アンコウと河豚(常陸と下関)の戦いで、ブロード10周年旅行はアンコウの勝ちだったのですが、ふく(関西風)への思い立ち切り難く、たまさか福岡出張中に三菱電機の尾嶋さんから下関のふぐより大分のふぐが通に受ける、なぜなら肝が出るから、と聞いた瞬間行きたい思いが止まらなくなったのです。しかも、ご丁寧に旅行業者まで御紹介をいただき断る理由はまったく無くなったのですが、後は日程のみとなりました。調べると3連休は11月の22~24日しかなく、時間切れのスタートとなりました。従ってブロード・クラブの方々にはご迷惑をかけたようです。(常連の方が難しかったようで) でも、来年は戦後最大の不景気というかバブルの処理のピークになりそうですが、旗日もほとんど良い日とはならないようです。今から先が思いやられます。日本民族がもう一度知恵を絞って頑張らないといけないのでしょう。
今回の族行は、思い出に残るキーワードは3つ。河豚・阿蘇・バス旅行です。しかし、今年は2月に実父を9月には社員を亡くしいつもと違ったツアーとなりました。父はある程度予定していた訳ですが、ガンで療養中であった瀬古さん(BROADの初めての女性海外担当で、5ヶ国語を流暢に話しました)が亡くなったのはショックでした。いずれはと思ってはいましたが、今となっては最後に入院してから一度もお会いすることがなかったのが心残りです。何か言いたいことがあったのではないかと今も心にひっかかります。以前ARENAにUPした瀬古さんの初めてブロードに来てからのコミットメントの話しが頭の中に焼きついています。(最後にどうぞ)
どういう訳か、燃える思いをとことん燃えさせてあげるのが、僕の仕事だろうと思うようになって来ました。(今までは、燃える思いの人を集めようとしていただけ)それは、ブロードとか何かの組織とかではなく出会った人すべてにそういう思いを伝えて、燃えてもらうことが出来ないことを承知しながら、それでも自分の精も根も尽きるまで努力して自分が風化するような所までやり通さねばいけないと思い始めているのです。
うまく説明出来ないのですが、だんだん自分の使命というか方向が見えて来ている気がします。(さすがに天命は軽くて使えないですね。)
私は、小さい頃から鼾がひどく(2階で寝ていても下で聞こえたそうです。)今回一人部屋にしてもらいました。鼾がひどい人は気が弱い人が多く、他の人といっしょだと寝た気がしません。これはお互い様なのです。そんな訳で一人での充分な時間があった事、1日3回(各1時間程/回)ノンビリと温泉に浸ることがとても良かったのでしょう。又、世界一の阿蘇の雄大さはとにかく絶品でした。私の自慢だった富山の立山とは趣きがまったく異なります。是非一度行かれた方がよいと思います。身体の疲れもほとんどなく頭の中が空っぽになった3日間でした。
ブロード・クラブの会員は無論、ブロードの社員も何かを掴むきっかけや次のステップになったとすれば、これ程うれしいツアーはないのではないかと思います。旅って必ず何かありますね。これからもブロード・ツアーを続けて行けるよう今後とも、吉羽さんよろしく。
11月28日ブロード姫野恵悟
(引き続き瀬古さんのコミットメントの話しです。これはARENAにRemembering NAOMIとしてUPした最終章です。)
Remembering NAOMI‥
いよいよ彼女ともお別れです。私にとってNAOMIとの出会いは、とても大きなものでした。これから御紹介させていただく文章は彼女がブロードへ来てすぐ(元大成火災の佐藤顧問を表敬訪問した後)FAXしてくれたものです。今から思うと彼女は自分の命が後何年か知っていたのかもしれません。これをもらって私も良い会社にすべく強く心に決め、今日のブロードへと繋がったと思います。では、本人の了解は取っておりませんがお読みください。
前略
先日大成火災へ行った帰りの車内で話したことが誤解を与えてしまったような気がするので、手紙を書くことにしました。中途半端な話し方をして申し訳ありませんでした。
今私が書こうと思っている内容は僭越というれ生意気な話しで姫野さんにとっては余計なお世話というかほっといて欲しいというか、他人に口出しされたくないということでしょうから気を悪くされたらごめんなさい。最初に謝ります。この手紙のことは読んだらすぐ忘れて下さい。
ブロードの社員はみんな他にPRIORITYがあって姫野さんのようなコミットメントをしている人は他にいないと思います。川口さんは別ですが、他の人の場合、つまり青山で仕事をしている我々にとって仕事は人生や生活の中でPRIORITYが低いですよね。別に仕事をTOPPRIORITYにすることが良いことだとは思いませんし、姫野さん自身にとってもTOPというのは別にあるような気がしますが、でもTOPでなくてもかなり上位という風に思っている人がいないので、私自身の正直な気持ちを言うと姫野さんが『ひとり』であることがこわいのです。姫野さんは今までも自分で道を切り開いてきた精神的にタフな人なので多分本人はこわいという感覚はないのだろうと想像しますが…。
例えばCさんは能力もあるし現状でのコミットメントをみると、とても頼り甲斐があるようだけれど、状況次第ではいついなくなってしまうか分からない人ですよね。他の人は家庭がTOP
PRIORITYでしょう。(BさんはPRIORITYは別のところにあるのかもしれないけれどブロードの経営に興味を持つ人ではないし)Aさんなんかはとても頭もいいしビジネスセンスがあるけれど彼女には彼女の生き方があって、それは変わるとは思えません。みんなが各々自分の人生を大切にして、自分の生活の中で大事なものにエネルギーや時間を注ぐのはごく自然なことだから、ブロードのためには各自が自分で注ぎたいと思うだけの情熱を注いでくれてそれ自体は問題ないですよね。でもそうすると、やっぱりロングスパンでブロードの経営を考える人が姫野さんだけになってしまいます。外部の人はいくら応援してくれても相談にのってくれてもやっばり限界がありますよね。DさんにしてもEさんにしても各々自分のPRIORITYリストを持っていらして余裕がある時はいいけれど、そうでない時に期待する訳にいかないし。
何故私がこんなことを考えるのかと言うとやっぱり私は自分の身体に自信がないからです。年末年始に外科医、脳外科医と話をしてこれから先のことも相談しました。私はもう今の病気は長いから随分色々なことを考えて、感情的にならないで冷静な判断もある程度できるようになっていると、自分ではそう思っています。もちろん手術や大変な検査などがある時には随分動揺するけれど、でも自分の人生設計については悲観的になりすぎず楽観的になりすぎず常に医師と相談しながら時間を大切に有効に使いたいと考えています。簡単に言うと、今すぐではないけれど遅かれ早かれ(と言っても10年以上先ということはないでしょう)なんらかの身体障害は出るでしょう。多分手足でしょうが可能性としては言語障害もあると言われています。腫瘍の場所が脳なので、この先どういう方向にひろがるか次第で知能障害もあり得ます。旅行をしたいから休みを下さいとお願いしたのも、医師にやりたいことは早い機会にどんどんやっておくようにと言われたからです。私にとって今TOP
PRIORITYは自分の身体のことで、避けられない障害を1年でも2年でも遅らせるために、できるだけ頻繁に検査も受けようと思うようになりました。
ブロードの仕事をするのに多少手足が不自由になってもそんなに影響はないでしょうが、言語障害・知能障害を考えると難しいものがあると思います。ブロードは決して『あざみの銀座の姫野商店』ではなく、多くのユーザにプロダクトを使ってもらっている企業として社会的な責任があります。姫野さんはよく『給料は僕が払っているんじゃないからね。お客様から戴いてるんだから勘違いしないで欲しいんだよね』とみんなに話していて、確かにそうだと思いますが今のブロードの社員の意識は多分そうではないと思います。9時から5時半×5日間×4週間・時間を拘束されてるんだからその分月給もらってるという感覚でしょう、多分。売り上げがないから不安なのではなくて姫野さんに怒られるから不安という人達は、ブロードの経営ということが自分の人生設計にないのだから、そこに多大なEXPECTATIONを持たないことも、愛なのかもしれないと私は考えています。
今読み返してみたら本当に生意気なことを書きました。ごめんなさい。先日の私の話がブロードの他の人へ対する不満のような印象を与えてしまったのではという危倶があったので、あえて書きました。それから自分が充分なコミットメントができないこと、申し訳ないし残念だとも思うけれどでもやっぱり無理なこと、そういうことも伝えたいと思いました。気を悪くしたらごめんなさい。私はいつの時も生意気な人間です。
94/1/28 05:15 NAOMI
この文章を読むたびに、彼女の悔しさと無念さを思うとつい涙が出てしまいます。これを読んでくれた読者の皆さんの心の中に少しでも良い影響があればと思い、断片的な思いを書き続けました。又、彼女のプライベートな点を書きましたことお許し下さい。皆さんの心の中のNAOMIを大切にして下さい。
現在すでに彼女「瀬古直美」さんを知っている人は、ほとんどいなくなりました。私にとっては、初代ブロードクラブ代表幹事の「阿部正」さんについでの悲しいお別れとなりました。私の友人のAさんは、いまだに「国際的損失」だと言い続けてくれてます。
この文章は彼女が私に残していった書き物のほんの一部ですが、これが私の大きな支えになっているのは事実ですし、BROADを支えていることも確かだと思うのです。…オワリ
1997年9月18日に亡くなられました。