会いした時に犬(娘)の効用として「モモとリンゴ」の話でとても盛り上がり、あまりに姫野が断定的に言うのでついその気になってしまったのだそうです。
それから、奥様や大学の受験生の長男や娘さん(人間の)に姫野のホームページを見せたりして1週間後に娘(犬)さんを養うことになったのだそうです。
長男は受験が終ってからにしてくれとか言っていたのに、4人ともはまってしまって、4人から新しい5人家族の始まりがとても充実していると御礼を言われたのです。
特に姫野があまりにも断定的かつ自信を持って話をしたので心が動いたのだそうです。
こんな事もめずらしいのですが、本当にその方が嬉しそうに御礼を言われましたので皆さんに報告させていただいたのです。
良くアニマルセラピーと言いますが、それを超えて家族が増える喜びは何事にも代え難いものです。
確かに街を歩いていると子どもを抱いていると思って相手が近づいてくると犬を抱いている老若男女がとても多いのも時代を象徴していると思います。
とても残念なことですが、良く「動物は先に死ぬから嫌だ」と言う人がいますが、見送る事の重要さを真剣に学ぶことがいかに大切かおわかりにならないのだとも思います。

最近、昨年ノンフィクション部門で№1となり有名になった「愛馬物語」を読んで、その中にホースセラピーと言う言葉が出て来て、アニマルセラピーと一線を画しているのが印象的でした。
又、この小説は映画化されてもうすぐ上映されるのだそうです。
そうすれば乗馬する人々がどんどん増えて、自分と同じようにホースセラピーを感じて、はまってしまう人がたくさん出てくるような気がしてます。
この違いに興味を持たれた方、乗馬に興味をお持ちの方、東京クレイン(小田急鶴川駅近く)の無料体験乗馬券が有ります。
よかったらホースセラピーを体験しませんか?
人生が変わりますよ!

オワリ


「鳥栄」に行ってきました
2008年02月04日 

先週金曜日の2月1日になかなか予約が取れなくて有名な、上野の新築(改築)された鳥栄へ行ってきました。せっかくなので紹介させていただこうと思います。

会社から歩いて10分程で「湯島天神」に着くのですが、そこから「不忍池」に歩いてすぐの所の木造の2階がそのお店です。
近くに居酒屋で有名な「シンスケ」やラーメン屋「大喜」が有りますが、あまり良い場所に有るとは言えないネオン街のはずれに有ります。
3ヶ月に1回午前8時半から予約が可能なのですが、午前中に電話が繋がらないと(繋がりませんが)3ヶ月間は行けないのです。
ひょっとしたらキャンセルが出るかもしれないと言われ、何度も何度も電話をしたり(させたり)していたら1月31日に2月1日の夜の予約が取れたので喜んで行ってきました。
開店してすでに99年経っているそうで、民家のような玄関を開けると目の前に急な階段が有りその2階がお客用となっているようでした。
全部で5組くらいしか入らないようでしたが、全てがレトロで白黒の映画に出てくるような感じでした。
炭(ミャンマー産だそうです)が赤々と強烈な熱を放っており、その上にスキヤキ用の鉄鍋を乗せ透明に近い鳥スープを入れ、みりんを御猪口一杯程入れるだけ。
最初に肉、ネギ、内臓のセット(肉は千葉の地鶏と都下の軍鶏)とにかくシンプル。
あっという間に終了。
大根おろしとからませて食べるだけ。
次にツクネ。
最後に白米と漬物、御飯に塩(赤穂の天塩)を入れ、鉄鍋の残りのスープをかけて食べるだけ。
本当に本当にシンプルで1人7000円。
家族だけでお店をやっているようで余分なサービスや物がないのにかえって感動してしまう。
これだけで100年やって来たのにもますます感動。
色々手を加えたりスパイスを入れたりがまったく無いのが驚きで有る。
それだけに1年に1回は行ってみようと言う人がたくさんいるのにも心動かされる。
多分家を直されたので後50年は続くような気がする。

終ってからすぐ近くに有る「みつばち」で最中に包まれたツブいり小豆アイス(1つ250円)を買って食べながら地下鉄まで歩いた。

自分の知らない事がいかに多いかの原点を教えてくれたようで今年も無理して色んな所へ行って変化と感動を味わい続けようと思います。
そんな気持ちにさせてくれた「鳥栄」でした。

オワリ

 

節分
2008年02月03日 

今年も早いものでもうすぐ節分を迎えます。
近頃、お酒を飲まないで食べる夕食のペース配分と楽しみ方がようやくわかって来たような気がします。
元々「肴」系だったので今までの食べ方を変えないで最後に軽く御飯を食べ、締めにデザートを食べる。
ようするに今までと変えなくて良いことがわかってきました。
3ヶ月で約3kgの体重が減り、5年前の体重に戻ったようで、身体が軽くなったのとオーバーカロリー(お酒による)が無くなったせいか朝起きると体重が減っていて新陳代謝がとても良くなっている気がします。
又、なじみのお店へ行くとオーナー達が「そうよ姫野さんは飲み過ぎだったのよ」と皆連れない!(でもそう言ってくれるお店は本当に有り難い)
飲めて当たり前、人よりたくさん飲んで当たり前、でも実は無駄な時間とお金をたくさん使っていたのが身に沁みてわかって来た。
だいたいお店の料金は料理×2が普通(料理とお酒は同額)だったので1ランク上の料理をお願いしてもはるかに安いことがわかり、ひとつの新しい楽しみとなって来た。
又、姫野が飲まないのを気にする相手もほとんど居ないこともわかって来てこれも安心することとなった。
もう1つ、自宅から駅までの車通勤を止めようと思っていたのに何の問題もなくなって安心して乗れるようになったし、(事実今まで、パトカーに5回程飲酒運転でチェックをされ、その度に無罪放免(?)となっているのです。そろそろ年貢の納め時と思っていました。)
ゴルフからの帰りの車も安心して運転できるようになった。
最後に何と2ヶ月で、120程あったγ-GTPがなんと27となり、その他の数字も医者からメタボからの生還とまで言われるようになった。
正にお酒は「百薬の長」と「百害あって一利無し」の両方であることを経験させられたようです。

そんな事も有り、正月に読んだ「金子兜太」の「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」の心境が良くわかる気がします。
その中で面白かった句を1つ。

髭のびて てっぺん薄き自然かな

また、本人が選んだ格調有る三句

松尾芭蕉-古池に蛙飛び込む水の音 正岡子規-柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺中村草田男-降る雪や明治は遠くなりにけり

4番手に

高浜虚子-去年今年貫く棒の如きもの

番外編で

斗酒を辞さない原子公平の第2句集「良酔」から

良く酔えば花の夕べは死すとも可

今まで酒が無い生活というか命は考えられなかったのですが、(この句が過去の自分)米寿を迎えた「金子兜太」の「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」は口や言葉では表現出来ない程の人生の重みを与えてくれました。

オワリ

 

久しぶりに文字文化の生活へ
2008年01月15日 

昨年の年末から年始にかけて久しぶりにゆっくりと厚い本を読むことが出来ました。
メインはアルビン・トフラーの「富の未来」上・下をゆっくり読むことでしたが、読み始めると終らなくて結局7冊まとめて読むことになりました。
読み終わった本は、

・  アルビン・トフラー「富の未来」上・下
・ アラン・グリーンスパン「波乱の時代」下(上は売り切れでした)
・ 野村総合研究所「2015年の日本」
・ 金子兜太「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」
・ 金子みすず「明るいほうへ」
・ 金子みすず「花の詩集」

特に厚い本は電車の中で読むわけにもいかず、パラパラめくって本棚に積んで気がつくと埃を被りそのままになることが多いのです。
「富の未来」もそうだったのですが、世界の経済に大きな変化が有った事もあり、改めてよく読み直してみたかったのです。
1年前の本ですが、とても示唆に富む話が多く、一気に上・下を読みましたが700頁を超える量よりも読んだ快い余韻が残りました。
是非機会がありましたら皆様もお読みになられたらよいと思います。
(グリーンスパンよりレベルが高いと感じました。)
野村総研の「2015年の日本」は脱ガラパゴスがKEYになっていて(ガラパゴスはダーウィンの進化論で有名です。)年末に藤沼社長から頂いたものですが、日本の変革の遅さや無風状態から早く脱却しないともう手遅れになるとの警鐘を脱ガラパコスと言っているのです。
ところが、お正月にテレビでガラパゴスのイグアナの話が出ていてとても面白かった。
御存知の方も多いと思いますが、イグアナには海と陸の2種類いて、外観はとても似ているのに生活する場所や食べ物は全く異なっているのです。
テレビで御覧の方々も多いと思いますが、最近の温暖化(?)というか海温の変化により海イグアナの主食の海草が激減し、餓死が続出したのだけれど、なんと、絶滅寸前の海イグアナが陸イグアナのハーレムを襲い、海イグアナと陸イグアナの両方の遺伝子を持ったスーパーイグアナが多数出現するようになり厳しい環境に生き残るという、正にダーウィンの「進化論」を裏付ける結果となっているのだそうです。
何となく日本はガラパコスかと思う気がして一人で可笑しく正月に藤沼さんにメールしたらケチョンケチョンに一蹴されてしまった。
でも、そんな日本から逃げることが出来ないのが我々で、時間がかかってもその内スーパー日本人が出現するのを期待せずにはおられない。
新年の日高レポートで日高さんがさかんにキッシンジャーに米国は中国と比較して日本をもう相手にしていないのではないかと食い下がっていたが、キッシンジャーが日本の政治を40年見てきて論理的ではなく何となく何かを決めていくのに慣れてきて少しも変だと思わなくなってきたとに鰾膠(にべ)もなく言っているのがガラパコスと重なってしまった。
アルビン・トフラーではないが、世界№1の長寿国の日本がこれからどのような道を歩き世界に輝き続けるのか?世界の注目を一心に集めている訳です。
世界が注目していることに我々は十二分に誇りと自信を持ってこれからの2008年をスタートさせ「豊な国-日本」を創るべきと強く思っています。
皆さんも英知を絞って頑張ろうでは有りませんか? 英知はお金も年齢も時間も会社もまったく関係無いのですから。

オワリ

 

2007年から2008年への流れの中で
2008年01月07日 

後2時間程で2007年も終りです。
今年は思いもかけず様々なことが有り、人生の大きなターニングポイントだったような気がしてます。
特に10月から始まった「禁酒」は今まで40年程続いていた生活習慣と人生観を大きく変えることになりました。
25年前に最初の会社を辞める為に何かしようと1日4箱喫っていた煙草を禁じたのに似ています。
煙草はそれ以来全く喫ってません。
(今となっては大正解だと思っています。・・・禁煙と独立の2つです!)
禁酒はとても考えられなかったのですが、医者から強く言われたことも有り、これも「天の声」と思い止める事としました。(飲酒は40年1日5合ペースで毎日飲んでいました。) 50代で断酒した人の話や本はいくつか知っておりましたが、近頃の世情が車社会に対する禁酒(できない人はアル中的扱い)と残り少ない大切な人生を酒でごまかすことによる無駄を感じておりました。
今日も本屋へ行ってたくさんの本を買って来ました。
久しぶりにテレビを消して娘2人とゆったりとした時間を過ごして新年を迎えることが出来そうです。
毎年、お酒をたくさん飲み、そのまま寝てしまい、朝早く起きるのが通例だったのですが、今机に向いこのレポートを書いております。
特に新年を迎えるに当たって「金子みすず」の「ゆめ売り」の詩を紹介させていただこうと思っています。
彼女を知っている方々も多いと思うのですが、大正末期から昭和初期に童謡作家として一瞬の輝きを持った人でなんと26歳で他界した人です。
その死後50年ほど経て世に広く知られることとなったようです。
金子みすず童謡集「明るいほうへ」から
「ゆめ売り」と「草原の夜」を紹介します。

 

どうしたらこんな詩が書けるのか?
わずか26歳の命の全てが凝縮されたということなのでしょうか。
是非一読をお勧めします。

話は戻りますが、今の自分の気持ちを表した、金子兜太(とうた)の「酒止めようか、どの本能と遊ぼうか」の一冊も偶然目に留まり手にして来ました。
自分とのレベル差は比較になりませんが、「生きること。つまり生(いのち)にとって本能は不離」として米寿(88歳)を迎えた金子兜太が書いたものです。
2008年は新しい自分が「生きる」ことを再度見直す最初のスタートとなる気がしています。

オワリ

 



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