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Topics国内 2012年
2012年12月26日
新しい商材
2012年12月24日
是非お読みください(ビジョナリー・カンパニー④)
2012年11月28日
風邪は万病の源
2012年11月07日
炭水化物ダイエット
2012年10月31日
レクターが富士山を
2012年09月20日
ある馬の死
2012年09月04日
夏の終わりに
2012年08月14日
小さな命
2012年07月25日
つかの間の幸せ
2012年07月24日
我が家の長寿記録
2012年07月20日
ゲーム感覚で
2012年07月11日
「芭蕉全発句」
2012年07月09日
レクターが2位に入賞しました
2012年06月04日
財布を拾いました
2012年05月07日
レクターの脚からミミズ
2012年04月13日
不整脈
2012年04月11日
世界一の鰹節
2012年02月16日
ブロードの生みの親
2012年02月14日
ソーラー発電の威力
2012年01月30日
103才のおばの死
2012年01月07日
あらかん

国内情報(2012年)
新しい商材

2012年12月26日

昨年から海外の取引先の活発なM&Aや新商品の動きが有り、ブロードもこれから5年先までの新しい商材の検討が多くなってきた。
今までに無く動きが早く、レベルが上がってきている。
姫野個人として見ると又、「新しい言語」を覚える事に似ている。
最初はチンプンカンプンで有ったり、なかなか常識的な説明が出来なかったりして大変でしたが、だんだんポイントがわかり始めて手ごたえを感じている。
今回、先週一週間(月~金)アメリカに出張してきましたが、日本人(身近なサラリーマン)と比較すると皆良く働く、会う人々がCEOやCOOクラスのせいも有りましたが、世界を股にかけて、少ない人数で猛烈に働いている。
あるCOOは6年ぶりに休暇を(クリスマス休暇)を2週間取ると笑っていた。
6年間は365日24時間体制で仕事をしてやっと取れるとウィンクして見せた。
又、有るCOOは姫野とのミーティング時間がなかなか調整できなく、夕方6:00~7:00までホテルの入り口でワインを2杯飲んで色々話をした。
夕食はと言うとこれからヨーロッパとテレビ会議が有るのだそうで次回宜しくと言いながらミーティングの内容を再度確認してくれた。
皆さん、年商50~100億円ぐらいの会社のCOOだけれど、心・技・体とも並みでない素晴しい人々で有った。


そんな人達に会っていると日本人のグローバル化はまだまだ。
次の世代にバトンを渡すしかないのかと思ったりする。
ソフトウェアパッケージで(IT)の世界はアメリカ企業が完勝ですが、その原動力は心・技・体プラス気力なのだと思う。

以上

温暖化 忘れる程の 寒い冬
カレンダー 今年も配れて ほっとする
昼抜いて 挨拶回り 足が 棒
寒風が 三日月色に 輝けり
今更と ボーナス減らし 気が滅入いる


オワリ


是非お読みください(ビジョナリー・カンパニー④)

2012年12月24日

今回の出張で個人的な成果はジム・コリンズのビジョナリー・カンパニー④を読み切ったことです。
今までの3冊のビジョナリー・カンパニーの集大成と言うより、とても人間として勇気づけられる本でした。
たくさんのDATAに基づく調査やレポートも参考になるのですが、生き残った10倍企業や人生の成功体験がとても示唆に富んでおりました。
話しのネタとしても面白いし、自分の人生をチェックしてみるのも楽しいものです。
是非一読あれ。

以上

追)今回のアメリカ出張はとても辛いものでした。
12月3日(月)に成田を出て8日(土)に帰国したのですが、行く飛行機の中で下痢が酷く、アメリカのホテルについてからも水を飲んでも下痢をするほどで(多分ノロウィルス?)驚いたのはほとんど小水が出なくなった事です。
ほとんどのアポが昼食や飲食ばかりで自宅に招かれる事もあり、苦痛の連続でした。
酷い下痢は3日程で治ったのですが、相変わらず痔は酷く、特にアメリカの道路は堪えました。
仕事が上手く終ったのがせめてもの慰めでした。
最後の日は1人でスープを飲みラムを食べ、アイスクリームにデカフェ(ノンカフェインのコーヒー)とフルコースでしっかり食べました。
日本に戻りさぞかし体重が減ったと思って楽しみにしていたのですが、残念ながらほとんど変わっておりませんでした。
12月はいつも挨拶回りでほとんど会社に居ない事が多いのですが、朝9時頃から次々アポが入っており、12月に会社に居る時間は5時間ほどとなってしまいました。
毎日続く忘年会(?)も毎日楽しくやっております。
残念なのは息子のレクターが右の足首の捻挫で10日間の休養をすることになり、平素の空を飛ぶ事がいかに悪いかが証明されたようです。
正月明けには元気なレクターに戻って欲しいと願っております。

オワリ


風邪は万病の源

2012年11月28日

大病(?一年禁酒)してなるべく平素から風邪に罹らないように努力をしていたのですが、今回ばかりは不摂生が祟り鼻風邪から喉風邪に進行してついにほとんど声が出なくなってしまった。
扁桃腺が大きく腫れ上がりサラダも喉を通らなくなった。
市販の鼻薬から喉の薬に変えて一週間程飲み続けたらオシッコがタラタラしか出なくなって慌てて薬を中止した。(スイマセン)
喉の通りが悪いのだけれど少しお酒を飲むと痛みが軽減してよくなったような気がしてしまう。
なるべく身体に影響の少ない薬を選んで飲んでいるが、とにかく眠くてしょうがない。
声が出ないのに無理して怒鳴っている時こそ情けないものはない。
だんだん年になって夜中口を開けて眠っているせいか1時間程で喉がカラカラでしかもトイレに起きる事が多い。(マスクをして眠る時も有るのだけれど途中で取れていることがほとんどです)
ある程度酒を飲むと朝方まで眠る事があるのだけど、どちらかと言うと気がつくと朝方まで飲んでしまっていることもたまに有ります。
なんと先週末10年ぶりぐらいで切れ痔にもなってしまった。
本当に踏んだり蹴ったりで参ってしまった。
そして大阪出張中に5年ぶりに腰痛となりカイロに通う事にもなって、来週の米国出張が思いやられます。

又、レクターの土、日の早朝が4時半起きなのもかなり身体に負担がかかっているようです。(朝の寒さは予想以上なのです)
年齢の自覚があまり無いのが問題なのでしょうが競技会に行っても朝から夕方までの体力配分が上手く行って無いのが良くわかる。
でも負けたくないんだなぁ!
競技会にこの年で行くのもいかがなものかと思うのだけれど、レクターの親としてはスタート直前まで傍に居てやりたいと思うのです。
そして競技終了後はゆっくり身体を洗ってやりたいのです。

話は突然変わりますが、ブロードの新人たちの教育があまりに出来ていないので申し訳ないと直接見ることにしたのも時間がなくなってきている原因の一つです。
中高年が直接指導しないので可哀想になりそうしたのですが、今度は中高年の再教育も大きな問題となってきました。
今の日本の世相に似てきているのです。 うちの家内もそうですが、おせっかいと思われても何か声をかけたり、行動に移すという事がほとんど無い。
本当に不思議な国となりました。
コミュニケーションスキルなんてレベルでないのです。
全く無いのです。
現代の若者は…。と良く言われるがその責任は絶対にそんな子供達を作った親達の責任なのです。
そんな事は皆わかっているはずなのに何事も改善して前に進まないのです。
一人一人が努力してどこかで割り切るしかないと思う所ですが、多分日本のどの会社でもなかなか難しい問題を抱えてると思います。
一番風邪を引いて酷い思いをしたのがブロードだと思ってます。
姫野が大病(?)してから自分が前線で戦うのでは会社は持たないと思い、なるべく中堅に任せていたのですが、当初は良かったのにだんだん個人が守りに入っていって気がつけば魅力の無い会社になってしまい社員が風邪に負ける体力となっていたのでしょう。
そして最後の悪い風邪を姫野が罹ってしまったのだと思うのです。
2年程前からそれなりの準備をして新しいパッケージソフトをやることにしていたのですが、体力の無くなった中高年ではあまり効果のあるワクチンとはならなかったようです。

それでも今年は3社、来年は2社と新しいソフトをスタートさせ、これからの5年、10年と生き延びる努力をしようと行動してます。
新しいソフト、新しい人、新しいお客たちとトリプルウィンと成るべく、頑張って体力を戻したいと思います。

以上

時間差で やってくる鳥 顔なじみ
来年を 笑えない年 鬼笑う
平和とは 金で買えない 文化です

声かける 仏の顔も 3度まで
人を見て 気の毒に思い ほっとする
駄目押しの 夜が使えぬ 中高年

オワリ


炭水化物ダイエット

2012年11月07日

今年の7月に大阪と東京のスマートな紳士と会食をした際、炭水化物ダイエットが身体の新陳代謝を良くすると話題になった。
お2人とも自転車が趣味でお酒も楽しまれ、各々情報子会社の専務という立場なのですが、話題豊富で楽しい会なのです。
今年お1人が大阪から東京に転勤なさったので、その歓迎会をしたのです。
お2人は新入社員の頃(30年以上前?)同じ業種の社員の交流研修で一緒だった程の親しい仲だったのだそうです。
その時はたいして気にもしてなかったのですが、夜(夜中)ラーメンで締める人生を4年程前から止めたのですが、日本酒を飲むことが多くなって体重も4kg程増えてしまった。
親しい人々からも「太ったね」と良く言われるようになり、本人的には気になり始めていたのです。
何か質や量を減らすのではなく、炭水化物を減らすぐらいだったらすぐ出来ると思って7月の中旬から極力炭水化物を減らす事にしたのです。
2週間ほどで1kg程減ってきて、家に居て体重計に乗るのが楽しくなった。
1ヶ月で2kg、10月中旬に少しリバウンドが有りましたが、現在2.5kg程減ってきました。
血圧を下げる薬もあまりに眠たくなるので止める事が出来た。
とは言っても日本酒やアルコールは以前と変わりないし、人と会食する時はご飯やうどんも食べております。
目標は76kgですが、現在81.5kgだったのが79kgまで落ちてきてます。
目標達成が出来るかどうかも暫く楽しみたいと思います。

追)庭の残った柿50個程を「めじろ」「しじゅうから」「すずめ」「むくどり」「ひよどり」etc.がどんどん食べに来てます。
明日朝採ろうと思っている色の良い柿からすぐやられてしまいます。
今まで鳥はあまり来なかったので今年は冬が早く来るのではと思ってます。
鳥や馬などはお腹が一杯になるほど食べると飛んだり、逃げたり出来ないためグルグル回って一日何回も来ているようです。
残りの柿を無駄にしないで皆で仲良く食べてほしいものです。

以上

駄目社員 見ている自分も 駄目社長
柿色を 狙って鳥 が 食べて 行く
秋風を 感じさせない 店が良い
人間を 動物と 思えば  腹立たず
人生を 子供が 背負い 重たそう
ポカリ飲む レクター号は 上機嫌

オワリ


レクターが富士山を

2012年10月31日

10月25日(木)から28日(日)まで御殿場のオリンピックホースセンターで行われた障害の試合に久しぶりにレクターと行って来ました。
ゴルフをやる方は良くご存知の富士平原ゴルフクラブの道路を挟んで西側の米軍キャンプや富士演習場に隣接しておりました。
自動小銃や大砲の音がして馬が驚くかと心配したのですがそんな事も無く、しかも、25日(木)の夕方から26日の朝9時頃まで雪帽子を被った素晴しい富士山を見る事ができました。
又、初めてのスーパーホテルと言う1階に温泉(時間により男女入れ換え制)が有り、朝食に焼きたてのパンを出し、「鍵とチェックアウト」の無いこだわりのホテルでした。
しかも1泊1人5千円程でした。(暗証番号6桁だけです)
チェックイン時にお金を支払って終りで寝巻きも1Fのフロントから自分でもって行き(枕も自分で選べる)、朝10時までに部屋を出れば良いのです。

25日朝5:30に東京クレインに集合して28日午後3時頃に解散でしたがほとんど1日中立ちっぱなしで脚全体がパンパンで痙攣や肉離れがいつ起きても可笑しくないほどでした。

2日間はクレインの人とレクターだけが出場しましたが、残り2日間はクレインの乗馬学校の方4人がジョインしました。

笑い話ですが、「オリンピックのレストランで最後まで飲んでいるのは乗馬関係の人」と言われるくらい乗馬をなさる上の方々は良く飲まれるそうで今回も残った男4人(なんと20代、30代、40代、50代と揃いました)で、しこたま飲んで(姫野が飲ませたようですが…)結果は全員が減点無しで完走し、2人が入賞となりました。
皆で「酒の儀式」が役に立ったと喜び合いました。
レクターもお酒が飲めるなら飲ましてやりたいと思ったほどですが今回は体調も悪く(便秘)完走がやっとでした。
でも、障害を跳ぶのがとても楽しそうなので、また折を見て試合に出してやりたいと思うのです。
とにかく、楽しいクレインの仲間たちとレクターが見せてくれた富士山を堪能してください。

 

 

 

 

 

 

 

追) 今年の姫野の庭の木々達もたくさん実を付けてくれました。
たくさん成りすぎて実は小さいのですが、親しい人に差し上げたり、ジャムにしたり楽しんでます。

★  何回ももぎ取った柿とミカン ★

★  300個ほども成った柿の木 ★

  ★ 250個ほども成ったミカンの木 ★ ★ 100個ほど成っている花柚の木 ★

 

いつもは6月頃に山桃の実が2000個~3000個、7月~9月に3ヶ所から茗荷もたくさん出てきます。木は小さく皆1本ほどですが、自然の恵みは凄い物です。
来年は金柑や葡萄も上手く実を付けさせたいと考えております。

以上


ある馬の死

2012年09月20日

8月、9月と連続して馬が亡くなった。
最初の馬は姫野が3年程前に1年間新馬調教で世話した馬だった。
ここで言う新馬調教とは競馬から乗用馬として払い下げられた馬を誰でも鞍を置いて乗れるようにすることなのです。
今まではとにかく早く走る為だけの調教しか受けておらず、鞍上の人の細かい指示を理解させ、守らせる訳です。
ラン・オブ・ハピネスは5才でしたが大変大人しく、姫野としては大変良い勉強になりました。
ただ乗るだけでなく馬を知る大変良いチャンスでした。
「ラン君」と言うと姫野の所に鼻を鳴らして寄って来る程だった。
ただ脚が弱くすぐ冷温湿布をしてやらなくてはいけない程だった。
調教時からとても可愛がる女性がいて本人が休みの日は最終のレッスンを取って、それから「ラン君」を丸洗いしていた。
疝痛という馬特有の病気(人間の腸閉塞に近い)であっという間にあの世に逝ってしまった。
姫野も一日後に知ったのですが、さすがに驚いたが「馬の疝痛」の恐ろしさを知り、レクターの健康管理を真剣に考えようと思った。
二頭目は9月17日(日)敬老の日の朝5時45分に乗馬クラブに着いてレクターを厩舎から出してからすぐにレクターの前の厩舎の24才になる「ゴーゴー」が突然倒れ、職員10人ほどで起こそうとしたがそれから30分ほどで息を引き取ってしまった。
偶然最後の瞬間まで見ることになったが、以前から脚に菌が入って浮腫んでいたのが一瞬で悪化してしまったようです。
本人(馬)も何度か起き上がろうとしたのですが、力尽きてしまった。
動物は走れなくなっても食べられなくなっても自然の掟の厳しさから逃れられなくて待っているのは「死」のみなのです。
24才は人間では100才を越えているようですが、既に下の歯も磨り減って硬いものは食べられず、姫野はキャベツを時々与えておりました。
とても大人しく長い間皆さんに愛されて来た馬でした。
現実の馬の死を初めて見たのですが、周りの馬達は我関せずで餌を懸命に食べていたのが印象深く記憶に残っております。
二頭ともクラブの馬で色んなタイプの人々がたくさん乗って寿命を縮めた事は確かだと思いますが、その人たちの分も含めて冥福を祈りたいと思います。
何とかレクターには天寿を全うして貰いたいと強く思うのでした。

 

追) 今年の全英オープンゴルフを見て、とても新鮮な感覚を味わった。
大体プロの試合はOBのプロか早く終ったプロが解説をすることが多く、どうしても本人の技量との比較や経験からの発言があり、耳障りの事が多かった。
今年のケーブルテレビのゴルフネットワークでは面白い事を言うな、誰だろうと聞いていたら(すいません名前忘れました)日本人のプロのキャディが解説をしていた。
ゴルフを45年もやっていて、コースマネジメントの重要性ぐらいわかっているつもりだったのですが、その解説者はミドルはシュートコース2つ、ロングはショートコース3つと切り分けてピンポイントで攻略するのだと言うのです。
なる程と納得させられてしまいました。
なんだと言われる人も多いと思いますが、姫野は目からうろこの瞬間でした。

まったりと 茶碗で眠る 心太(ところてん)
心太 息を殺して 口の中
心太 今突かれても 静かなり
世の中に 国の数だけ 世界地図

オワリ


夏の終わりに

2012年09月04日

もの凄く暑かった夏もようやく峠を越したようです。
すでに朝5:00頃でも薄暗くなってきており秋を感じます。
6月には朝3:00過ぎには東の空が明るくなっていたのですが、季節の移ろいを強く意識させられます。
息子のレクターも8月中旬頃から夏毛がたくさん抜けるようになって来ました。
下からは冬毛が出てきているのです。
娘のモモも同じく8月中旬頃から同じようになって来ました。
特にモモは昼中クーラーを付けっぱなしで居るにも拘らず、かなり夏バテ気味となってきて、ひょっとしてこの夏を越えられないかと心配をしてましたがここ2~3日の涼しさで顔に正気が戻ってきたようです。
我が家で元気なのは文鳥の「さくら」でいつも大騒ぎをします。

今年の夏は大きなイベントや思い出もなかったのですが、久しぶりに紺色の夏の空と滝のような気持ち良い雨が印象的でした。
大地を通り抜けて行く様なすごい雨は本当に気持ちが良いものです。
自分の身体の悪い物が洗い流されてエネルギーが充電される気がします。
そんな夏が終るのは残念ですが、何にも悪い事がなかっただけでも幸せと思える静かな夏でした。

オワリ

追) 8月末で姫野の息子(人間です)がブロードを退職し、自宅を出てアパート暮らしをすることになりました。
随分甘い親だと言われ続けて来たのですが、家内も入れて3人で話し合って結論を出しました。
大学を出てから13年目の新しい選択を自分でした事になります。(させた?)
これからどんな道が待っているのかわかりませんが健康に恵まれ、人々に迷惑をかけず人生を謳歌してもらいたいものです。

以上

誰見ても  太りすぎだと 言われる身
長々と 説教するより 実行だ
こんな奴 貧乏神さえ 寄り付かず
足の指 人生背負って 豆だらけ
盗撮を やって喜ぶ お年寄り
今よりも 良くなる社会 希望する

オワリ


小さな命

2012年08月14日

最近以下のようなメールをMさんから頂きました。
Mさんを中心に「風になる会」と言うIT部門の数少ない女性管理職を肴におっさん達が飲む場を作ったのですが、会の謂れは「Mさんがバイクで後部シートに犬を乗せて疾走する」から来ておりました。
とてもそんな事をする美女には見えないのですが、年2~3回8~10名で定期的に飲み会をやっております。 以下頂いたメールです。

ところで、先日、スズメのヒナを1週間ほど保護しました。
以下、駄文ですのでご容赦を。
先週の日曜日(7/30)の早朝、成城学園まで娘と犬の散歩に行った帰り道、スズメのヒナを見つけました。
巣から落ちたのでしょう、駅前のコンビニの入り口付近をあわてた様子で右往左往していました。
熱い陽が照りつけ始めており、そのままにしておけば小さな命はあと15分も持たなかったでしょう。
見なければよかった・・・と思いながらも、ハンドタオルをかぶせて保護し、連れて帰りました。
いつもお世話になっている獣医さんに連れて行き、怪我はしていないことがわかりました。
保温に気をつけ、1時間おきにエサをピンセットで与えるように、とのことでした。
最初はこわがって口を開かなかったのですが、午後になると大きな口をあけてエサを食べるようになりました。
そのうち、お腹がすくとピーピーないて催促するようになりました。
翌日から、娘と二人で朝4時に起きて、ヒナを拾った場所に行って親を待ちました。
二日目に親がヒナを見つけ、エサを運んで来てくれました。
それから毎朝、親鳥はヒナに会いに来てくれました。
親が来ると、羽をバタバタさせてヒナはとってもうれしそう。
ヒナは日に日に成長し、だんだん飛べるようになってきました。
そして、日曜日(8/5)の朝、お母さんに導かれて無事親の元に帰っていきました。
決してあきらめなかったお母さん、偉いなぁ。。。
私も、スズメのお母さんを見習って、娘の巣立ちを見守ることにします。
またお目にかかれる日を楽しみにしております。

姫野の返信メールは、

運の良い雀でしたね。
私も同じ経験を田舎の富山で経験しました。
雀は人になれるのも早いのですが、親元に戻るのもとても
早いのが特色ですね。
田舎に居た時は、雀、ねずみ、にわとり、かえる、ふな、
どじょう、などなど
手当たりしだいに、飼ったのを覚えています。 
今も自然児と言われるのが自分でも良くわかります。
そんな懐かしい思い出を一瞬の涼風のように呼び覚まして
いただきました。
心から御礼申し上げます。

50年以上も前を思い出させてくれたMさん、本当に感謝感謝。
でも、こんな気持ちの人々が1人でも2人でも増えてくれると世界は住みやすくなると思うのですが。

オワリ


つかの間の幸せ

2012年07月25日

今年の3月に「さくら」(さくら文鳥)の巣があまりにボロボロの為取り替えてやろうと思って、少し小さく平たい十姉妹用の巣を買ってきて取り替えた。
鳥かごの底を外して古い巣を取り出そうとしたら「さくら」が大騒ぎをして鳥かごから部屋に出てしまいもの凄い恐怖の声で鳴いてしまった。
慌てて新しい巣を取り付けて「さくら」も籠に戻したのだけれど、自分の巣では無いと絶対に巣に入ろうとしなかった。
こちらとしては「さくら」は独身?なので少し小さい巣のほうが良いと気を利かしたつもりだったのですが、それ以来巣の上には乗るけれど一度も中に入ることは無かった。
春から夏に向かう為、寒くは無いと思うのだけれど、頭や羽根がストレスで折れてしまい(自分の口で引っ張るのか)とても醜い姿になってしまった。
たかが小鳥といえども自分の環境や愛情にとても敏感なのが良くわかる。
朝は4時から4時半には鳥かごのひかりの遮蔽を取ってやるのだけれど、姫野を見てもあまり反応しなくなってしまった。
あまりに可哀想なので7月初めに新しく前と同じ巣に取り替えてやった。
10日ほどは入らなかったが、姫野に対する反応も良くなってきて、1週間程前から巣に入るようになった。
朝1番でエサを換えてくれとうるさく言うし、水も替えてやると見ている前で何度もチャポンチャポンと全身で水浴びをするようになった。
身体全体の羽毛もあっという間に綺麗になってしまった。

 


真夏を迎えるわずかな時間でリカバリできて大変良かった。
動・植物は自分から言葉を発する事が出来ないので回りの人間が微に入り、回りに気を配りケアしてやらないといけない。
それが出来るだけでもとても幸せを感じるのでした。
今年は母も一年ぶりに自宅に帰り、週3回のディサービスを楽しみにしており、部屋の中でも車椅子を使わなくても良いまでに回復した。
又、家内も外出もままならず、生命保険に加入すらできなかったのが薬も全くいらなくなった。
(本人は姫野が本人用として1年分をまとめて作る梅酒が効いたと思っているようです。本当に鰯の頭も信心まですね)
姫野自身も5年前に新薬に大当たりして発病しないで元気にお酒も飲み、レクターと遊ぶ事ができている。

つかの間の幸せかもしれませんが、それがとても大切で、それが少しでも続けばこれ程の「幸せ」は無いと思えるのでした。

以上

芭蕉の句から気に入ったものを並べてみます。

月花も なくて酒飲む ひとり哉
門松や おもえば一夜 三十年
命こそ 芋種よ又 今日の月
分別の 底たたきけり 年の昏

辞世の句と言われている

旅に病んで 夢は枯野を  かけ回る

毎日が夢のごとく過ぎて行く姫野ですが、今年の夏の新しい夢を探し続けていくつもりです。

オワリ


我が家の長寿記録

2012年07月24日

我が最愛の娘のモモ(ミニチュアダックスフンドロングヘアー)が16歳7ヶ月となり、我が家の犬の長寿記録を塗り替えました。
今までは16歳6ヶ月のシーズーの息子が一番長生きだったのです。
現在のモモは2週間に一回病院へ行き注射をしてもらって薬を貰ってくる生活に落ち着きつつあります。
尿からの出血は止まらないのですが極微量となり、pH(ペーハー)も6と安定してきているのです。
食欲が極端に無くなってきて随分何を与えるかで困ったのですが、朝晩缶詰各一個(1個250円)と昼は間食ソフト肉(300円)を家内が与えていますが、自分では食べないのでスプーンで口に運んでやらなくてはいけません。

近頃は姫野が居なかったり、朝早く出掛ける為最初は姫野のベッドで眠っていてもオシッコをすると2階の家内に後始末をするように「ワンワン」言ってそのまま2階へ行き朝まで眠る事が多くなってきた。

姫野家の犬は8歳、12歳、16.5歳とだんだん伸びてきて、モモ様には新記録を期待していた訳ですが、心臓が強いせいか何度も全身麻酔の危機を乗り越えてきました。
病院の女の先生から18歳のミニチュアダックスフンドが通院していると聞いたので、モモ様にも18歳まで元気で頑張って欲しいと思う。(その18歳の犬は歩けないそうです)

 

それでモモが天国へ行ったら新しく今度は3匹の犬を飼ってレクターと仲良くのんびりと過したいと思います。

以上

追)姫野の朝食は朝7時頃でほとんど毎日同じ物(家内が作ると)となります。

先ず、スタートは牛乳→ウズラ入り+ノリ入りとろろ→サラダ(どういうわけか一年中ほとんど同じです)→果物(メロンかモモが多い)→ビオフェルミン入りヨーグルト→蜂蜜入りココアの順に終ります。
朝は主食を摂らないので昼はなるべく「お米」を摂るようにしています。
夜はほとんどつまみ程度とお酒で終りとなります。
数年前まではこの後ラーメンを食べていたのですが、さすがにこの頃は体重を減らすのが大変で止めてます。

梅雨明けを 待ってましたと 雨が降る
モモ様は 注射と薬で 生き残る

(芭蕉をもじって)
蛸壺や 今宵限りの 夏の月
蛸壺や 一夜ひとよ限りの 夏の月
蛸壺を 我が家と思う 浅はかさ

オワリ


ゲーム感覚で

2012年07月20日

今年の大学3年生の就職活動も大変熾烈を極めているようですが、今年の3月頃から身近な人々から相談を受ける事が多くなった。
学生本人もいれば、ご両親からの想いも有った。
無駄だと思っていても親のはかない想いを思うと何人かの上場企業の社長にメールをしたりした。
結果は秘書室長からのメールを頂くのだけれど、決まり文句で「我社は社長の息子でも通常ルートで入社試験をパスしないと・・・」と言う物である。
姫野もそれはそれとしてわかっていても両親の気持ちを想うと無駄とわかっていてもメールを出して上げたくなってしまう。

又、子供達は子供達でどこの会社が良いのか迷ってしまうようで、相談に来る。
当然ながら今がピークと思われる会社やプログラマーなどは駄目に決まっているのだけれど、社会経験の少ない学生には判断するのに無理な事が多い。
しかも内定が取れないと自己否定されている感覚となり益々落ち込むわけです。
就社する訳で無し人生の一つの通過点として子供達には余計な事を考えないでゲーム感覚で少しでも多くの内定を取るように言っている。
内定を取ってからゆっくり考えるように指導している。

元々少し引き気味な学生が多い中、ゲーム感覚を売りにして良いと思うのです。
今の子供達はビジネスマインド(商売人根性)があまり無いようですが、せっかくのゲーム感覚を上手く生かしたらよいと思うのです。
言ってみれば「内定ゲーム」です。
それくらいの気持ちで会社を選ばないとその後の生き残りは厳しいと思うのです。
団塊の世代は入試と言う大きなハードルが有ったわけですが、今はそのハードルが低くなって就職が大きなハードルになっているのはいかにも皮肉なものです。
世界的傾向と言えどもそれをゲームとして楽しんでもらいたいものです。

オワリ

追)最近レクターの運動する時間が15分早くなって土、日の朝6:15分から45分までの30分となった。
姫野がレクターを引き馬し、鞍を乗せるまでが45分程の為5:15分に家を出て5:30分には乗馬クラブに着く必要が有る。従って4時半には必ず起床してシャワーを浴びて出るのが土日の日課となってます。
道すがらラジオ(J-wave)を聞くとは無しにいつも聞いているのですが、この前「手のモデルの人」(誰だか全くわかりませんが)の話しが面白かった。
手のモデルなので当然手はアップを撮る訳ですが、どうしても微かに手が震える事が有りNGとなる。
これを克服するために人に勧められて「茶道」をやっているのだそうです。
囲碁などの定石のように決まった所作を身に付けることが如何に大事かわかります。
もう一つ面白かったのは、春夏秋冬で化粧水の水分の量を変える事が肌の潤いに大きく影響するのだそうです。
男にはあまり影響しませんが、良き女性たちは是非お試しあれ!

オワリ


「芭蕉全発句」

2012年07月11日

今回の米国出張はゆったりした時間が有ると勝手に思って「山本健吉による『芭蕉全発句』973句」を読むことにした。
結局二日ほどで読むことができたが、人は年代と共に進化していき、その終りが残念ながら必ず来る。
そんな思いになる、自分の年代も加味しながらゆっくりした時間を持った。
近頃息子のレクター(馬)の事を考えることが多く、芭蕉が馬の句をどれだけ読んでいるか調べたら12句ありました。
とても芭蕉の句の年代順に馬で分類するのは珍しいと思いますので以下に書き出して見ます。

馬ぼくぼく 我をゑにみる夏野 哉 かな (天知期  水の友 39歳)
道のべの 木槿 むくげ は馬に くはりけり(同上)
馬をさへ ながむる雪の 朝 あした 哉 (貞享元年  甲子吟行)
行駒 ゆくこま の 麦に 慰 なぐを む やどり哉(貞享2年  甲子吟行)
冬 の 日や 馬上 に氷る 影法師(同上)
歩行なら 杖 つえ つき坂を 落馬哉(貞享4年  44歳 笈の小文)
桟 かけはし や 先 まず おもいづ 馬むけへ(元禄元年  更科紀行)
野を 横に馬 牽 ひき むけよ ほととぎす(元禄2年  奥の細道)
蚤虱馬 のみしらみ の 尿 しと する 枕もと(元禄2年  奥の細道)
馬方 は  しらじしぐれの 大井川 (元禄4年  泊船集)
鞍壺 くらつぼ に 小坊主乗るや 大根引(元禄6年 炭俵)
柴 付 づけ し 馬の 戻りや田うへ樽 (元禄7年 51歳 翁句集)


又、ブロードの新卒者と月一回4:30からミーティングをやった後、安い店で食事会をしているのですが、あまりに新卒者たちの成長が遅いので、この会の名前を勝手に「蛸壺の会」と変更した。
そしたら芭蕉のこの句があった。

蛸壺や はかなき夢を 夏の 月


ブロードで新卒者を育てるのはいろんな意味で難しいと思うのですが、入って来た以上早く蛸壺から脱出して欲しいと思うのです。
自分の環境のせいにするのは簡単ですがそれではあまりにも自分が惨めです。
蛸壺に入ったタコと同じなのですから。
早く、自分の環境は自分の責任だと自覚してほしいものです。

以上

人として  人の心を 忘れてる
稼げない ヤツほど文句 多いもの
もういいと 心の中の 自分言い
巣を 変えて 驚 きびっくり サクラ様
好奇心 無くしてしまえば ただの人
あまりにも 甘い甘いの サラリーマン

 

オワリ


レクターが2位に入賞しました

2012年07月09日

アメリカから帰ってすぐ山梨の北杜市の小淵沢で山梨グランプリにレクターが出場(出走では有りません)しました。
Lクラスでは有りましたが2位に入りました。
(途中まで絶対1位と思っていたのですが、わずかの差で2位となってしまいました) 例のごとく、時差ぼけ解消と思ってワインを4本持って行ったのですが、金曜日は二人でビール4本、ワイン3本、次の日は1次会、2次会を入れて一人でビール2本、焼酎4杯、ウィスキーロックのダブルを4杯も飲んでしまった。(終ってから数えられたのでまだマシかもしれませんが)

 

 

 


前回の東関東よりとても環境も良く梅雨時期にかかわらず大変良い天気(本人はいつも晴れると思ってますが)に恵まれ、とても気持ちが良かったのです。
レクターも多分環境が気に入ったのではないかと思います。
入賞が嬉しくて何人かにメールしたら、女性たちは素直に喜んでくれたのに、男どもは「何2着、次は俺も馬券買うよ」のメールばかり!
次の試合は9月以降ですからレクターが元気なうちに一度はMクラス(上のクラス)で優勝させてやりたいとせっせと世話をしてやろうと思います。

以上

アジサイの 青が光って 入梅す
レクターの 光り輝く 時が来た
加湿器を 片付ける前に 入梅す
レクターと モモ様残し 出張す
海外へ レクターの土産 買いに行く

 

オワリ


財布を拾いました

2012年06月04日

少し前ですが、横浜の会社を訪問し、通路の公衆電話近くの椅子にコロッとした財布を見つけました。
夕方5時過ぎだったのですが現金3万円余りと運転免許証・保険証・銀行カードなど全てが入っていた。
今訪問した会社を出てしまっているので、近くの派出所に届けよう(警備会社では無くなる恐れが有る?)と思い、私鉄の駅前に行ったら煙草屋の親父が「110番したら誰か来てくれるよ」と言うので電話したら近くの派出所に持って行って欲しいと言われ困ってしまった。
駅員がいたので頼もうとすると、駄目ですと言われ、仕方ないので横浜駅まで行って派出所に届けた。
敵も慣れたもので、「謝礼はいらない」と言うと「ここにサインしてくれればOK、自宅に電話する」と言ってくれた。
これだけ全部落としたらさぞ本人は困っている事と思い、なるべく早く届けてやってくださいと頼んで終りとなった。
10円や100円を拾うと今日一日良い日のように思えて楽しいのだけれど、財布はあまり楽しくなかった。
落とし主の事を思うと一刻も早く届けたいようなあせった気持ちになるのでした。

以上

母が病院で手術を受け、リハビリをやってほぼ1年ぶりに自宅に戻ってきました。
車椅子や歩行器を使えるように回りのガラクタを片付けたり、整理したり、ベッドを入れ替えたりで少しバタバタしました。
本人はやる気満々だったのですが、一人で車椅子からソファに座るつもりでそのまま床(ゆか)に座ってしまい、全く身動きできなくなり、姫野に大変怒られてしまった。
いかに自分の意識があっても身体がついてこないということが少しはわかったようで、少し大人しくなった。
6月1日からデイサービスが始まり、朝10時から夕方4時まで介護施設でお風呂に入ったり昼食を食べたり、リハビリをやらされて満足して帰ってくるようになった。
何かやる時は見守ってやる必要が有り、夜のトイレや着替えなどに手がかかるようになった。
又、朝、昼、夜食は隣の家からお盆で運んで又、片付ける必要が有り、家内のストレスは日増しに溜まっていくようです。
ソフトバンクから専用の呼び出し携帯を買ったりしましたが、何か有ると一人では動かす事もできないので現在はセキュリティ会社のサービスを受ける事を検討してます。
要介護の家庭は増えれば増える程家族の負担は本当に重くなっていくわけです。
必ず通る道ですがかなり辛く長い道のようです。

以上


母親の 最期を看取る 車椅子
モモ様は 車椅子見て 大騒ぎ
蝋梅の 実の立派さに 狼狽す
責任を 自覚できれば 一人前
アカシヤの 天婦羅食べて 夏を知る
心技体 プロスポーツの 醐醍味だ


レクターの脚からミミズ

2012年05月07日

今年の連休も早くも終わりですが、連休前の4月の25(水)、26(木)、27(金)の3日間毎朝、慶応病院へ行く事になりました。
不整脈の1日のレコーダーを付けたり、エコー診断を受けたり、又、最後は何度も日付けを変更した胃カメラでした。
金曜は胃カメラが終わってすぐ家に戻り、レクターの為に東関東乗馬クラブでの日本での初めての競技会(ジャパンオープン)に行きました。
レクターの為にリンゴや大根やキャベツに沖縄産の黒糖などを用意して車で向かいました。
昔、良く行ったゴルフ場の新袖カントリーの近くでしたが、とても不便な所でしかも厩舎も狭く、洗い場も少なく、驚く程の貧相な施設でした。(クレイン千葉の近くでも有ります。)
残念ながら金曜日のフレンドシップという練習会を見る事は出来なかったのですが、自分の行っているクレイン東京から8頭の馬が参加してました。
又、中学生・高校生・大学生の子供が8人参加し、その親も応援に来ておりました。

 

 

関東地区の100頭近くの馬が参加してましたが、我々のチームを率いる中野支社長は元オリンピック選手で54歳(戌年)なのですが、現在も試合に参加されており、見事な手綱さばきで障害飛越をご披露なさって、2位の成績でした。

 

最初の金曜日は一緒に食事をしていて、2人でとても深酒をして(多分、姫野は熱燗で10本以上飲んだ)この成績なのとはびっくりでした。
姫野も胃カメラの検査で何ヶ所か検体を取ったので3日程胃に刺激物(アルコールも)を取らないように注意されていたのをコロリと忘れてしまっていた。
居酒屋での食事は割勘でなんと1万円だったので、とにかく飲みまくったようです。
次の日は朝6時には行く予定にしてたのですが、千葉駅前の三井アーバンホテルを出たのが8時過ぎで9時頃やっと会場に着いたが、まだ酔っ払い運転で捕まりそうであった。
1日にレクターが試合に出るのは1分前後で、3日間110cm、120cm、120cmの障害の高さの競技会に出た。
残念ながら、後脚で横木を落とし、入賞は出来なかったが、すべて完走してくれた。

 

 

 

3日間とも昨年日本大学を卒業した女子のクレイン東京の職員が乗ってくれたが、ほとんどレクターへの練習ができていないので難しかったようです。
親としては、なんとか無事終わってくれてほっとしている反面、入賞できなかったのが、やはり残念でした。
せめて3日間天気が持ったのでまだ気休めでした。
初めての競技会(馬事公苑では何度が見てますが)で馬の世話がいかに大変か良くわかった。
周りの人は結構犬連れの人も多くいて、姫野的には何かはまりそうで有った。

最後の後片付けが終了したのが夕方6時頃でしたが、子供達もとても疲れている様でしたが、その日の夜、クレイン東京で馬の手入れを又してやるのだそうです。
今回の子供達は本当に良く働いてくれました。

 

姫野は次の日ゴルフなのでパスしましたが「馬には朝6時、11時、夕方4時、夜8時の4回食事を与えなくてはいけないのですが、その間、馬の手入れや厩舎の整備等で休む暇も無いのです。
レクターも毎日腰からお尻のマッサージをしてやっていたのですが、さすがに最後の日は「さわるな!!」の感じでした。
オーストラリアで試合に出ていたようですが、約2年ぶりの競技会でレクターもかなり疲れたようでした。

5月3、4日と大雨だったので5日の日はクレイン東京でゆっくり手入れと放牧をしてやりました。
何と左後脚の裏堀(足の蹄鉄の裏をキレイにする事)をしていたら、ミミズが1匹出て来ました、ひょっとしたら、東関東からつれて来たのかなと驚いております。
やはりしっかり手入れしてやらないと行けないようです。特に蹄の状態にはこれからも注意してやらなくてはいけません。

5月末に母親が介護4で自宅に帰ってくるのですが、何となく将来はレクターと犬数匹を連れて伊豆か外房の暖かい所に移りたいと思わせる日々でした。

近頃時間が無く、なるべく早く眠って2時~3時に起きて、考えを整理したり、資料を作ったり、整理する事が多いのですが、朝4時を過ぎると明るくなるので7月頃までは早起きが楽しくなるものです。

美味しい魚と好きな動物達とノンビリ生きるのも悪くないと思えるのでした。

追)レクターは6月30日~7月2日まで次の競技会に出ることになりました。

オワリ

不整脈 酔ってるような 心電図
母介護 こんな重さに 誰がした
モモ様と ババ様同じ 要介護
車椅子 主もわからず 仕事する
レクターは 親の心を 理解せず


不整脈

2012年04月13日

アメリカから戻って以来、土・日はかなり忙しく、又、エコノミーでの腰の痛みなどもなかなか取れず体力的/精神的にバテ気味となってました。
慶応病院の掛かり付けの内科の医者から「しっかり人間ドックも受けて下さい」と言われて3年ぶりに4月5日に人間ドックを受診した。
前日いつものようにある会社の社長と2人で会食をし、少し飲みすぎかなと思いながら4合程度日本酒を飲んで11時頃新橋から電車で帰った。

翌朝、健保へ8時に着いてすぐ医者の内診を受けたら不整脈があると言われ、とても心配そうな事を言われた。
1時間程で全て終り(4月末に慶応で胃カメラをすると言ったらバリウムは止めましょうと言われた)帰ろうと思ったら医者に再度呼ばれて心電図を見せられ、まるで心電図が酔っ払っているように見え、しかも心房細動が有ると言われ、「すぐ専門医に見てもらったほうが良い、できれば一日でも早く」とかなり驚かされた。
次の日は金曜日なので慶応の内科に予約外で診て貰う事にした。
慶応の予約外診察は予約の最後になるのがわかっていたので無理矢理看護士に言って早めに入れてもらった。
いつもの医者はどうしましたか、と言いながら心電図を見せたら循環器内科に別の日に予約してくださいと言われたが、又又無理言って循環器内科の午前中の最後に入れてもらった。
心電図を取って待つ事3時間。
午後2時半にやっと新しい先生に診て貰う事ができた。
先生も大変ですね、と言うと「随分お待たせしてすみません」と言われた。
「今は大丈夫ですね、念のため24時間のレコーダーやエコーを2日間かけてやりましょう」と言われた。
健保の医者には随分驚かされたが生活は何にも気にしなくて良いし、お酒もどうぞと言われホッとした。
本当に人騒がせな健保だと思った。

話しは戻りますが毎土・日朝5時半に家を出てレクターに会い、身体のブラッシングや放牧をしてやり10時半頃家に戻り、モモを獣医に連れて行き、昼を食べてから母親のリハビリセンターに見舞いに行って戻って来ると4時過ぎなのです。
これを一ヶ月以上も続けているとかなり体力的に消耗してた事は確かでした。

レクターも4月末から東関東のジャパンオープンの障害競技に正式に出ることになりました。
4日間なので姫野もホテルに泊まって応援に行って来ます。
それなりの成績を収めて次の全日本で優勝してくれると、これ程嬉しいことは無いのですが、レクターに良いメモリアルを持たせたいと考えてます。
5月には改めてご報告いたします。

以上


気配りを すればするほど 空回り
時間より 遅く来るのが いい女
酒呑めど 春風吹けど 霧晴れず
久しぶり 満員電車で 腰が張る
春雨の 命の霧が 立ち込める
夏気分 桜の若葉に 毛虫這う

オワリ


世界一の鰹節

2012年04月11日

ここ2~3年程ブロードに足りない物と言うか忘れ物と言うか、とにかく足りない何かを感じていた。
暫く悩んでいたのですが姫野の健康が良くなって来るとその気持ちはますます強くなっていった。
昨年、ある会社の社長を日本にお呼びしてセミナやユーザ訪問をしたりして改めて新しい分野/新しい人々/新しい会社とビジネスモデルの再構築を真剣に考えるようになった。

そんな中で新卒二年目の社員とあるお客様と食事をして、親しい方に姫野の自慢の鰹節をお渡ししようとしたらその社員が「つまらない物ですけどどうぞ」と言うのを聞いて目が覚めた。
そうだこういう事だったんだ!
自分のやっている事に自信が無い。
姫野にやらされているだけなんだ、こんなムードが蔓延してたんだと確信した。
ブロードがこの世に存在する役目は絶対に有るし、それを社員が忘れたら存在する価値は無いのは当然なのです。
ブロードは大手メーカーの出来ない世界をユーザにお伝えし、少しでもユーザサイドに立って一緒に考え、悩む努力を惜しんではならない。
日本一の鰹節をしっかり説明していかに良いか堂々とお客に伝えなければいけないのです。
そう!世界一の鰹節なのですから。
そんな気持ちをお客様と共有出来ない人はブロードから出てもらうしかないと思ったのです。
自分達のアイディンティティをいつもいつも見直して少しでもより良い人生を過したいと思う集団でなければブロードは存在しないのです。
ようやく最後の着地点を決める覚悟ができました。
長い25年間でした。

以上

酒飲んで 春の嵐に 追い越させ
紛らわし 冬と春との 腕比べ
人を見て 自分の浅さを 思い知る
貧乏な 国に多くの 信号機
病院で 医者より先に 判断す
何となく 場所取りマンは 間抜け顔

オワリ


ブロードの生みの親

2012年02月16日

昨年末、ブロードの生みの親であり名付け親でいらっしゃる近藤さんが正式に退任なさった。
そのお祝いを神田の「花ぶさ」で行った。
「花ぶさ」は池波正太郎が愛した事で有名で「千代田膳」をいつも好んで食されていたようです。
池波正太郎が愛した店で残っているのは最近極僅かになってしまいました。

 

近藤さんはしっかり池波正太郎の「男の作法」を読んで来られて大変お店を気に入られ、珍しく少々多めに熱燗を飲まれました。
とても72才を過ぎたとは思えない程お元気な姿で有りましたが頭脳も昔と変わらず鋭い切れをお持ちでした。

 

近藤さんにお会いしたのは30年以上前で日興證券のIT部門の責任者をなさっておりました。
その当時、IT部門は極端に保守的な日興證券は、メーカーで有るIBMと富士通以外との取引は基本的に行わないとの暗黙の社内的合意が有ったと思われる程他社には難しい取引先でした。
ただ時代はホストから分散システムに、そしてPCが単体では無くネットワーク端末になる大きな変化が生まれておりました。
その流れの中で大手メーカーが出来ない事を提案し、次々と新しいシステム構築を獲得する事ができたのです。
その当時陰、日向とお世話になったのが近藤さんでした。
多くを聞かずポイントをお伝えするとゆっくり考えながら何か良くわからない例(半自問?)を言われて唖然としている内に仕事を頂く事も多かった。

独立(会社を辞めるといったほうが正しい)する時、何時か相談に行ったのですが、「そうかい、君の好きにすれば」とどう云う見通しが有って何で食うのかなどは一切聞かれなかった。
私の直感をお見通しだったのでしょう。
会社を辞めるのに集中していて他を考える余裕は確かに無かったのです。
やっと会社の整理がついたので報告を兼ねて「新しい会社の名付け親になってください」と何度かお願いしたが「そうかい」と言われるばかりでなかなかおっしゃって頂けなかった。
年が開けて、「出来れば3月3日の女の子の日に登録したいのでよろしくお願いします」と言うと「㈱ブロード・システムエンジニアリングはどうか」とポツリと言われたのですが、何としっかり理論的武装を考えて有ったのです。
良くまあここまでお考え頂いたなと未だに驚いています。
多分何ヶ月も腹の中に仕舞われていて熟成されていたのでしょう。
近藤さんの予定通り会社名は「㈱ブロード・システムエンジニアリング」から「㈱ブロード」になり、今年3月3日に丸25年を過ぎる事になったわけです。
本当に近藤さんに名付け親になって頂き改めて感謝感謝、深謝深謝です。
近藤さんご自身も日興證券の激動の中を生きて来られてとても理解出来ない厳しい境遇にお遭いになった時も淡々と仕事をこなされていたのがとても印象的でした。
最後の10年はソフトウェアハウスの若い技術者を育てる為に情熱を注がれておりました。
人の出会いは計算で成り立つ物では有りませんが、近藤さん初めたくさんの方々との出会いに感謝感謝です。
これも「八百万の神々」の悪戯なのかもしれません。

以上

名付け親 引退しても 名を残す
年齢を 知恵でカバーの 近藤さん
梅を待つ 蝋梅の香り 爽やかに
信用を わざわざ無くす 新卒者
濡れ落葉 人にも同じ やつが居る
介護とは 人生最後の 大仕事
下り坂 介護によって 緩められ

オワリ


ソーラー発電の威力

2012年02月14日

2階の屋上にソーラーパネルを昨年末設置しました。サンヨーのパネルで最高43kwの発電が可能なようですが、ちょっとした出費となってしまいました。
元々家の増改築などは元間組で富山出身の一級建築士さんに任せてあったので、念のためチェックをしてもらったら屋上の改修にかなりの費用がかかる事がわかった。
それでも、万が一のリスクに備えて思い切ってやる事にした。
12月一杯で工事は終わり、2月1日から実際の発電が始まりました。(東電が来るのに1ヶ月はかかるのだそうです。…何でですかね?!)
現状どれだけ発電され、しかも家で消費された数値もわかり、売(買)電の数値が一目瞭然でわかる為、日中はなるべく売電に力を入れ、食洗機や乾燥機は夜間を中心に、使う事にする。
電気カーペットなど、もってのほかとなる。
節電の意識が急に目覚めて面白い。

今までモモやサクラの為にエアコンを付けっぱなしにしていたのを昼はなるべく太陽の光を入れて、エアコンを切り、夜は何度も小まめにスイッチを入れたり消したりするようになった。
何も使用していなくても0.5~0.8kwは使っているのが良くわかった。
太陽の角度によるせいか、5月と10月頃が一番発電効率が良いとの事ですが、まず2月の1ヶ月で通常の電気代がどうなるかとても楽しみです。
毎日晴天が続いてほしいと思ったりします。
本当に面白い物ですね。
自分ながら、人間がとても単純な動物で在る事が良くわかります。

 

先日花王さんの隅田工場へ行った際に工場の前から、川面に写っているスカイツリーを撮影して来ました。
桜の季節にはと、しばらくスカイツリーには話題は事欠かないと思います。

 

以上

ソーラーが 節電させる  表示計
ふらついた 足をお供に  飲み直す
つくしんぼ  どんぐりのような 背比べ
モモ様と 昼風呂入り  昼寝する
ほどほどに 酒を飲むのは  至難技
一人より 二人で飲めれば  それで良し
失敗を 生かせる人は  成功者

オワリ


103才のおばの死

2012年01月30日

1月9日に母方の母の従妹のおばさんが104才を迎える前に亡くなられてしまった。
東京に出て来て浪人生活を初めて1人で行うので、やはり親戚の近くが良いと45年前になりますが、東京葛飾の京成線の堀切菖蒲園の近くに在る大西医院の近くに下宿を探した。
大西医院と言ってもご主人が亡くなられて、閉院していて、そのおばさんと息子2人(姫野より3才上と2才下)とボス(ボクサーのオス)と4人暮しだった。
下宿は3畳で、その病院の前を通って5分ぐらいの悪臭漂う中川の近くだった。
浪人で暇だったし、お風呂へ行くと帰りに寄ってビールをご馳走してもらったり、ボクサー犬の散歩に行っては、ビールやお昼をご馳走になったりしていた。
特に寒い時期は、大根と鶏のブツのスープがとても美味しく何度もご馳走になって、今も姫野の得意料理の1つとなっています。(一晩寝かせた黄金のスープと大根は絶品ですし、この寒さでも身体がポカポカします。)

100才になった頃一番下の息子さんから、母親はどこも悪い所もなく、自分の身の回りはすべて自分で出来ます。と年賀状が来ていて凄い人だなと思っていた。
実は新潟では「大西家」と云うのは代々大きな廻船問屋で新潟の万代橋から河口まで延々と倉が有ったようで、とても有名だったのだそうです。
ところが大正に入り船が次々と難破して、急に落ちぶれたようです。
母の母は大西家の最後の娘で、常時5人程の召し使いや下女がついていたそうです。
昭和の30年頃には、その下女達が素晴らしい所へお嫁に行き、市長や知事の奥様になっている人もいて盆と正月に挨拶に来られて姫野も会った事も有りました。

確かに落ちぶれた一族となったのですが、私の母と縁続きで有り、亡くなった父を紹介してくれた事もあり、血は薄いのですが、かなり付き合いが有りました。
現在では息子さん3人とも医者となり、又、その子供達も医者となった人も多く、10人ぐらいの医者が育っているようです。

一番下の息子さんの今年の年賀状に“母もいよいよだし、103才を越していて、これで良いとは思うもののやはり自分の気持ちとしては、とにかく一刻でも長く生きていてほしい。 とても残念です”と書いてあった。
自分の母親の事もありバタバタしていて、1月11日に電話をしたら、“ほんの身内だけで昨日葬式を済ませた”と言われてしまって声も出なかった。
電話口で“惠悟ちゃん”と呼ばれて、45年前に戻ってしまった。
“とにかくなるべく母親(姫野の)の顔を見に行ってあげて下さい。 私も、病院の休みの2日間をずっと母親の所へ通ってましたが、身内として今も生きていて欲しいと思っている”とさかんに言われ、“病院が休みの間どう過ごすか、これから趣味を探すんです”と笑っていた。
暖かくなったら新潟の大西家の墓に入れる予定なので、その時はご一緒することにした。

近頃私の母87歳はとても元気になり、昔のように口が達つようになってきましたが、歩く事はやはり厳しいようで、有料老人ホームをこれから探す事になりそうです。
とにかく時間が有れば顔を見に行ってやろうと思ってます。

追)レクターにお手とおかわりを教えました。
食い意地がはってるせいか頭よりも食べ物につられて色んな事を覚えそうです。
写真では動きがなくて判り難いのですが、是非ご覧下さい。

 

 

以上

街の中 スキー場の 風が吹く
レクターは お手とおかわり 覚えたり
熟睡の モモ様触って おこられる
順番と 思えど寂し 人送り
朝夕に 陽を見る幸せ かみしめる
人に会う 喜びかみしめ 今が有る

オワリ


あらかん

2012年01月07日

まさか自分が「あらかん」の年になるとは思いもしなかった(正確には過ぎていますが)のですが70代や80代の大先輩達を見ていると「人生、生きて楽しめる最後の年代」なのだと思う事しきりです。(50代はゴールデンエイジ、60代はスーパーゴールデンエイジなのです)
慌てる必要は全くないのですが緩やかに坂を下っている自分に合わせて趣味を変えるとか時間の使い方を変えるとかして創意工夫しないといけないようです。
特に自分のようなアウトドアタイプは気力、体力、好奇心がその時の体調とか環境とかによって大きく変わる事が良く分かります。
今年は昨年末にスタートした「あらかん自転車」に本格的に挑戦しようと思ってます。
11月に自転車で風邪を引いてから寒い土日は乗らなくなりましたが、ヘルメットや服をしっかりそろえて一日42.195kmを平均的に走ってみたいと考えてます。
ちなみに「あらかん自転車」は姫野が自分で名づけたのですが、電動アシストの付いた自転車です。スタートと上り坂は大変楽なのです。

 

それでも25km程乗ると腰や脚がだるくなってきますし、鶴見川のサイクリングロードでも季節と自然を感じる事ができます。
とにかく無理しないで「ピンピンコロリ」できるように最後の一瞬まで身体を動かし続けたいと思ってます。
と言ってたら六本木の飲み屋で「信州佐久長寿地蔵 ぴんころ様」を頂戴した。

 

 

母が年末にリハビリ病院に転院し、何となくリハビリしてまた以前のように歩けるようになると期待していたのですが、リハビリ病院に入院してもほとんどの人は回復しないようです。

ケア・マネージャーもはっきり言わないのですが、よほどの奇跡が起きない限りゆっくりと坂道を下らせるのが精一杯ですと言っているようでした。
特老は順番待ちが長く、入れるのは大変なようですが5月末の退院後自宅ではなく有料老人ホームを探す必要に迫られています。
そんなこんなで「あらかん」を大切に生きようと考えてます。

突然ですがスヌーピーが女の子(ルーシー)に「アンタは何故犬なの?」と言われて、スヌーピーが「与えられたカードの中で生きるしかないよ」「もし足りないカードがあってもね」と答える所があります。
この作家(チャールズ・シュルツ)はスヌーピーを通し、素晴しい世界を創り、世界で愛されたのですが、これが全ての基本に有ったのかもしれません。
人はどんなに努力してもお金持ちになっても基本は変わらず、人は人に有るという事なのでしょう。
会社的というか営業的に、営業=売り上げ=金にこだわる人が多いのですが、お金は手段であって目的ではありません。
何度も思ったり書いたりしているのですが、日経新聞的(欧米的)発想は日本の文化から排除すべきです。
毎年毎年右肩上がりの売り上げと利益だけを追い求める事は誰が考えてもうまく行く訳が有りません。
一時的にお金と言う実績を上げられても社会において会社として人として認められ、期待される事がなければ意味も価値も有りません。年末から正月にかけて社員に新たな思いで伝えたいと改めて思い直しております。

追)昨年末から毎日乾燥した日が続いていますが古くなった加湿器がどこにおいてあるかわからず、夜中や明け方に何度も喉や口がカラカラに渇いて目が覚めました。
年とか鼾かとも思いましたが、湿度が20%ぐらいなので年末に音の静かなと言う事で「DAINICHI」の加湿器を買ってきましたが、大変満足しています。
是非お勧めです。

不義理して 神に祈るは 罰当たり
正月に 昼風呂入り 句作する
お正月 初めて母の いない日々
あらかんを どう生きるか 勝負です
ひつじより 句作で眠れる 夜楽し
母を見て 我の終わりを 考える

オワリ



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