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Topics国内 2013年
2013年12月25日
今年は素晴しい年でした
2013年11月28日
是非お読みください
2013年11月12日
エンカレッジ・テクノロジが上場に
2013年10月31日
レクターが初めて賞金を稼ぎました
2013年10月29日
やっと移転先が決まりました
2013年10月15日
家族が揃いました
2013年10月02日
循環型社会
2013年09月30日
ゴルフ ケチケチ話2
2013年09月18日
世の中うまく行かないもので
2013年09月17日
スーパーコンピュータ「京」
2013年08月20日
蝿(ハエ)叩き
2013年08月12日
やはりBMWに
2013年08月08日
便利屋さん
2013年07月09日
最近気になる事
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恒例のラスベガスへ行って来ました・・・Ⅱ
2013年06月25日
恒例のラスベガスへ行って来ました
2013年06月14日
リンゴ、レクターに乗る
2013年05月09日
玄関に鍵を
2013年04月30日
NYの桜が満開でした-Ⅱ
2013年04月24日
NYの桜が満開でした-Ⅰ
2013年03月25日
モモ&りんご通信
2013年03月11日
3.11の残した物
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日本料理龍吟に行って来ました
2013年02月20日
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2013年02月18日
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2013年02月12日
江戸城はどこに有るか
2013年02月08日
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人生を豊かに
2013年01月09日
レストランのワースト3は
2013年01月08日
厄払い

国内最新情報
今年は素晴しい年でした

2013年11月28日

今年は2代目りんごとモモが来てくれて家の中はぐちゃぐちゃ、枕やカーペットはボロボロとなりましたが、二人が持ってきてくれた運は素晴しい物でした。

 

2人とも今では兄弟(姉妹)のごとく親しくなって朝早くから兄弟ゲンカはするは、うるさいやらですが、寝顔を見ていると本当に心が和みます。

会社的(仕事)には本郷から永田町への移転、エンカレッジ・テクノロジーの上場など大きなイベントが有りましたが、無事全てが終って社員には特別賞与も出す事が出来ました。
個人的には薬の世話になりながらも健康を取り戻す事が出来、暫くの間落ち着きを維持できそうです。
レクター(馬)も絶好調で来年は総合馬として日本でデビューさせたいとも考えております。
姫野個人としては足の衰えをカバーする為に久しぶりにゴルフを年間50回程やってみたいと考えております。(今年は3回でした)
読者の皆様の来年のご多幸と健康をお祈りして今年のオワリとしたいと考えます。
一年ありがとうございました。
来年も相変わらぬご贔屓の程よろしくお願いいたします。

以上

よき運が 今年も我を 守り抜く
人間の 最後の運を 使う時
人生は 売り逃げ許す 時もあり
株式と 人生同じ ゼロサムだ
これでいい 人生なんて 有り得ない
天国も 新年迎える 良き日かな

オワリ

是非お読みください

2013年11月28日

最近の新刊(10月2日初版)
藤田紘一郎著 定価1200円
「遺伝子も腸の言いなり」を是非お読みください。
「目からウロコ」の連続です。
とにかくお読みください。

遺伝子

オワリ


エンカレッジ・テクノロジが上場に

2013年11月12日

10年少し前にブロードから独立したエンカレッジ・テクノロジ(株)が12月11日に東京証券取引所に上場することが決まりました。
ブロードから独立した人も何人も居ましたが、上場は初めての事で本当にお目出度い事だと思っています。
ブロードに6人程のメンバーを引き取ったのは、もう時効だと思うのでいいと思うのですが、ある人から頼まれたからでした。
ブロードもUKE(50歳以上の人材紹介)にお金がかかったり、製品の端境期で営業の活力がなかった事も有り、大きな変革と刺激を必要としておりました。
彼らは運用の新しいパッケージを作り、日本発の始めての成功を夢見ていたのです。
残念ながらブロードでは資金的に無理だったので新しいベンチャーキャピタルを頼って独立し、ブロードもセキュリティビジネスを中心とする為本郷のしっかりしたビルに移ったのです。
10年1日の如しと良くいいますが、彼らの努力は大変なものだったと思います。
周りのサポートの人たちも良い人々で有り能力がある人々がそろっていたと思うのです。
後は、一時的な人気では無く、ユーザの信頼を受けて、この業界で長く生き残って欲しいと願うだけです。
久しぶりの心晴れる時間をもらいました。

以上
追)土曜日(9日)に猫の親子を捕らえてノラ猫のサポート団体で手術をしてもらいました。
子猫はラインでネットに出したら、わずか1日で引き取り手が決まってしまいました。
子猫はノラの親猫から早く離さないと人に懐かなくなってしまうのだそうです。
親猫のブチは子猫が居なくなって、我が家に根付くかどうか分からないのですが、あまり他人に迷惑をかけないで長生きして欲しいものです。

 

 

 

 

オワリ


レクターが初めて賞金を稼ぎました

2013年10月31日

10月24日(木)から27日(日)まで日本馬術連盟主催の障害競走が御殿場の馬術スポーツセンターで行われ、最後の120cmの公認競技にレクターが5位に入賞し、初めて8,000円の賞金を頂きました。

台風27,28号が接近する中、中止になるのかもと心配したのですが、時々強い雨の中競技会がスタートしました。
25日(金)の120cm級の公式競技で4位に入賞し、カバンをゲットしました。
26日(土)はもの凄い雨でさすがのレクターもやる気を無くしたようですが、27日(日)は快晴で素晴しい富士山の下で実力を発揮し、最終決勝戦(ジャンプアップ)6頭の中に残り、惜しくも5位でした。

 

夕闇が迫る中、手に汗握る熱戦で、1位から6位までのタイム差は1秒以内で久しぶりに興奮させられました。
レクターにまた新しい思い出をプレゼントされましたが、月曜日から大阪出張に出てそのまま競技会に参加した為、丸々一週間家を留守にすることになりました。
「りんご」に寂しい思いをさせたようで(1人で寝かされていたので)すが、日曜日には姫野のベッドの上で大の字となって鼾をかきながらよく眠っておりました。

 

 


オワリ
追)急な話ですが、突然家族が4人増えました。
昨年母の庭で生まれたブチ(ノラ猫)がまた同じ所で3匹出産し、可哀想なので姫野家の家族とする事にしました。
母親が少しだけと朝晩食事を与えた結果よほど住み心地が良かったようで住みついたのです。
お金は全て母親持ちにして手術したり、食事代を負担する事にしたのです。
その内可愛い写真をUPします。

以上


やっと移転先が決まりました

2013年10月29日

今年の夏の暑さは特別なのでしょうが、これも地球規模から言うと(100年から300年周期)たいした事は無いのかもしれません。
あまりに我々は今の地球が安定期で固定的と思い過ぎているような気がします。
地球は生き物。
日々変化し続けてこそ未来が有るという事なのでしょう。

7月後半から新しいオフィス探しを始めて、何とか8月中には目処を付けたいと思っていたのですが、たくさん見れば見る程色々な事が分かってきて時間がもったいないので午後4時頃から2~3件の物件を見させていただきながらも免振ではなく制振ビルで、なるべく新しい物件を見るようになった。
しかも駅から近く、安くて、なんて言うとそう簡単に有るわけは無いと思うのだけれど、案内いただく業者の方々の熱意も感じつつ汗を掻いていた訳です。

そもそも本郷を出るのはブロードの都合でない事も有り、居候的油断が自分にあった為と反省してます。
共有スペースというと聞こえがいいのですが、どうしても2社で取り合いとなり、お互い不満が残ることになる訳です。

移るからには第1は社員に、第2はお客様に喜んでもらえる場所を選びたいと執念に近い気持ちで探し始めたのです。
幸いたくさんの方々の応援でかなりの物件の中から絞り込むことができた。
後は「天命を待つ」にして、早くしたいものと考えていたのです。

まだ契約が2年程残っているのにと思いましたが、気分一新も良いかと考え、移る決断をしたのです。
人生面白い物で世の中風向きが変われば全く流れが変わってきます。
それは「オリンピック」が7年後に日本で行われることが決まってから、ビルのオーナー達が通常は申し込み順で入室者を決めて行くのに申し込みの条件が良い所を優先するようになった。
業界がビルオーナーやゼネコンが中心となり、仲介業者も借り手ではなく、貸し手に目が向いているのが良く分かった。
野球や相撲などのスポーツも同じで日本社会は業界や業界のプロを中心に考えていてお金を払う。
社会やファンのことを考えないのに良く似ていると思うのです。
おかげで9月末になっても移転先が決まらなかったのです。
たくさんのビルを見たせいかあまり大きなビルや人の出入りの多いビルは落ち着きがなく事務所に向かないと思うようになってきた。
3.11でエレベーターがどうだったのか、免振や制振ビルでなくても有る程度しっかりしたリニューアルをされたビルであればあまり心配いらない事が分かったきた。
賃貸価格やフリーレントなどの条件は暫く軟化する事はなさそうである。
オリンピックまでどんどんビルが建ってくるであろうからここはやはりお客様にお寄りいただきやすい場所を選択するのが一番だと思えるようになってきた。
広さ100坪程で大・中・小会議室が3つ程有れば充分なのです。
何とか良い結果を社員に報告したいと少し焦り気味で頑張ったのですがなんと永田町の「自民党本部」ビル裏で246号線に面し、地下鉄永田町の出口を出てすぐのビルに決まりました。
一階は「南甫園」と言う古い北京料理屋さんで田中真紀子さんの幼稚園のお弁当を飾っていた「シュウマイ」で有名なお店でした。
そのお店がビルのオーナーだったのでした。
まだ入居中の法律事務所が解約までして移るのだそうで、ほとんど「居抜き」で使用することにした。
これも姫野のケチの精神が芽生えてきて、おまけに賃料もなるべく安くしてもらう事にした。
幸いビル管理を任されていた責任者がたまたま姫野のホームページを見て「こんなしっかりした人だったら是非お貸ししたい」と仲介業者に言ってくれてとんとん拍子で話しがまとまったのです。
久しぶりにホームページをやってて良かったと思う瞬間でした。
引越しは来年2月中旬の予定です。
是非永田町の「南甫園」のランチを食べにいらしてください。
お待ち申し上げております。

以上

 

 

追)尾籠な話ですが、一番暑い時期にビルを見て歩いて久しぶりに「切れ痔」になってとても辛い思いをしてます。
元々軟便タイプなのですが、真夏にゴルフをやったり一日汗をビッショリかくと便が硬くなり出口が傷つき「見張り棒」ができ、とても痛くなるのです。
ここ2~3年は出てなくて忘れていたくらいなのですが、慌てて軟膏と座薬を買って3ヶ月ほどでやっと治りそうです。
友人たちは専門医に行った方が安くて早く治ると言うのですが、年末はゆっくり温泉に浸かって「見張り棒」を無くしたいと思ってます。

オワリ


家族が揃いました

2013年10月15日

10月13日(日)に8月5日生まれのモモ2世が家に来てやっと家族が揃いました。

momo  momo

母さんともも

モモはまだ1.5㎏で予防注射を一度打ったばかりで、ほとんど眠っているのですが、起きている時はもうすぐ10㎏になるリンゴが体力と力でモモを圧倒してます。
最初はじゃれているようですが、だんだん動作が荒っぽくなってモモが咬まれてキャンと鳴くことがあります。
なるべく娘2人だけにしておくと危ないのでもう少しモモの体力がつくまで親が必ず見ている事にしてます。
夜は、リンゴは姫野の部屋で、自分のベッドで眠るのですが気がつくと枕の取り合いになってる事があります。

モモは家内の2階の部屋で眠らせてます。
朝5時半にはリンゴの散歩に行かなくてはならないのですが、そろそろ明けるのが遅くなってきて薄暗いうちに出なくてはいけません。
今度は娘2人とも車に慣れさせてレクターの試合の応援にいけるよう訓練する予定です。
最後の娘たちと人生を満喫しようと思ってます。

ringoとmomo  ringo

ringo  momoとringoと母さん

太平の リンゴを起こす モモ襲来
秋色の 空が川面に 映る朝
酒抜けば 頭脳明晰 心晴れ
腹時計 有れば時間が 生かされる
人情は 金でも買えず 見えもせず


オワリ


循環型社会

2013年10月02日

最近NHKが日本各地の「里山」の特集をやっていて、その地方地方で自然と人間の共生の有り方を見た。
自然と里山は全く異なるのだけれど、日本人の素晴しい知恵と経験が今日まで生かされ続けたのが里山だと言う事が良く分かった。

又、岩手県に有る中洞(なかほら)牧場の主催者も里山を念頭においた新しいタイプの循環型社会を作っていこうとしているのが良く分かる。
これは自然を大切にして、共生を考える日本人ならではの「心」と思っていたらNHK-BSでNYに住む有名なシェフの講演会を聞いてど肝を抜かれてしまった。

そのシェフはNYとボストンにお店を持ち、自然と共生した料理を出すので、もの凄く著名なのだそうです。
彼の軽快なタッチのトークで「今まで私は2度魚に恋をした。それももの凄い恋を。
最初の魚は養殖場からだったが、とても美味しくてお客様にも大変好評を得ていた。
ある時、その養漁場から講演を頼まれたのだけれど、その魚の餌は何だろうと聞いてみたらたんぱく質とだけしか教えてくれない。
だけどそれでは説明できないとしつこく聞いたら何と鶏の皮やその他だと言う。
ええ!僕の愛した魚はチキン?と一瞬で愛が冷めたよ」

もう1つ「スペインの養殖場からの魚もあまりに美味しくて見に行った。
何と最初の養漁場が倒産して新しいオーナーの下で新しい考え方で運営されていた。
以前は川の水をせき止め、餌と薬をばら撒いていたようですが、今は川の水をそのまま流し、植物プランクトンや動物プランクトンに任せて自由にさせていて広大な流れの中を水が綺麗になって海に注いでいるのだそうです。
餌も撒いていないそうです。
200~300km離れた所から大量のフラミンゴが来てるけど追い払う事もしない。
しかも20%の魚はフラミンゴに食べられてしまうのだそうです。
でもこれが自然と言う事だとその会社は言っている。
循環型社会として生き残るわけです。
私は今この魚に夢中なのです。」
こんな話しでした。
よく、マグロ1kgの為に13kgの餌(魚)が必要と言われます。
高級品の魚の為には薬も餌も大量に使う。
その全てがお金に換算され、共通言語もお金になる訳です。
果たしてそれで人間は生き残れるのだろうか?
自然の共生が無くてはいずれ人間も滅びる日が目に見えてくると思うのです。
こんな当たり前の事に気がつかない人間はいないと思うのです。
姫野自身も是非人の為、自然の為、地球の為に何かをしなければならないと強く思った次第です。
大きな事ではありませんが先ず天然物しか食べない所から協力できるのではと思ってます。

以上

追)先日アメリカから友人が一時来日して顔を出してくれました。
我々にとっては偉大な国アメリカと思っていたのですが、その友人曰く、何とアメリカ国民の18%が生活保護を受けている。
その数5000万人を超えているのだそうです。
アメリカの国力はもの凄く低下していると言うのが友人の話でした。

オワリ


ゴルフ ケチケチ話2

2013年09月30日

前回運用会ゴルフの話しをしましたが、年2回(千葉のタクエーカントリーと静岡の篭坂カントリー)で既に45回もやっているのですが、ゴルフが終って姫野が自宅に戻り、最初にやるのがドラコンとニヤピンの旗の名前を「消しゴム」で消して、次回に備える事です。
中には旗が無くなって棒だけの物も有りますがスコアカードを棒に挟んで使っています。
普通は毎回新しい旗を使うのが当たり前のようですが、ブロードの新人たちには毎回16本の旗を用意すると2千円程かかり、(45回×2千円で9万円の得)大変無駄になる。
それを節約して景品に回した方が良いと教育してます。
又、特別ルールが色々あり、その罰金を景品に回してます。万事が万事けちけち大作戦でやってます。(毎回8万円~10万円)
参加者もだんだんそれが分かってきて喜んで罰金を払ってくれるようになってきました。
当然社員も優勝の資格が有るので楽しんで参加してます。
もうすぐ50回ですので。今までの蓄えをパットを使って、全員にテレビが当たる程としたい物です。
当然ですが、皆様の参加をお待ちしております。

追)ついにモモ2世が姫野家に来る事になりました。
9月22日(日)にブリーダーの家にお邪魔して最初の予防注射が終ったらお譲り頂く事になったのです。
家内も一緒に行ったのですが、ブリーダー犬(親)がどんな生活をしているかを見に行くと言って置いたのですが、モモ2世を見て嵌ってしまったようです。
2匹の娘が居たのですが、やはりモモ(ブラックタン・ロングヘア)になりました。
モモとりんごの姉妹が逆になりましたが性格も正反対のようで、どのように収まるのか楽しみにしてます。
我が家にモモが来る日を首を長くして待ってます。

もも  もも

以上

人生を 味わい深く 我生きる
目標は ピンピンコロリと 明るさだ
ゴルフ場 クラブに停まる 赤とんぼ
深酒の つい一言で 友無くす
過去も無く 明日も無く 今が有る

オワリ


世の中うまく行かないもので

2013年09月18日

今夏の「コンピュータ運用を考える会」のゴルフ大会は例年通り富士山の麓の篭坂カントリーで平日(30日)の金曜日に予定通り開催された。

運用会ゴルフ大会

人数は平日という事もあり、少なかったのですがショットガンで6組18人、スムーズに回れた。
下界は37℃らしかったのですがゴルフ場は26℃程でとても快適でした。
前半いきなりトリプルボギー(7)でどうなる事かと思ったのですが、今年3回目のゴルフだと諦めてから急に良くなり、前半48。
昼食時にいつものウイスキーをダブルロックで2杯飲んで後半41。
久しぶりに89と何とか80台で回る事ができた。

又、いつもプライドの松平さんのお住まいがすぐ近くなので姫野が運転手をさせていただいて、狭いながら新しい車でしかも燃費も倍で良かったと思っていたのですが、東名が事故多発で通常の倍の3時間もかかってしまった。
松平さんの荷物を下そうとして車を降りると膝上の大腿四頭筋がもの凄く硬くなって歩けないのが分かった。
今まで16年間乗っていたX5とはシートの高さ、広さ傾きが全く違っていて、とても窮屈だったのです。
それを調整もせず乗っていたせいで筋肉のエコノミー症候群となってしまったようです。
平坦な所は何とか歩けるのですが階段の上り下りは殆どできなくなってしまった。
結局治るまで3週間もかかり、この台風が来た、3連休の間でお風呂に正座して腰湯に何度も浸り、やっと良くなったのです。
本当に世の中は全てがうまく行く事は無いなとつくづく思いました。

オワリ

いつの世も 下手に出れば 怪我は無し
りんご様 湯たんぽ期待の 暖かさ
変化有り ピンチピンチで 血が騒ぐ
直球の スピード落ちたら 変化球
よくもまあ 病気病気の 人生だ
若き日を 忘れてしまえば お年寄り
目を見つめ りんごと話す 至福時
以上


スーパーコンピュータ「京」

2013年09月17日

コンピュータ運用を考える会の東京・大阪合同会で兵庫県の神戸空港の近くに有るスーパーコンピュータ「京」の見学に行ってきました。
東京・大阪合わせて50人程が参加しましたが姫野はベニックソリューション(川重さんの情報子会社)の宇野社長からすぐ隣に「花鳥園」が有るから是非見ると良いよ、と言われたので朝6:30頃の新幹線に乗り、大阪で朝1番に仕事をして、午後から「花鳥園」を見ることにした。

花鳥園 

花鳥園 

花鳥園 

花鳥園 

丁度バードショーもやっていて平日なのにかなりの人が集まっていた。
なかなか素朴で結構面白かった。

花鳥園から歩いて5分ほどでしたが、いつもどおり皆さん欠席も遅れる人もいないで「京」の見学を行った。
我々の会(運用)の為にわざわざ運用の責任者が説明をしてくれて、お土産まで頂いてきた。
やはり世界一を目指す心意気が伝わって、「百聞は一見にしかず」を改めて思い起こさせた。

  スーパーコンピュータ「京」  スーパーコンピュータ「京」

  スーパーコンピュータ「京」  スーパーコンピュータ「京」

  スーパーコンピュータ「京」

追)この夜は東京から見学に来られたOさんのお供で梅田の北新地の日本料理店に行ってきた。
チャキチャキのママ(大バー?)でOさんから頼むから今夜はケンカしないでくれと言われた。
店に入ったら、ママがいきなり「あんた、入るんやったらメガネ変えなはれ」と言われてカチンと来て出ようと思ったら慌ててOさんが「目が悪いんや何言うか」と言ってくれてカウンターに座らされた。
以前、銀座の有名なお店でこのママとはお会いしててその店をぼろくそに姫野が言って、暫くしてその店は予想通りなくなったのです。(その店はフグを売りにしていたのですが、全て出前だったのです)
でも、Oさんからそこの板前の腕は確かだと聞かされていて、確かに受け答えや出す物は大変良かった。
熱燗をたくさん頂いて、板さん移られたら連絡下さいと名刺を出したらどこで聞いていたのか、すかさずくだんのママから「何仰いますのや、この板前がこの店を継ぎますんや」と声が飛んできた。
2人で熱燗を7本程飲んだのに何となく飲み足りなくて3次会なのにホテルのバーで無理矢理Oさんもつき合わせて2杯程飲んだ。
本当に長い一日でした。

オワリ


蝿(ハエ)叩き

2013年08月20日

  100円ショップができてから随分お世話になっていますが、今まで一番長持ちして役に立っているのが表題の「蝿叩き」です。
若い人はご存じないと思いますが、今から40~50年前はどの家にもぶら下がったハエとり紙、蚊取り線香、蝿叩きは有ったものです。
姫野などは未だに天然の「蚊帳」も使っています。

蝿叩きは乗馬クラブで馬バエを叩くのに使っているのです。
一般的にはハエは血を吸う事は無いのですが馬バエは馬の血を吸うので人間もぼっと(じっと)していると血を吸われて虻(アブ)に刺されたようにとても痛く、腫れ上がるのです。

蠅たたき 


馬が尻尾を振っているのはハエを追っ払っているのです。
ですから人が馬に乗って尻尾を振っている馬は主人に対して集中していない事になります。

話しは逸れましたが、レクターの身体にしがみつくハエを叩くのに使っていて最初レクターもかなり嫌がり(鞭と同じで)ましたが、今では諦めて姫野の好きなようにさせてくれます。
また、ハエは白や青色が好きなようでバケツや壁に良く止まるのでそれを集中して叩いてます。
一日に20~30匹は確実に叩いてます。
土、日は必ず行いますので、4月~10月頃までの7ヶ月間でかなりの成果が上がることになります。
手やタオルではなかなか叩けず、蝿叩きでスナップを聞かせてやると面白いように叩けます。
姫野自身レクターが刺されて可哀想なのも有ったのですが、ハエがどんどん増えて人の血を吸うようになったのがきっかけでした。

レクター

レクターにはハエ除けのコートを着せたりするのですが厩舎に居る時はコートを着せられない(横になったり、寝転んだりする為)ので夜中に刺される事が多いのです。
レクター用としてこの「蝿叩き」は100円ショップで買って、既に3年使ってます。
レクターも姫野に似(?)てハエをとても嫌がるので親子は似る物だと回りの人は呆れ顔で見てます。

オワリ

 

定期切れ 改札通って 思い出す
熱中症 姥捨て山に 移り住む
日傘持つ 男の色気 身に付かず
マイ人生 ピンチピンチの 連続だ
心臓の 毛無くなって 薬飲む
口開けて 眠る子供も いずれ母
盆休み 忙しいのは 坊主だけ

以上


やはりBMWに

2013年08月12日

昨年からBMWのX5のトラブルが続き、今年に入ってからドアのロックが走行中に勝手に開いたり閉じたりするようになって、酷くなると幽霊か誰か勝手にドアロックをいじり回しているかのようになってしまった。
8月末に運用会ゴルフが有るため修理しようとBMWに出したらCPUの異常で交換する必要があるが、部品が無く一ヶ月ほどかかる旨話があった。
それでは直る保証も無く、まして8年目に入る車のソフトを定期的に改良したりバグFIXをしているとはとても考えられないので、営業に厳しく言ったら年内でレンプロエンジンを積んだ車の生産は全て中止されると内々で話が出ているとの事だった。
それではとても安心して乗ることはできないし、いまさら同じ車種にする事も考えられなかった。
又、姫野はずっと左ハンドルだったのに日本ではX5しか左ハンドルが無いとの事で唯一525の一部に左ハンドルが有る事が分かった。
とにかく営業は必死で手を打ってくれているのが伝わってくるが、25年の付き合いもこれまでかと思ったのですが、結局は右ハンドルのX3のディーゼル車にしてすぐ納車してもらう事にした。
ほとんどレクター専用に乗ることにしたX3は、ディーゼルの価格も安くエコモードにすると10km/L以上走る事がわかった。
一度満タンにすると700kmは走る計算になります。
又、車体もかなり小さく、ハンドルも軽く、エンジンとステアリングのバランスも良好で、keyを持つ必要(keyが無い)も無いのがありがたいです。
30%引きで買えたのでひとまず満足しています。
営業はぎりぎりまで諦めない。
その姿勢がこちらに伝わる営業だったので又、BMWにしたのでした。
何にもしなくても、何にも言わなくても、とにかく何かを伝える営業が営業だと思うのです。
苦しいとき程人間として、特に営業の本当の価値が問われると考えてます。
ブロードの営業も何とかその気持ちで人生の荒波を乗り切ってもらいたいと思います。

bmw  BMW

以上
知らぬ事 だんだん無くなる 歳となる
長生きを してみりゃ耳が 遠くなる
ラベルより レベルを感じる 若い人
自己主張 しない人程 より頑固
器見て 話しを変える 賢者たち
耳垢を 取って欲しいな 母の膝

 

オワリ


便利屋さん

2013年08月08日

もう20年近く前にたまプラーザの駅の県公社の一室を横浜の事務所として購入して、ブロードの経理や翻訳の受け渡しや業務として暫く使用した。

購入したまでは良かったのですが、電源が20Aしか使えず事務所としては使い物にならないことがわかった。
電話線も1本しか引けず、大変不便であった。
冬はガスストーブが使えたので問題なかったのですが、夏はクーラーが設置できず冷風機を使ってごまかしていた。
それでもあまりに環境が悪い為、あざみ野駅前に4年程して引っ越して、ほとんど倉庫として使っていた。
会社も26年経つと結構取っておく物が増えるのですが、改めて7年以上も昔の資料を見る事など皆無でした。
だんだん忘れ去られて行き、地下2階の駐車場を借りているだけみたいとなりました。
駅からあまりに近い為にもったいないと安く貸してくれと学生たちが言うけれど、どうみてもリニューアルしない限り住めそうも無かった。

ところが今年の6月に東急リバブルに見積を依頼したら750万というのでどうするか躊躇していたのですが、7月始めにリニューアルした別の部屋を見る機会があり350万でできることがわかり、にわかに着工する事にした。
このリフォーム屋さんの営業マンは犬好きで何度か我が家に来た時も、りんごの大歓迎(顔、耳などのなめ攻撃)を受ける程で家内の信頼も厚くなったようです。
特に住む訳でもないのですが8月のお盆明けに着工して9月末に引渡しと正式に決まりました。

そこで問題となったのは部屋にあるガラクタで全部を溶解の焼却処分とすることにしたのだけれど良く見ると53箱のダンボールに会社名入りの特注のバインダーが入っていた。
時代と共にバインダーが要らなくなってきたのですが、約半分がまだ残っている事になります。
お盆から工事をするには何としても4日頃までに運び出さなくてはいけないのですが、何件かの便利屋さんに電話をさせたら良い所があったので夕方から運ぶ事にした。
段差の有る9Fの通路と、荷物が重いため一人で来た便利屋さんは少々ご機嫌が斜めでした。
1人であるためエレベーターに5回に分けてその都度一緒にB2まで同行する事になって暇にまかせて話をしていた。

便利屋というのは呼ばれるとなんでもするのだそうで、この前も夜中に女性から「蝉が部屋に入ってきたので捨てて欲しいと言われ8千円請求した」とかゴキブリ・やもり・etc.もよく有るのだそうです。
今回は盆前にどうしても草毟りして欲しいと他の人が呼ばれて、1人で来たのだそうです。
先日などはお風呂に入れた幼子が内側から鍵を掛けてしまいすぐ来てと言われたが、人命に関わる事もありうると119番に電話させたと言っていた。
リピーターが多く、1日に4~5件は訪問するのだそうです。

良く腰を中心に物を持てと言うけれど、自分は腕で持つようにしていると言って、小生の2倍はあると思う腕を見せてくれた。
それでも何回もぎっくり腰になっていて腰のサポータも何種類も持っているのだそうです。
「さすがプロ、顔に汗も掻かないね」と冷やかすと今日はこれで4枚もシャツを換えていると澄まして言う。
もう15年もやっていて全国に20のフランチャイズ店もあるのだそうです。
かなりノウハウがあり、基本は断らないのだそうです。
人は見かけによらないと思い、家内も次も頼もうと言う事になった。
便利屋さんは赤帽さんと同じ仕事だと思っていたのに随分進歩したものだとつくづく感心しました。
彼が早くフランチャイズを3桁にして上場するのを楽しみにしたいと密かに思ったのでした。

追)

ブロードが来年3月までの引越しの為、お蔭様で大手不動産屋の友人達から様々な情報を貰ってます。
お金や広さの問題があるのですが、8月中にはエリアだけでも決めてしまおうと思ってます。
お客様に来ていただく事を考えると大手町近くか新宿辺りが事務所的に良いと考えております。
個人では16回の引越しをしてきたのですが、事務所は6回目の移転となります. 姫野がボスとしては最後になると思っております。

 

以上


あばら家が りんごにかじられ ボロボロに
横河の 夏祭り過ぎ 夏が来る
番頭を 信じ続けて 百年目
都々逸で 声をかけたい 後ろ髪
宇治氷 見ているだけで 涼もらう

オワリ


最近気になる事

2013年07月09日

最近新卒者の我慢強さとか忍耐力が無くて困ると言う話をよく耳にします。
少し厳しく注意するとすぐに泣いたり会社を辞めたりする。
こちらもそれを承知で辞めてもらいたい人にはそれなりの対応をしているのにそれにも気がつかず母親に相談する男の子は1年以内に居なくなります。
また、体調が悪く医者に行き鬱病予備軍の診断書をニコニコして会社に持ってくる。
自分のできる事と現実とのギャップが多ければ多きいほど自己虫(中心)となって行く。

新卒者ばかりかと思っていたら20歳~50歳代までほとんど同じで、自分の作った理由でいきなり「今月末(2週間)で退職します」と言って引継書を書き、ほとんど引き継ぐ相手もいなくて有休で休みを取る。
会社から見てもそんな人達なら居なくて良いわけで、何で自分が会社にいて給与を貰っているのか良く分かっていないような気がする。
それなりの給与(安い高いは別として)を頂くと言う事は最低限のマナーがわかっていると思うのはこちらの間違いのようです。

とは言うものの、姫野は最悪一人になっても営業をやると思っているので一生現役で有り続けたいと考えてます。
最近「レクター」と「リンゴ」のおかげでIT業界以外の多くの人々と知り合うことができ、とても楽しいことが多いのです。
年代も10歳代~40歳代の方々が多く、人生を豊かにしてくれてます。
何か新しいエネルギーを注入されたような気がします。
特に6ヶ月のリンゴの爆発力は凄まじく、父親として嬉しくてしょうがないのです。
最近久しぶりに火山の爆発や溶岩の流れる夢を見て、社会人になりたての頃(金も無く、不安だけど将来に対し何も怖い物は無い)を思い出したりしてます。
朝4時半に起きて、散歩に行く日課が続いてますが、リンゴはだんだん散歩に行く理由が分かってきているようです。
まだ会社やレクターなどの言葉を覚えてないので前の「モモ」のように「50ワード」ぐらいは覚えさせたいと考えております。

追)

本郷三丁目に引っ越してきて10年が経ちました。
この10年はブロードとしてセキュリティに特化することができ、誠に会社の基礎が作れた良い時期だったと思います。
ログ→特権管理→脆弱性管理→SIEM(Security Information and Event Management)まで一期通貫でやれるようになったのは最大の喜びです。
16年やってきたご褒美のような気がしてます。
セキュリティやビッグデータは軍事力の強い国が当然進んでいる訳で、日本のような元々「水と空気と安全はタダ」の国では進化できないと思っております。
点として良い製品はできるかもしれませんが、それでは世界から取り残されてしまうに違いありません。
それでこそブロードの存在価値があるというものです。

所で、話は随分逸れてしまいましたが、今の本郷を来年3月までに出なくてはならなくなりました。 少し時間はあるのですが、100坪ぐらいで良い物件情報をお持ちの方は是非ご一報ください。(夕食ぐらいはご馳走しますよ!!)
できれば半蔵門線、JR山手線、地下鉄銀座線や丸の内線で駅に近いと大喜びです。

 

以上

レクターと 富士山に来て 梅雨あける
富士山は 世界遺産で 雲隠れ
雲海を お供にしている 富士の山
番頭さん 逃げ回っては 役立たず
実績と 気力が作る ビジネスマン

オワリ

 

恒例のラスベガスへ行ってきました・・・Ⅱ

2013年07月03日

年1回の代理店会議で毎年10カ国ぐらいの代理店の人々と会うのを楽しみにするようになって来ました。
15年ぐらい経つと、皆年を取ってきて、奥様は無論息子さんや娘さんを連れてくる人も増えてきました。
この会社はブロードより1年早く設立されておりますが、オーナーとは昨年2人で話しをしていて同じ1949年生まれで益々ファミリーとして親しくなったのです。
単なる代理店の関係ではなくお前達はレベルの違うファミリー、と毎回言ってくれるのも本当に嬉しく思えるのです。


ここ3年程オーナーではなく、COOがすべてを取り仕切っていて、昨年も日本に来てもらって話しをすることが多くなってます。
彼のすごい事は、Vanguard社の売上げ、利益、投資、組織などを非常に細かく説明するのです。
一般的に、代理店会議では売上げノルマを達成するために何をすべきかをお互い話し合うことが多いのですが、彼は会社がどの方向に向かって、どういう成果を生んでいるか、期待通りでなかった事などを明確に説明するのです。
又、会社として「基本的な事をしっかりやるべきだ」と何回も言われる。
こちらも、そうだ、やるべき事をしっかりやっていなかった、といつも反省する事が多い。 一般的に、毎回海外のCEOやCOOと話しをすると、彼らは本当に基本を忘れず忠実に実行している事に感激します。
残念ながら日本に戻ってくると2~3日で基本を忘れてしまう事が多い。

ラスベガス  ラスベガス

今までオーナーとばかり話しをしてきていたのですが今のCOOの力量に少なからず親近感を持ち始めて来てます。
オーナーは2年前に交通事故に合い、頚椎損傷が後遺症として残り、毎年ダカールへ出ていたのが中止されていた。
その後実母が亡くなり、実娘も亡くなり、最後に婚約者にも逃げられ(?)ほとんど仕事(会社)に出ていないのだそうです。
それでもこのCOOのお陰で会社は堅調に推移しているがとてもうらやましく思われるのでした。


日本に帰る前の夜にオーナーが会いたいと言ってきたので、いつものようにお土産を持って行った。
ところが6時半から9時過ぎまで、ここ2年程の自分の心のわだかまりを何と涙ながらに話しをしてくれた。
こんな話しは誰にも話していないが、自分はどうしたら良いのか、どうすべきなのかアドバイスしてくれと言う。
あまりの事で返す言葉も無かったが、「姫野も何度か死に掛けたことがあるけれど、今、生きてる事は何かに生かされていると思い、その時々を大切に生きてきた。日本の仏教ではお釈迦様が良く言われる人間の一生は一瞬である、けれどそれを異化に大切に生きるかが残された者の使命だと、又、貴方は、貴方以外の何者でもないので自分を大切に自分らしく生きるべき」とだけお伝えした。
日本へ来て座禅をする事も良いのでは言っておいた。
アメリカ社会で仏教的な話しがこんなに理解されるとは少しも思わなかったが、このCEOと初めて会った時に会社経営をどういう風に考えるかと聞かれ、姫野はアメリカのソフトメーカー、ユーザ、ブロードの3社が平等に幸せになる事と言ったら、CEOはアメリカでもトリプルウィンが有ると即答してくれた。
それも今では良い思い出になっております。 

オワリ

追)リンゴの洋服をプレゼントされました。 
初めて着せられて何とか口で取ろうと真剣です。
わずか1.5㎏が6kgを超える体重となってきました。
もうすぐ丸6ヶ月ですが、だんだん部屋の中でトイレをしなくなってきました。
これから車や自転車に乗せて一緒に遊びに行くようにします。

 

ラスベガス  ラスベガス

以上


恒例のラスベガスへ行ってきました

2013年06月25日

毎年ラスベガスで行われるホストコンピュータのセキュリティの最大手のVanguard社の代理店会議とEXPOに行ってきました。
ホストのセキュリティはRACFを中心にしたIBMのZ/OSの本部がVanguard社と協業しているのですが、IBMのチボリGはVanguardの買収が出来ず別の製品をラインアップしております。
アメリカでは圧倒的にVanguardが市場を押さえているようでIBM社のRACFの教育もこの会社がやっているようです。

元々NASAでセキュリティコンサルをやっていた今のオーナーがNASAのホストに進入した事が判明してその為にソフトを作ったのが始まりのようです。
それを外販し、次々と時代の要求に沿ってたくさんのソフトを作り販売しているのです。
元IBMでRACFを造った人々やユーザのセキュリティ責任者などが社員となって頑張っているシニア中心の面白い会社です。
世界の代理店が10カ国程に有り、最近は中近東にも進出しているようです。
コンサル・セキュリティアセスメント・RACFの教育など、地味なのですが地に足をつけて確実に成長してきているようです。
今回で27回目のEXPOでたくさんのセッションがあり、活発な意見交換が行われているのだそうです。

ラスベガス  ラスベガス

この会社の本社がラスベガスにあり、(企業の所得税がとても安いのだそうです)ここ3年はラスベガスの同じホテルで代理店会議が行われており、25年前に来たラスベガスとは全く違う町(100万都市です)となってます。
とにかく日中は暑く、夕方5時頃がピークで100°F(40℃)を超えてます。
夜は20℃~15℃くらいに下がりますが湿度が異常に低く7~14%程です。
日本から持ってきたトランクをホテルで開けたらまるで水をかけられたかのように湿っておりびっくりしました。
昔、アメリカから帰国して日本でトランクを開けるとアメリカの香りがしたと記憶が有りますがそんな事を思い出させる瞬間でした。

ホテルもHarrasがあまりに老朽化しているので近くのFlamingoに変えたのですが、特別安い部屋のせいか($70/日)一番遠くの古い部屋でした。
リニューアルされていて広いのですがロビーから15分ほどかかる気がします。
全部で5000室以上も有るようで、それでも一杯なのが、又、又驚きです。
冷蔵庫もコーヒーサービスも無い安いホテルでした。

ラスベガス  ラスベガス

オワリ

追)初めて夢の中でレクターと話しをしました。
姫野がレクターの背中に乗って2人で楽しそうに話をしました。
「妹のりんごを可愛がって」と言った事だけは覚えてますが後は
全く覚えておりません。
今回はレクターの為にホースボールを買ってやりました。
兄妹仲良くやってもらいたいものです。

りんご  りんご

りんご

外国に 来て見て分かる 知恵と無駄
成功は 努力と知恵の 結晶だ
きれい事言っている他人は 役立たず
ビジネスの 基本はすべて 当たり前
レクターの 初夢を見て 目が覚める

以上

 

リンゴ、レクターに乗る

2013年06月14日

リンゴもいよいよ5ヶ月近くになって、レクターに会わせる事にしました。
1度目はかなりリンゴが驚いたようですが、3度目には何とか背中に乗れるようになってきました。

姫野りんご  姫野りんご

姫野りんご

リンゴを乗せながら両者とも最初は緊張していたようですが、後何回か練習したらレクターと一緒に引馬できそうです。
やっと親子3人で散歩ができる事になります。
1.5㎏しかなかったリンゴも5㎏を超え、かなり重くなってきました。
お蔭で孫を抱いて背中が痛くなる年寄りと同じでかなり背中が張って困ってます。
来週は恒例の海外出張なので梅雨の中休みではなく、背中の中休みとなりそうです。

姫野りんご  姫野りんご

姫野りんご

以上

ひねっても 駄作以外は 生まれない
若さとは 興味を忘れぬ 人を指す
土砂降りで 馬は転ばず 人落ちる
レクターも リンゴ様には 遠慮気味
だんだんと 自己主張の強い リンゴ様
サラリーマン 会社を出れば ただの人

オワリ


玄関に鍵を

2013年05月09日

今年の5月連休は近場を除いて珍しく家に居ました。
アメリカで風邪を引いて、大阪でこじらせて、鼻風邪なのになかなか治らず、ずっと鼻声で、たんが絡んだ咳がずっと出ていた。
お陰でティッシュは本当にたくさん使いました。
毎夜お酒を飲むと治った感じになるのですが、朝方鼻が詰まったり、たんが絡んで目が覚めるのでした。
「年行くと風邪の治りが悪くなる」のは本当のようです。
これで、今回と去年の秋自転車に乗って2回も風邪を引いたことになります。
本当に体力が落ちてきているのだと思う。

3月に家族になった「リンゴ」も体重が3倍となり4kgを超え、そろそろ外への散歩のために庭でリードをつけて歩く練習をし始めました。
最初に来た日に「リンゴ」を家に置いて買い物に出かけようとしたら家内が初めて「玄関に鍵を」掛けようとするので大笑いしてしまった。
姫野家は取られる物は無いと思って、いつも日中は鍵を掛けないのです。
女の人と言うのは面白いもので、自分の子供のように考えてしまうようで、一番大切なものになるようです。
まだゲージに入れておいてもおとなしくしているのです。
毎朝4:30から30分「リンゴ」と遊びながら、おしっことウンチをトイレでやらせるタイミングを見てさせるのです。
家内も「よくやりますねぇ」と言うのだけれど「これが動物を飼うということだよ」といつも言ってます。

姫野りんご  姫野りんご

姫野りんご  姫野りんご

土日はその後レクターの世話に出かける訳です。
レクターはクラブの方々にも大変可愛がられていて本当に幸せ者です。
つい先日もお昼に人間のように横になって眠ってしまい、死んでいるのかと思われ見学者が一杯集まるほどでした。
とにかく頭が良くて人間の心をくすぐるのでした。
そんなレクターも放牧場から脱走したり、放牧場で股の間に裂傷が出来たり日々落ち着いた日が無いようです。
しかも100頭以上も狭い所に居るので毎日が戦場のようです。
体重も一回り(多分50㎏)減量できて週末の全日本の障害競走に皆さん期待しているのです。
是非優勝を、と言いたい所ですが、親としては無事帰ってきてくれるほうが優先されるのです。

レクター  レクター

レクター50kg減量多分?  レクター股の間に裂傷

以上

自転車で 春爛漫を 駆け抜ける
連休を 風邪と過して 何も無し
酒飲める 相手を選ぶ 年となる
人生は 心残りの ゲームです
おにぎりを 1つ減らす 時が来た

オワリ


NYの桜が満開でした-Ⅱ

2013年04月30日

NYの所々に桜の木は有るのですが、かなり白っぽく良く見ないと桜だと思えない程で、しかも、それを人がたむろして見ている事など、この国では無い様でした。

今回の「Sienna Farms」訪問はかなりスケジュールがきつく、直前の週末の自転車で又、風邪を引いたようで誠に体調の悪い移動でした。
往復ANAだったのですが何とか最後にビジネスクラスにアップグレードされて助かった。 NYのMr.NOBUも「姫野さんてほんとうにケチですねホテル代、飛行機代でいつも文句を言う人は居ない」と言う。
でも姫野的には本当にもったいないと思うのです。
今回も1日目NYで2日目OCALA、3日目NYでNYは同じホテルだったのですが、1日目$350でどう見てもその価値が有るとは思えなくて、3日目にネゴしたら何と$200になった。
これでレクターのお土産品代は出たと思うと、何となく嬉しい気分になるのです。

恒例のMOMA SHOPで$350程買い物をして、1年の会員になると20%オフとなるので、いつも通り$60を会費として払いかなり得した気分で満足するのです。
毎年MOMAに$60寄付した気持ちなのです。

今回、オーナーが何故牧場を始めたのかずっと疑問だったのですが、何と彼は9才~16才ぐらいまで牧場で働いていたのだそうです。
これは、ほとんど最低生活を青春時代に過ごした事になると思います。
ソフトウエアで成功してから牧場主として成功する事はたやすい事では無いと思うのですが、そんな青春のバックグラウンドが彼を動かせ、奥様もしっかり支えている事で姫野自身納得が行った。

2日目にオーナがKEIGOに銃やコヨーテ狩りなど色々考えて居たのだけれど、ロングアイランドのCOOがいつもCEOがやっている事をKEIGOにさせないように注意をされて、どうして良いか困って居たと言われて大笑いした。
かなり姫野もワイルドで有ることを証明出来たようだ。

NYについた月曜日は今回はボストンマラソンの爆破事故が有り、NYも自動小銃を持った軍や装甲車などが多数出ていて物々しい警戒態勢でした。

次の日7時30分の朝1番のフロリダ行きの飛行機に乗ってオーランドに向かったのですが、8時に爆破の電話が有り空港閉鎖となり、その後AA(アメリカン・エアライン)がコンピュータの不具合で全便キャンセルになったりして大変だった様です。

次の水曜日フロリダから戻りロングアイランドのCOOと食事する予定だったのですが、飛行機が遅れて午後6時に着く予定が11時半になってしまった。
仕方なく12時半頃にNYでMr.NOBUと軽く食事をしていたら「日本人は鯨を食べるのを止めるべきだ」とぽつんと言われ、40年もNYに住むと日本人の文化とは焦点がボケるのだと驚いてしまった。
姫野は飛行機の中ですぐ眠るのだけれどMr.NOBUはかなりお酒を飲んでいたのです。

10年程前にテキサスの友人に「何故アメリカは銃を規制出来無いのかな、日本人から見ると本当に不思議だ」と聞いた時にその友達の答えは、テキサスの小学校に入って最初にやることは「銃の分解掃除だよ。だから難しい問題だと思う」でした。
相手の文化は理解できるつもりでも本質的に頭の中で考えなくてもわかると言う事はいかに難しいか思い知らされた出来事でした。
一番いけない事は「相手の心や文化をわかったつもりになる事程失礼な事は無い」と思うのです。

それでも海外の会社と25年続いた影の功労者はMr.NOBUとFLORAのお二人が日米の文化の架け橋にふさわしい方々だった証明と思います。

 

Mr.NOBUとFLORA  FLORAと姫野

Mr.NOBUとFLORA

是を経験出来た姫野は本当に幸せ者だとつくづく思いました。

オワリ


NYの桜が満開でした-Ⅰ

2013年04月24日

4/15(月)から19日(金)まで米国へ出張してきました。
大きな目的はブロードのソフトウェアパッケージの販売の最初のスタートとなったNYのロングアイランドに有るSEA社(Software Engineering of AMERICA)の代理店になって丸25周年経ったお祝いに、とにかくしっかり挨拶に行こうと思って行ったのです。
SEA社はホスト(IBM)系のツールを世界的に販売している大手で、ホストが全盛期の頃は世界で30番目ぐらいに入る程の大手でした。
オープン系が進行する中で相対的に地位は下がっておりますが、最後のガンマンになるべく努力しているようです。
ブロードの原点のブロードウェイの写真を撮って、翌日フロリダのオーランドに向かいました。

ブロードウェイ  ブロードウェイ

 

CEOは既にフロリダに移り競走馬の生産に情熱を燃やして10年経ってかなり定着してきて成功しているようです。
馬(サラブレッド)の世界は先ずは血統が物をいう世界でインターネットで調べると400年程前まで遡ることが出来るようです。
お土産の特注のダルマよりディープインパクトの三冠達成の記念切手が気に入ったようで、早速ディープの男親がUSAのサンデーサインレスと判って、日本はお金でUSAの良い馬を買いあさって行くので困ると言ってました。
彼の牧場はフロリダのオーランドから80マイル程北へ行ったOCALAで何と300エーカーの広さに100頭程の牝馬がおり、年20頭程生まれるのだそうです。
安いので$5万、高いので$25万程で世界に売っているようです。
売り先はアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドバイが多いようで、何とか日本にもコネクションをつけたいと言っておりました。
1日目の夕方から3時間程かけて案内してくれましたが、1頭がもうすぐ生まれそうで、既に馬乳が出始めているので、今夜は側に居てやりたいという事で食事は買いに行って食べました。

ceo

次の日は朝8時から牧場に有る調教コースを見学して、OCALAの馬の取引場を見学させてもらった。
日本からもバイヤーが7~8人来ていて真剣にタイムを見ていた。
テスト走行して翌週の火曜日にセリにかけられるのだそうです。
400mのタイムが10秒程で、これを切る馬は殆どいなかった。
彼が取引所の人を紹介してくれるので何人かと握手したが、とても真剣そうなので、後で彼がKEIGOは日本で何頭か馬を持っているらしいよ、と遊んでいたらしい。
近くに馬具のお店があったので、またレクターの馬着を3枚も買った。(日本の1/3程の値段ですが重たいので無理する事は無いのですが、日本では品数が無いのでついつい無理するのです)

レクター  レクター

OCALAは牝馬を、ケンタッキーでは牡馬を分けて飼育しているようです。
2~3歳の馬達は全く人見知りもせず、ノビノビと育っており、うらやましい限りでした。
とにかくゆっくり写真を御覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上


モモ&りんご通信

2013年03月25日

とても残念ですが、平成21年6月23日にりんごが平成25年2月15日にモモが他界しました。
モモは17歳までの長寿を全うしました。
現在平成25年1月15日生まれのりんご2世が姫野家の娘として3月17日に正式に入籍しました。
まだ60日で体重1.4㎏で目も良く見えないようでしたが、今は体重2kgを越えて、飛び跳ねたり、無い尻尾を追いかけてはくるくる回ったりしています。
ゲージから出て30分程大暴れをして、いきなり眠りこけたりしてます。

姫野りんご  姫野りんご

姫野りんご  姫野りんご

3ヶ月は外へ出せないので部屋に居ますが、早くレクターに会わせて、犬の馬乗りを覚えさせたいと考えてます。
トイレのしつけの為に12時、4時には起きる日々が続いてます。

以上


3.11の残した物

2013年03月11日

3.11を前にNHKや民放などでドキュメンタリーや世界の原子力行政、原子力発電に伴った事故の報告などがあり、目を背けないでなるべく見るようにしていた。
自然は創造され、破壊され、その繰り返しなのでしょうが、人間が絶対にやってはいけない事が有ると言うことだと気づかされました。
すべての生き物が地球を母としているのに、その地球を人間が破壊しては全ての生き物の最後となると言う事です。
地球の将来は火星と言われているようですが、それが自然現象であれば地球やその全ての生き物について諦めも出来るでしょうが、人間の手がそれを行うとすれば絶対に許されるべきでは有りません。

姫野本人としては3.11の事を思えば自分の少々の人生の波や苦悩などはゴミのように思えて毎日を前向きに生きて来れてます。
ただ原子力の汚染だけは絶対に許せないのです。
NHKがイギリスの原子力行政の変遷を伝えておりました、御覧になられた方も多いと思いますが、何故今頃の放映なのかマスコミの怠慢としか考えられないのです、粗筋を紹介しておきます。

イギリスは50年以上前(エリザベス女王の即位2年後)に原子力発電所の大火災が有り、ヨーロッパ領域に放射能汚染が広がったにも拘らず、当時の外相は事故を封印したのだそうです。
その後世界で初めてのプルトニウム原子力発電所の事故が有り、行政として現在原子力発電までのフロントエンドシステムと廃炉を行うバックエンドシステムを分けて管理することになったのだそうです。
その長官のインタビューや活動が紹介されておりました。

フロントとバックでは、バックはフロント以上に資金と時間が必要となる。
又、組織は政治家を一切排除していて廃炉には120年と言う時間で考えている。(政治家は4年単位でしか考えられない人種なので参加させてない)
自国だけでなく世界8カ国の原子力廃棄物を再生し、各国に送り返している。
これが大きなビジネスとなり資金を生んでいる。
最後の廃棄物処理は、現在スウェーデンだけでしか最終処理場を持っていない。
これをどうするかが当分大きな問題だと言っていた。

IT業界の開発と運用に似ている所も有りますが、世界のビジネスの大きなヒントが有るかもしれません。
イギリスは大きな代償と時間をかけながら着実に前に進んでいるようですが、日本はどうなるのでしょうか、寒くなってきます。
2013年日本が大きく変わることを期待します。

追)新しい家族が増えました。
2013年1月15日生まれの1.4kgの女の子です。
まだヨチヨチ歩きですが、遊びながら急に眠ったりしてます。
3月9日に我が家に貰われて来ましたが、この子が姫野家に
幸運をもたらしてくれる事を確信してます。

名前は「姫野りんご」です。


 

姫野りんご 

オワリ

啓蟄の 陽も高くなりて 虫動く
一本の 熱燗握って 汗を掻く
梅林を つつくメジロは 女王様
梅林の メジロにフォーカス カメラマン
青春を 小説化した 昭和人

以上

 

日本料理龍吟に行って来ました

2013年02月26日

NHKで特集した日本料理の山本征浩氏のこだわりのテレビで見て一度行って見たいと思っておりました。
多くの場合テレビで見るのと本物を食べるのは雰囲気や味も違うケースが多いのですが、今回もご多分に漏れずでした。

2月に、お世話になった方の「古希」の誕生日祝いをやる事になっていたので思い切ってご夫婦をご招待してこちらもご相伴させて貰う事にした。
何とか予約は取れ、当日楽しみにして行った。

小さなお店でしたがほぼ満員でした。
姫野の斜め前のテーブルにフランスの美人の記者がメモ書きをしながら食事をしていた。

当日のメニューをご覧いただきます。

とにかく量がもの凄く、すべてが外人受けする感じで有った。
お酒も1合1500円~3000円とかなり高め(飲兵衛から言わせると)でした。
沢山有る中でこれはと思ったのは「牛蒡のすり流し」と「蝦夷鹿」ぐらいで「たらの白子」や「河豚の切り身」などは全く美味しくなかった。
これで一人\23,100.-は高く、少しのお酒で一人3万円は暴利と言う感じがした。

又、本人の本も\7,000.-/冊で見本も無く、本人のサインも無く、それでも一期一会の記念として3冊買ってきました。

 

外人向けには良いかも知れませんが、日本人は2度行く人は少ないのではと思った。

以上

追)レクターが先週末やっと運動できるようになり、ほっとしています。
喜んで空を飛んでますが、親としてはこんなに嬉しいことは有りません。
いよいよ姫野家にも春が来ました。

 

レクター は 大きな舌で 手を舐める
柔らかい モモの体毛 手に残る
思い出を たくさん残して 天国へ
モモ様は 死ぬと真っすぐ 天国へ
信頼を 辞表で返す 愚か者
興味無い 我が人生に 人が増え

オワリ


ありがとうモモ

2013年02月20日

我が家の長寿記録を作った娘のモモ(ミニチュアダックスフンド・スムース)が2月15日(金)の朝永眠しました。 姫野が水曜日に大阪出張する時は玄関まで見送りに出てきてくれてとても元気そうだったのですが、病院に入院して点滴打って一晩経ってから急変して亡くなった。

病院では又ご出張ですか、と言われるくらいここ2~3年姫野がいない時に限って様子が悪くなり病院へ行くことが度々あった。(ストレスなのでしょう)
モモの様子を見ていて最近「あの世からのお迎えが来てもまだまだ結構ですよ」と言いなとモモに言い聞かせていたくらい体力が弱ってきていた。

 

りんごが死んでから4年。
とても元気になってもう少し長生きするかなと思っていた矢先でとても残念でしたが17年と45日、本当の娘のように生活を共にし、いつも同じベッドに眠っていたのですが、たいして苦しまず、あっという間のお別れに何かほっとした気持ちになってます。

今まで一緒に居た犬と比較し、とにかく観察力が鋭く頭のいい犬でした。
これから火葬の車が来てお別れとなりますが姫野の人生を支えてくれ、素晴しい思い出をたくさん残してくれた事に感謝感謝です。

毎朝1時頃と4時頃のトイレタイムに起きる必要が無くなったのが有り難い様な寂しい気持ちになります。
トイレへ行ったら必ずお尻を拭く事を教えたのですが、律儀に時間に関係なく姫野を起こすのとトイレを始末しないと機嫌が悪いのです。
昨日は10時頃に寝て久しぶりに朝4時までぐっすり眠る事が出来ました。

 

 

りんごが死んでから4年程は姫野がモモの世話をする感じでしたが、夜中にふっと目が覚めてモモを構ったり、抱っこして気分転換を随分させてもらった。(一方的に姫野がしゃべるのですが)
今の姫野が有るのもモモのおかげ大と思ったり、姫野が病気になった時は2人で一緒にお墓に入ろうなどと言って構っていたのです。

最近は姫野が居る時はトイレだろうがどこに行こうが金魚の糞のように姫野の後を追ってきて見えないとどこに居ると呼んでうるさいほどでした。
朝はいつも会社に行くというと「いやだな」と言う目をしてじっと見つめておりました。 それを見ていつも「会社へは行きたくないけどモモのご飯の為」と言っておりました。
朝は「モモ行ってきます」夜は「モモ帰ったよ」とずっと言ってきたのを変えなければいけません。

我が家にはサクラ(桜文鳥)とレクター(馬)の2人となりましたが、近頃我が家の庭で生まれたブチ(猫)が居ついてきそうな気配です。

3月は子犬の出産ラッシュですので5月には何匹かの犬が我が家の庭を駆け回っている気がします。(2匹はモモとりんごに決まってます)
いつも犬が側に居る生活をしていた姫野にとって、レクターと次の犬達と大の仲良しで生活できる日を夢見ています。
モモ、お父さんもう暫く頑張るよ!
それまでりんごと楽しく暮らして待ってておくれ。

以上

ももの写真

りんごの写真


魚の目

2013年02月18日

魚(さかな)の目と言うと富山弁で新鮮さを表す「キトキト」が有名ですが、「魚(うお)の目」と言うと足の裏に出来てなかなか消えないあの嫌な奴です。
営業は足で稼ぐと昔は足の裏のマメや魚の目は1人前の営業の勲章と思われておりました。
又、硬い靴や重い靴を履くのが営業らしいと思われておりました。
あんまりマメや魚の目が痛いときは毎日メーカーが違う靴を履くなどして工夫しましたが、最近自分も年だし営業主体ではなく、快適でたくさん歩きたくなる靴に変えようと昨年思い切ってヨネックスのウォーキングシューズを試しに仕事に使う事にした。
バックスキンタイプの黒いウォーキングシューズで人に先に言われるのが嫌な為、「ジジ用のウォーキングシューズ」と会う人に言ったが、あまり皆さん気にしないようなので同じタイプの別の黒のウォーキングシューズを買って、一日置きに履き替えています。
昨年2週間程して左足の裏の2つの魚の目が無くなった。 (左足が右より大きいため)
特に年末は普段より挨拶回りでたくさん歩く(2、3万歩以上になる日も多い)のですがあまり気にしないで歩くようになった。
なるべくタクシーを使わないようにしたり、又一駅ぐらい余分に歩いたりするようになった。
昔は靴を変えて、暫くは痛みが無くなったりしたが、その靴に慣れてくるとしっかり魚の目やタコが出来る事が多い。
又、新しい靴だと必ず踵に靴擦れが出来るのが普通だったのです。
今、3ヶ月程きれいな足の裏となってますが、これで治れば「ジジ靴」を正式に認定しようと思ってます。
今までの靴が(50足?)無駄になるかもしれませんが「過去に囚われる者未来を失う」と勝手に思い、ウォーキングシューズでこれからの人生を楽しむ(?)事にしたいと考えてます。


 

追)時間つぶしの本の紹介です。
今は亡き、井上ひさしの「ふふふふ」講談社\500.-です。
井上ひさしと言えばNHKの「ひょっこりひょうたん島」が
有名ですが、 こんなエッセイがあったのですね。
苦笑・失笑・嘲笑・哄笑が味わえてあっという間の時間が過せます。
お試しあれ。
500円の価値は充分に有ると思います。

オワリ


江戸城はどこに有るか

2013年02月12日

先日、極親しいユーザの部長と飲む会が有り、たまたま今の新人達は(25歳まで)の話しとなり、ブロードの担当の営業と同県人がユーザにいるので多分同じ解答になると大笑いした。

たまたまブロードの営業が遅れてきたので同じ質問をしたら真にその通りでした。

質問1.江戸城はどこに有ったか?
質問2.中央線の市ヶ谷から見える池は何か?

地方出身の子供達は特に判らないのかも知れません。 ゆとり教育のせいで日本史や世界史などを勉強した事が無いで済ませる事自体、社会人としての一般常識とか教養として捉えられない若者が増えてきているのです。

当然ながら正解は、1.皇居と2.お堀なのですが、1.はわからず、2.は川や沼と応える人が多いようです。
興味を持って人や物に接する事を忘れてしまっているようです。 判らなければインターネットで検索すればよいというのでは無いのです。

笑い話で終っている間は良いのですが、その人達がいつか社会を背負う時に多分、大変な思いをするのではと思ったりしています。

オワリ

大寒の 朝日待つ間の 寒さかな
魅力無い 努力もしない 人多し
興味無い 会社であっても 頭下げ
嫌な事 言う役ばかり 飽きて来た
残雪を 小さくしながら 春が来る

レクターに新しい馬着を買ってやりました。

 

小田急ハルクで50%オフと聞いて電話をしたら、セールは昨日で終ってますと言われて「ああ残念」と言って電話を切ろうとしたら「良いですよ、大きさは?」と言うので「LL」と言ったら「取っておきます」と言ってくれたので会社が終って慌てて買いに行った。
レクターは12月中旬から右前足が悪く、運動出来ずイライラしてます。
それで気分転換の気持ちで買ってやったのですが、「馬耳東風」では無く「馬着無関心」でした。

以上

 

犬好きの方へ

2013年02月08日

最近読んだ「戸川幸夫 著の猛犬、忠犬、ただの犬」が大変面白かった。
犬好きの方々にはたまらない一冊です。
本の紹介には、
「動物文学の大家が歩んだ犬との協演。幼少の頃から一人立ちするまで、時には闘い、時には涙を流し合った。その間柄は人と人との関係を凌駕する自伝小説」

戸川幸夫氏は残念ながら知らなかったのですが、解説を「平岩弓枝」が書いているのが不思議だったので手に入れたのです。
平岩弓枝も戸川氏から「東風(コチ)」という秋田犬を貰い、嵌ったようです。 その内容の一部を引用します。

「気の強い我が家の飼猫がおそるおそる近づくと、そっと背中の毛をなめてやったりするので猫は忽ち仲よしになり、じゃれたり、背中に這い上ったりしても「東風」は困ったような表情をしてじっとしていた。
それが裏目に出た。
神社の境内はけっこう広いので犬の散歩に伴って来る人が少なくない。その外国人もシェパード犬を曳いて来て池のほとりで水を飲ませていた。犬を怖れなくなっていた我が家の猫がうっかり近づいた。我が家ではつながれている「東風」がすさまじい吠え方をしたのにびっくりして傍へ行った。「東風」は池の方角へ向けて激しく吠え、なんとも悲しげに啼いた。よろよろと猫が戻って来る所であった。首筋から血を流し、傷口がぱっくり開いている。猫は「東風」の傍へたどりつき、そこで死んだ。
暫くの間、外国人は犬の散歩に来なかった。
我が家でも相手が犬のことなので苦情をいう気はなかった。ただ、可愛がっていた飼猫の無惨な死には家族中がショックを受けた 。
一ヶ月ほどして、また外国人が例のシェパード犬の散歩にやって来ていた。たまたま、犬小舎の掃除をするので書生が「東風」を外へ出し、木につなごうとしていた。「東風」が走り出したのはその瞬間で、書生が大声をあげ、私達が外へ出た時、「東風」はシェパード犬をひっくり返し、その腹の上をしっかりと前脚で押さえつけていた。飼い主は逃げてしまっている。私たちは口々に「いけない。東風」と叫びながらかけ寄って行き、父が軽く「東風」の首を叩くと、素直にシェパード犬から下りた。シェパード犬は尻尾をお尻の下に巻き、石のように動けないでいた。父に曳かれて社務所へ戻る時、「東風」は後脚で思い切り地を蹴った。土が砂のようにシェパード犬にふりかかるのを見て、私達は「東風」は猫の敵討がしたかったのだと悟った。戸川先生がいつもおっしゃっていた「犬にも人間と同じように心があるんだよ」という言葉が耳の中に聞こえたような気持がしたものである。

内田百閒の猫の「ノラ」を思い出させました。

オワリ

節分に 春雪が舞い 降りてくる
飲み過ぎて 脈まで酔って 千鳥足
ゆりかもめ 東京湾を すべて見せ
我の道 別れの道に 差し掛かる
残雪の 汚れと共に 春が来る

以上

 

人生を豊かに

2013年01月18日

昨年後半から今年にかけて乗馬を始めた事が「人生を豊かに」してくれているようでとても嬉しい。
特に海外で家庭に招かれた時など家族や本人も乗馬(馬が傍に居る生活と言った方が良いのかも)について詳しい人が多いのに驚かされる。(日本と違って競馬とは思わないようです)
この前ラスベガスに行った時も、自宅に招かれたご主人の娘さんと話しをしていたら、牧場を持っていて馬のトレーナーでも有る事がわかり、大いに盛り上がった。
日本で試合に出ると馬専用のトラックを借りたり結構お金がかかると言ったら、アメリカでは馬を飛行機に乗せるので本当に大変(高くついて)との回答で、アメリカの大きさを改めて思い知らされた。

自分の60年程の人生を振り返ると学校の勉強はほとんどやったことが無かったが、とにかく色々な趣味とか経験をたくさんしてきた。
記憶を遡ると、①小学校1年の時、姉と一緒に有名な習字の先生に習いに行き、あまりに姉が上手く、自分がミミズが這った様な字で、涙を「ぽろり」と流すのを先生に見られて、先生が母親にそんなに嫌なら無理をさせないほうがよいと言うことで辞めることになった。

②料理に興味を持って日曜日はなるべく家族の分を作るようになったり、父親がマージャンを教えてくれたり、小学校1年の時に第九を聞きに行くと言って母親を驚かせた。
そして富山少年少女合唱団でボーイソプラノで有名になり、二千名程の前で良く歌った。

小学校3、4年は父の福井転勤で休んだけれど変声期の中学校2年頃まで続き、このお蔭でどういう訳か(田舎のせいか)高校卒業まで音楽はずっと5であった。
又、2年ではそろばん塾に通い2級を取った。

③福井では父親が和弓の師範の免許を持っていたせいか、弓道場に連れて行ってくれた。待っているのが暇なので俵に向かって見よう見まねで和弓を引いた。
この頃自転車(母親のママチャリ)で福井の「あすわ山」から坂道を落ちるように同級生と競争した。
今思えば車が少なかったから事故にならなかったのだと思うけど、不思議とその頃は恐怖心はなかった。
又、勉強は出来ないのに転校とともに級長になった。(今思えば、これが人生の大きな転期だったのかもしれません)

④中学校に入ってからスポーツに目覚め(小学校まで友達はほとんど女の子だった)進学校であった為バレーボール部のキャプテンと富山市の初めての体育委員長をやった。

進学校(1学年650人でテスト事に1番から順番に席が変わる)だったせいで市の大会で人数が足りず、バスケット、野球、サッカー、ハンドボール、水泳、バレーボールなどの試合に借り出されていた。
勉強しないのに、それでも最初のクラス(55人)にいつも居たのです。

⑤中学の2年頃から文学にも目覚め、日本文学全集・海外文学全集など片っ端に読みあさった。
文学は何が好きかと言うよりは海外文学に興味を持った。
しかも長編が好きだった。
全集は絵画も入れ、当時の物をほとんど読み切った。
学校の放課後は6時頃までスポーツに明け暮れ、夜中に本を読んでいたので勉強する時間はテスト前の一夜漬け以外なかったのでなるべく授業中に全てを覚える事にした。
これが結構集中力をつける事に役に立ったのではないかと思う。

高校に入り、柔道を正課でやったが、クラブには入らなかった。
しかし、登山、釣り、油絵、スキーをして家で良くお酒を飲んだ。
庭仕事にも精を出してサボテン2000鉢の為に温室を作り、家庭農園で色々な野菜を育てた。
まだ、トイレがドボンの時代だったので自分でそれを畑に蒔いてやったり、農家に行って籾殻を貰って来て燻炭を自分で作り土を作ったりした。
てな訳で勉強する時間が無かった。
勉強も出来ないのに相変わらず級長や学年代表、生徒会長などやらされた。

高校3年の時に初めてゴルフをやり、以来57年も続いている事になります。
大学に入ってからもほとんど授業には出ず、7つ程の部活を毎日楽しんだ。
2年の時病気で休学し、人生観も大きく変わったけれど、今から思うと自分がもの凄く深化した時期だと思う。

途中で20年間程テニスをプロに習ったりしましたが片目になり動体視力が無くなり(卓球もそうです)他人に迷惑がかかる為辞めました。
そして7年前腰痛を治す為に初めて乗馬を始め、今はレクターの世話係としてやってます。 今思うとやってこなかったのはダンスぐらいで(家内の趣味)本当に色々な事をやってきました。
それで友人達もとても多く、楽しい時間をたくさん作れたのだと思うのです。

又、父親が何でも自分でやろうとするけど不器用で見てられなくて、手伝っている内に自分がどんどん出来るようになった。
車も高校3年の時に免許を父が取ったのだけれど、あまりに下手で、手伝っている内に車も運転も覚え、警察に行って直接免許を取った。
多分300人に1人ぐらいの合格だったと思う。
今思えば父に感謝感謝です。

さらに小さい時から病気もたくさんして来ました。
でも、病気をして初めて知ることも多く、今生きていることを思えばとても良かったと思います。
特に人間最後に本当の価値が見えるような気がします。
様々な経験によって人の傷の深さや痛みがわかるとも言いますが、他人ではなく自分にとって「人生を豊かに」してくれたことに感謝感謝です。
でも、まだ何かやり残している様な気がして仕方ないのでもう暫く元気で頑張りたいと考えています。
何となく、父が継ぐはずだった高岡の天皇陛下のお泊りになる高級料亭「延対寺」の事が時々幻のように思い出されます。
父が満州に行かなければ全く違った人生があったのだろうと今更ながら考えております。

オワリ

モモ様は わが世の春と 大騒感ぎ
モモ様も サクラだけには 勝てません
12月 会社に居たのは 5時間だ
狭いカフェ 人間模様 見えて来る
新年を 迎える準備  まだ出来ず

以上


レストランのワースト3は

2013年01月09日

昨年12月にアメリカへ行ってたら、テレビでレストランのワースト10をやっていた。
ワースト10と言っても食べ物が腐っていたり、変なものが出てくる訳では無く、不潔(細菌)が多い物は何かと言うのだそうです。
アメリカで年間1000人程がレストランへ行って原因不明の体調不良を訴えて死んでいるのだそうです。
アメリカは日本と違い大規模で席数が多いレストランが一般的です。
その分だけ効率良く運営している事も確かなようですが、管理が行き届かないのも確かなようです。

皆さんわかりますか? まずワースト3は何とレモンの黄色い皮だそうです。
手で切ってボールに入れられ、その後も人の手でレモンのピースを取って紅茶などに入れてます。
これには少々ビックリですが、手がいかに細菌に犯されているかわかります。
次のワースト2は、おわかりのようにグラスやコップの口だそうです。
少し上品なお店だとストローの吸い口に紙のカバーをつけて出してくれますが、的を得たサービスと言えます。

それでは、ワースト1は何でしょうか?良く考えてください、まず当たりませんから!!

何と座席のシートなのだそうです。
マメに掃除をする所、ドアノブや手すりから見ると確かにシートは難しいですよね。
それにズボンもくせ物のようです。

NY州ではこんな問題が有り、レストランのランキングをA.B.Cと区別したような話でした。
その解決策ですが、両手を14秒かけて石鹸でしっかり洗うことだそうです。
新年から変な話ですが、インフルエンザの季節にもなりましたのでお互い手を1日3回食事の前には14秒かけてしっかり洗うことにしましょう。

 

オワリ


厄払い

2013年01月08日

昨年末12月27日(木)夜12時近くにBMWのX5に乗って自宅に帰る途中、車のメッセージが次々と変わり、危険を感じ信号で停まったので一度電源を切って、入れ直そうとしたら、まったく動かなくなってしまった。
キーを回しても光が激しく点滅して、まったくエンジンがかからない。
パーキングランプだけは点滅するのでこれだけは点ける事にして、外へ出る事にした。
又、運の悪い時は重なるもので、この日は携帯を家に忘れて来て、何処にも連絡出来ない。
公衆電話のカードを名刺入れに入れているのを思い出してそれで、どこかで連絡しようと思いながら車を置いて出る。
信号を渡った所にエッソのガソリンスタンドが有ったので、そこまで行けばと思い、あまり考えずに行った。
何とその時間に人が居たので、事情を話して電話を貸してもらう事にした。
24時間のガソリンスタンドは法律で必ず誰かが居ないといけないのだそうです。
特に、この近くのガソリンスタンドで最近タンクローリーが炎上した事が有ってうるさいのだそうです。
最初は変な奴に関わったなと、その彼(40歳程?)でしたが、だんだん協力してくれるようになって自宅にまず電話して自宅からBMWの営業に連絡をさせたが、休みで連絡がつかず、緊急コール電話番号も番号が変わっていてやっとヘルプデスクに連絡がつき、レッカー車を手配してもらった。
今まで25年BMWに乗って何かあった時はすぐ営業に対応してもらっていた。
その対応が早いので、全て任せていたのに今回に限ってはまったくダメだった。
車はBMW 525、740i X5(3台)と乗り継いできたのにいよいよ縁が切れる時かと思ったりした。
ヘルプデスクの対応の悪さも有ったのだけど、レッカー車にキーを渡したのが午前2時半頃でした。
何度か車とガソリンスタンドを往復している内にその彼が「今年の最後の厄払いできて良かったですね」と言ってくれて、ものすごく気が楽になった。
後から家内がどちらかの母の悪い知らせかと驚いたと言われた。
BMWで次の日代車を用意してくれて、年末・年始は何とか越えられそうです。
母も骨盤骨折で入院してたのですが、年末・年始は自宅に仮退院でき、送り迎えも出来た。 (1月3日で88歳となりました)
ガソリンスタンドの彼が、タクシー会社4社に電話してくれたのですが、暮れのこの時期でまったく捕まらなかった。
しかたがないので信号で車を拾うことにしたらすぐに車が停まってくれた。
寒い夜中、車の為だけに立って待つことは、昔は年末多かったのですが、酔っ払ってもいなくて待つのは風邪を引くだけと思っていたのに、運が代わった瞬間のような気がした。
家に帰ったのは午前3時過ぎでした、 又彼が最後に「困った時はお互い様ですよ」と言ってくれたのが久しぶりの日本人の温かさを感じさせてくれた。
本当に「地獄で仏」はあるのだと感謝感謝でした。

追)次の日(28日)も朝から挨拶回りで大変でしたが、夕方毎年最後に飲む元友人(1年前から1度も会わない)にTELしたら、電話待ってたよと言ってくれて、午後7時に「二子たま」で会い、朝3時過ぎまで飲んでしまった。
今年初めて知らない客とカラオケに行ってしまったのです。
これで本当に厄払いが出来たと確信しました。

オワリ 

 

 

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