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2003年12月26日 | 思考の品質管理 |
2003年11月19日 | ゴルフ |
2003年10月27日 | 癒し |
2003年10月03日 | 会社のこと1 |
2003年09月30日 | 腰痛の人の為に |
2003年09月29日 | どうしてよいかわからない話-1 |
2003年09月02日 | ゴーン氏が |
国内情報(2003年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
思考の品質管理 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年12月26日 今年もいよいよ終わりとなってまいりましたが、今年読んだ本の中で「我が意を得たり」と思う本がいくつか有りましたが、その中で皆様に是非ご紹介したい(読んでいただきたい)一冊があります。題名は「なぜ、それを考えつかなかったのか?」副題「最高の結果を生む聡明な思考法」著者 CHARLES W.McCOY.JR(チャールズ.W. マッコイ.Jr)ダイヤモンド社 2003年1月30日刊。いままで会社の人や若い人々になにかしてあげたいとか、してあげないといけないと思い、営業、技術、管理等担当別にはその関連(精神も含め)の教育や専門性を高めることをかなりやって来たのですが、何となくなにかが違っていると長い間思っておりました。又、なかなかによい方向に進まないこともわかっており、教育をやることが目的となってしまっているような気がしておりました。 そんな中でこの本を読み真に「目からうろこ」でした。 この本で「我が意を得たり」と言うのは思考の持続性とか標準化というのは理解していたつもりですが、「思考の品質管理」と言う言葉でした。 人はその経験や専門性をどのように磨くのか、あるいは磨けるのか?人の器は決まっていて、大きくならないのでは、などと考えていたのが、すべてがひとが考える力という原点にたどり着いた訳です。 様々な問題が起きた時など良く「BACK TO THE BASIC」(基本にもどれ)と言われるのですが、そんな気がしました。 この本の中身にはあまりふれませんが(皆さんに読んでいただきたい為)、頭のエアロビクス有り、世の中の例有りで、大変厚い本(物理的ページだけで無く内容も)ですがとても面白く読むことが出来ます。(単なるハウツー本ではありません) 考える力をいかに養い続けて自分を高め、品質管理が出来るかは人生そのもののようであり、自分に対しても永遠のテーマだと思います。最近この「思考の品質管理」というテーマで社員教育を5時間程やりました。私自信ビジネスゲームを学生時代に先生のお手伝いで何度かやらされており、それと同感覚でやったのですが、「基本的に考える」ことを考えられる人は非常に少ないと思いました。どう言う訳か「まあいいか」というレベルで深く考えないで仕事をしている事が自分を含めて多いと思いませんか?そんな中で社員に言ったことは、ブロードにいようが、辞めて別の会社にいたとしても「考える力の無い人」はどこでも適用しない(人の上に立てない)と言うことです。又、それを自分で自覚するかどうかで将来が楽しくなるかどうかではとも思います。もっともそんなことはどうでもいいと言う今風の考えも有るとは思いますが・・・。こんなことを長々と考えさせられる本でした。24時間365日マルチで考え続けることを楽しみながら2004年はやりたいと考えておりますが、2004年が自分に取っては無論、世界や日本などと大きなことなど言わず、私のホームページを見ていただいた方々だけでも良くなればと祈っております。「思考の品質管理」と「人と自然に感謝する心」がそのKEYのような気がするのですが。 終わり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゴルフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年11月19日 本格的にゴルフクラブを握って早35年が経ちました。大学に入りなにかを始めようとして、東京にいた親戚から古い「有賀」のハーフクラブを譲り受け、工学部体育会のゴルフ部に入りました。初めて回ったのが、相武カントリーで、61,62,63だったのを覚えております。当然woodは使えなかったので、1年間ほど3-ironで打っておりました。2年目に病気で休学して、クラブへ戻ったら、1年上(同級生)から生意気だと言われ、工学部「体育会」だからといった気風になじめなかったので、自分で全学部に声をかけて、「ファミリーズ」という同好会を作ることにしました。同好会としては慶応で4番目ぐらいだったと思います。(今も名前を変えてまだ続いているようです。)もともとゴルフがうまかった訳ではありませんので、ゴルフスコアだけではなくて「人と知り合う場所として、大切にしようと考えました」ところが、28歳の時にゴルフで腰を痛め、その後「慢性のギックリ腰」になってしまい、10年近くゴルフをやれなくなりました。独立して、しばらくしてゴルフのお誘いも多くなり、腰を使わない手打ちスイングでその場をしのいでおりました。それでも90前後では回れるようになりました。しかし、50歳になって、あまりのひどいスイングに愕然とし腰痛も収まって来たので、思い切ってゴルフレッスンに毎日曜日通うことにしました。まず姿勢をずいぶん直されましたが、これが腰にとても良かったようで、今まで100球打つと腰が痛くなりしばらく何もできなかったのですが、1時間半のレッスンで300球打っても腰がふらつかなくなりました。 2年前に年間26回コースへ出て平均92。昨年は年間29回コースへ出て平均86となり、とても良くなったと思っておりました。ところが昨年末又フォームを少し変えた所、急にボールがブレ始め、今年は35回コースへ出て平均92ぐらいもどってしまったようです。どうも頭の中からスコアが抜け切れないのが、大きな問題のようです。 そんな時に偶然テレビで「中嶋常幸」のゴルフレッスンを見たのです。 (皆さんよくご存知のゴルフプロ「中嶋常幸」が最近NHKの趣味悠々で「スイング・プレゼント」という番組をNHK教育テレビでやってます。(平成15年10月~12月)) 中嶋常幸というと、青木・尾崎の次のスターとして数々の栄光に彩られていたのですが、40歳になってパット・ショットともイップスにかかり突然テレビや新聞から消えてしまった人です。最近奇跡の復活をとげ、40年のゴルフ人生を集大成したゴルフレッスンを始めたのでした。 おわり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
癒し | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年10月27日 よく「ストレス解消」に良いとか、「心の傷を治す」とか言って色々な方法が紹介されているけれども、自分の生活のパターンを変えてまで何かをする人は非常に少ないと思う。「人間なかなか変えられない」と言うか「日本人が特に変えないのを好む」というようなことが、世界で言われている。自分も海外に行くと日本人で無くなる所が面白い。海外から戻ると日本人に成りきってしまう所が又面白い。それで何十年も過ごしてくると時には海外からものを見直したり、考え直したりすることが、とても自分に役にたって来ているような気になってくる。自分や他人を見直す時間を持ったことはとても大切なのだけれどもそれでもストレスを解消することがなかなか出来なくなって来た。昔ならば「朝まで酒を飲む」とか「温泉へ行く」とか「ドライブに行く」とか「丸1日(実際は半日)寝てる」とか集中すると次の日は頭が空っぽになって、又今までの延長で仕事が出来たのだが、50も過ぎると、「朝まで酒を飲む」ことはとても出来無い(どうも深酒するとツイツイ余分なことを言って人を傷つけることも多い)まして、半日も寝ていると腰が痛くてかえってダメである。 最近の「いやし」のNO1はやはり「もも&りんご」である。二人して人の布団に入って来て寝てると小生の寝る所が無い。暑いときはそれでもゴロゴロしてれば寝てしまうから良いのだが、寒くなって来るとそうも行かず困ってしまう。それでも娘を蹴飛ばすことはしないでじっと我慢している。(1日5時間も寝れば充分なのと、昔から寝たい時に眠り起きたい時に起きてる性分なので、基本的に時差ぼけは無いタイプなのです。でも年を取ったせいか興味がなくなるとすぐ眠たくなったり、眠ってしまうことが良く有ります。)でもそんな時に、「至福の時」を感じることが良くあってとても心が穏やかになり、「ああ生きてて良かった」と思うことがあります。この娘達の最後を見届けてやらなければと強く思うのでした。 近頃もうひとつ「いやし」のことを見つけました。たくさん有る趣味の中で、本も大きなウェイトを占めていたのですが、内田百閒の書いた物を読んでいると本当に心が穏やかになることがわかって来ました。 週3冊のペースで様々な本を読んでいるのですが、本郷に移って司馬遼太郎「街道をゆく37-本郷界隈」を読んで、様々な作家の歴史に触れ、特に夏目漱石も行ったという「おでん屋」などに非常に興味を持っていたりしているうちに漱石門下の内田百閒(ひゃっけん)という作家の本を読み始めて、これがたまらなく面白くなって来た。人間関係や仕事や会社でくしゃくしゃしていても、彼の文字を数行読むだけで穏やかな気持ちになるので有る。読まれた方も多いのでしょうが、酒と汽車と猫を愛したドイツ語の教師なのだが、とにかく面白い。 芥川龍之介が「百閒」に「普通、作家というものは、自分の書いた物を読んでもらうとか読んでほしいとかいう意識が必ず働く、百閒そんなことを考えてるとはとても思われない。」というような評論を書いたそうである。私くしもそう思う。特に小学校3年生の時、福井から新潟まで12時間かけて、各駅(ドンコウ)で一人旅したことが有る。まさに百閒の「阿房列車」である。いつまでもこの小説?が終わらなければと思えるように、自分の人生にも終わりが無ければと思うのでした。 以上 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会社のこと1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年10月03日 ブロードを作ってからもう17年目に入っているのだけれど、自分の性格と言うのか?器のせいなのか?etc?すべてを固く固く固く固くやって来たせいか、なかなか新しい仕事がスタートしないのではと思っています。 前世(最初に勤めた会社)が輸入商社だったせいか、周りはコロコロと仕事や契約先が変わる事が多く、せっかく良い製品や企画が有っても長続きするビジネスが少なかったように思う。又、1商社がある分野の製品を日本に持って来ると必ず類似製品を他社が持って来るという世界だったような気がしています。もう35年位前ですが、商社のその頃のIT業界における商品の位置付けも役割もかなりしっかりしておりました。 とくにハードウェアやネットワークに関して、USAなどの海外製品の優位性は確かなものでした。 しかし、1980年代頃から、日本語的処理やハードウェアの安定性などで、日本のメーカーが大きく台頭して来て、市場が今日の順位である、富士通、NEC、日本IBM、日立が確立されたと思われます。 又、日本人の性格も有るでしょうが、メーカーによる一括発注受注方式が一般的となり、アメリカのようなハードウェア、ソフトウェア、サービスを分離化して考えられなくなって、ゼネコンスタイルである「ドンブリ」で「おまかせ」スタイルが多くなって来たと思われる。 独立して1年間何もせず遊んでおりましたが(もともと何か目標とか目的が有って独立した訳ではなく、2部上場という動きの中で自分が階段の「踊り場」に入った感じで取り合えずこのままこの会社にいるよりは、ここで一度自分を見直す為に会社でも作っておくか?という感じでした)それでも前世のお客様から、そのまま支援を得て何とかスタートしました。
現在ブロードは運用とセキュリティの2本柱で、セキュリティの関連を中心にビジネスを進めていますが、最初セキュリティの会社のオーナーに遭うのは至難の技でした。それでも今、付き合いのできた会社は海外の友人達の応援により会うことが出来、又面白い話が有りました。 続く | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
腰痛の人の為に | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年09月30日 二十八歳から腰痛になって(ゴルフ場でギックリ腰)四半世紀が過ぎました。腰痛のひどい人も多いと思いますので治療法を紹介させていただきます。私は腰の脊髄の4番・5番が中へ引込む「すべり症」という厄介なものでした。 ちょっとした弾みで動けなくなり会社を休まざるおえないことも沢山ありました。ゴルフの3番アイアンを杖にして会社に行ったことも度々でした。いろんな原因が考えられるのですが、一つは体力の衰えによる筋力の低下。もう一つは毎晩の飲酒による腰の疲労(毎晩5~8時間)だと思ってます。 とにかくひどい時は、自宅でテレビを見ていて立ち上がるとギックリ腰に。会社で机や椅子を動かすというので手伝いをすると、明朝ギックリ腰。コンピュータルームの中に30分も(昔はとても寒かった)いると明朝ギックリ腰。近所のソフトボール大会に出て、7回頃になると腰が痛くなって明朝から動けない。ギックリ腰になると1日~2日は這ってトイレに行き夜中眠っていても寝返りは目を覚まして「よっこらしょ」と位置を直すのでした。 その為、ありとあらゆる治療をやりました。 マッサージ、針、整骨院、整形外科、カイロ、水泳、温泉治療、etc、又胡坐をかかない、やわらかいソファは座らない、同じ姿勢を10分間以上続けない。なるべく立っている。ストレッチング、ウオーキングを心がけました。
おわり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どうしてよいかわからない話-1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年09月29日 どうしても話をしておきたい人が二人います。でもそれでもどうして良いかわからない話なのです。「一期一会」と言うか「会うは別れの始め」とか言って、どうしても万物皆寿命が有り、現世ではいつか別れなければいけない宿命を帯びている訳です。 お一人は直接仕事では関係無かったのですが大学二年生の時「ファミリーズ」と言う慶応大学で確か4番目のゴルフ同好会を作り(現在も別の名前で続いているそうです) 四年生になっていよいよクラブともお別れと思い多摩川の河川敷の早朝練習に遊びに行った時、とてもスレンダーでかわいい女の子が入部しており、一生懸命練習をしておりました。 2年・3年の男子が騒がしかったのは今で言う「逆玉」だったのでしょう。 親子三人の一人娘でしたが、当時お父さんは出版会社の社長で有名な方でした。この社長は高卒で大蔵省に入り独学で公認会計士の資格を取っておりました。確か熊本出身だと思いましたが、たまたま学生時代に下宿していた家の会社が倒産し縁あって、この会社を立て直すことになったそうです。 大変な苦労をされて立派な会社として再建され現在も市ヶ谷に大きなビルと共に残っております。 その会社は看護婦やそれに伴うサポートをする教材や本を出版しておりました。娘さんの希望も有り海外青年協力隊のサポートもかなりおやりになっていたようです。 ところが一人娘さんが、急に白血病を患い亡くなられたのです。それまではお付き合いが無かったのですが公私共に大変お世話になり独立するまでの間ご夫婦と私の三人で良く食事に連れて行っていただきました。私の愚痴というか人生に対する思いに対して暖かいアドバイスとか叱責をいただきました。自分の小ささを良く教えて戴いたのではないかと今でも感謝しております。 私の一つの精神的支えともなり、私が独立した時にはわざわざ応援の言葉をかけてくださり「十万円」のお祝金まで持ってきていただきました。 所が五年前に奥様が庭仕事をしていて「梯子」から落ち運悪く庭石に頭を打ち「脳挫傷」で亡くなられたのです。 医学界で大きな力をお持ちの社長なのですがどうしようもなかったそうです。 それから1~2年後本人もストレスから「肺がん」摘出手術を受けられたのですが幸い一命を取り止められ、今ではゴルフもできるほど回復なさったそうです。 何度かお会いした時に、今一人でいて娘と家内のことを思うと・・・と涙ぐまれることが多かったのです。私も言葉が出ませんでした。 資産二千億円とも言われ世の為、人の為にものすごい努力をしてこられた方がこのような厳しい人生を送られることに寒気を覚えました。まして最高の医術を受けられる人がこんなことになるなんて人生の不思議としか思えませんでした。 ところが六十五歳をすぎてから人の世話で再婚なさいました。とても気さくな方で琴や三味線の師匠をなさっていたようで、とてもお二人とも仲睦まじくお過ごしのようでした。 最後にしてようやく安住の幸せを見出されたようで自分のことのように喜んでいるのですが、もう外で飲まれることも無くなったようでご一緒できないのがとても寂しい所です。
もう一人は、私が独立した時会社登記の為に「印鑑証明」を貰った人です。人工知能に見せられて、ソフトウェア会社を作り現在「物流改善」システムで大成功している人です。大学教授のような風貌も二十年来変わっていません。年齢も同じです。面白い人で印をもらいに行ったら「会社を作って社長になるなんざ馬鹿がやるもんだよ」と言われひどく面食らったものでしたが今頃その意味が良く判ってきました。 おわり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゴーン氏が | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年09月02日 つい最近、日産のゴーン社長の特集が有り、彼が日本に無い言葉を持って来たと言っていたのでとても興味を持って待っていたらなんとブロードの初代海外担当で、今は亡くなられた瀬古さんが10年前に書かれていた「コミットメント」であった。(詳しくはホームページ二人目の訃報に掲載されています。) ゴーン氏はこの「コミットメント」と言う言葉を武士道の切腹と重ね合わせていた。少し言い過ぎとは思うが、昔六本木の「居酒屋」のあるじが酔うと「覚悟」と書かれた手紙入れの箱をよく見せてくれた。これは終戦時に「死を覚悟」して生き延びてきた兵隊達の手紙が入っていた。 同じ言葉でも、その状況によってずいぶん重さが変わって来るものだとつくづく思う。なんとなく日本のお家芸をゴーン氏に取られたと言うか、うまい演出をするものだと考えさせられた。 日本人が日本人として生き残るにはとても難しい時代となり、世界の国々の良いところをうまく取り入れていくことが生き残るコツだと言う気がする。日本もアメリカ一国のグローバリゼーションに騙されず、ある時はドライにあるときはウェットにしぶとく生き抜く気力を持ち続けると良いのではないかと思う。 よく言われるのだけれど働きすぎの人は世界に沢山いるが、日本人の多くは「働きバチ」で海外の人々は「ビーバー」であると。おわかりでしょうが「働きバチ」は死ぬまで働きずめであり、自分が楽しむゆとりも無いが「ビーバー」は一生懸命ダムを作り、その中に巣を作り子孫を増やし、食料を蓄え一生を楽しむ。どちらのタイプがやりがいが有り、やりたいかは一目瞭然である。 日本人でも人生の奥義を窮めている人が沢山いらっしゃると思います。 学校や会社で教育を受けてないかという話では無くて、人生の達人の技の片鱗を垣間見る技を自分の努力で磨く楽しみを持ちたいものである。 私は良く人生という言葉を安く使っていると言われることが多いのですが、本人は何事に人生の1つとして捉えているつもりなのですが、つい最近ゴルフ場のキャディさん(始めてお会いした)から「人生」を使いすぎると言われてしまいましたが、たかがゴルフの1プレイと言えども「人生」を豊かにすることは確かだと思うのですが? |