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Topics海外 2012年~2013年

2013年07月03日
恒例のラスベガスへ行って来ました・・・Ⅱ
2013年06月25日
恒例のラスベガスへ行って来ました
2013年04月30日
NYの桜が満開でした-Ⅱ
2013年04月24日
NYの桜が満開でした-Ⅰ
2012年07月06日
6月18日から26日までの米国出張
2012年03月16日
ブータンからのタクシードライバー  ~その3~
2012年03月15日
ブータンからのタクシードライバー  ~その2~
2012年03月14日
ブータンからのタクシードライバー  ~その1~

海外最新情報
恒例のラスベガスへ行ってきました・・・Ⅱ
2013年07月03日

年1回の代理店会議で毎年10カ国ぐらいの代理店の人々と会うのを楽しみにするようになって来ました。
15年ぐらい経つと、皆年を取ってきて、奥様は無論息子さんや娘さんを連れてくる人も増えてきました。
この会社はブロードより1年早く設立されておりますが、オーナーとは昨年2人で話しをしていて同じ1949年生まれで益々ファミリーとして親しくなったのです。
単なる代理店の関係ではなくお前達はレベルの違うファミリー、と毎回言ってくれるのも本当に嬉しく思えるのです。


ここ3年程オーナーではなく、COOがすべてを取り仕切っていて、昨年も日本に来てもらって話しをすることが多くなってます。
彼のすごい事は、Vanguard社の売上げ、利益、投資、組織などを非常に細かく説明するのです。
一般的に、代理店会議では売上げノルマを達成するために何をすべきかをお互い話し合うことが多いのですが、彼は会社がどの方向に向かって、どういう成果を生んでいるか、期待通りでなかった事などを明確に説明するのです。
又、会社として「基本的な事をしっかりやるべきだ」と何回も言われる。
こちらも、そうだ、やるべき事をしっかりやっていなかった、といつも反省する事が多い。 一般的に、毎回海外のCEOやCOOと話しをすると、彼らは本当に基本を忘れず忠実に実行している事に感激します。
残念ながら日本に戻ってくると2~3日で基本を忘れてしまう事が多い。

ラスベガス  ラスベガス

今までオーナーとばかり話しをしてきていたのですが今のCOOの力量に少なからず親近感を持ち始めて来てます。
オーナーは2年前に交通事故に合い、頚椎損傷が後遺症として残り、毎年ダカールへ出ていたのが中止されていた。
その後実母が亡くなり、実娘も亡くなり、最後に婚約者にも逃げられ(?)ほとんど仕事(会社)に出ていないのだそうです。
それでもこのCOOのお陰で会社は堅調に推移しているがとてもうらやましく思われるのでした。


日本に帰る前の夜にオーナーが会いたいと言ってきたので、いつものようにお土産を持って行った。
ところが6時半から9時過ぎまで、ここ2年程の自分の心のわだかまりを何と涙ながらに話しをしてくれた。
こんな話しは誰にも話していないが、自分はどうしたら良いのか、どうすべきなのかアドバイスしてくれと言う。
あまりの事で返す言葉も無かったが、「姫野も何度か死に掛けたことがあるけれど、今、生きてる事は何かに生かされていると思い、その時々を大切に生きてきた。日本の仏教ではお釈迦様が良く言われる人間の一生は一瞬である、けれどそれを異化に大切に生きるかが残された者の使命だと、又、貴方は、貴方以外の何者でもないので自分を大切に自分らしく生きるべき」とだけお伝えした。
日本へ来て座禅をする事も良いのでは言っておいた。
アメリカ社会で仏教的な話しがこんなに理解されるとは少しも思わなかったが、このCEOと初めて会った時に会社経営をどういう風に考えるかと聞かれ、姫野はアメリカのソフトメーカー、ユーザ、ブロードの3社が平等に幸せになる事と言ったら、CEOはアメリカでもトリプルウィンが有ると即答してくれた。
それも今では良い思い出になっております。 

オワリ

追)リンゴの洋服をプレゼントされました。 
初めて着せられて何とか口で取ろうと真剣です。
わずか1.5㎏が6kgを超える体重となってきました。
もうすぐ丸6ヶ月ですが、だんだん部屋の中でトイレをしなくなってきました。
これから車や自転車に乗せて一緒に遊びに行くようにします。

 

ラスベガス  ラスベガス

以上


恒例のラスベガスへ行ってきました
2013年06月25日

毎年ラスベガスで行われるホストコンピュータのセキュリティの最大手のVanguard社の代理店会議とEXPOに行ってきました。
ホストのセキュリティはRACFを中心にしたIBMのZ/OSの本部がVanguard社と協業しているのですが、IBMのチボリGはVanguardの買収が出来ず別の製品をラインアップしております。
アメリカでは圧倒的にVanguardが市場を押さえているようでIBM社のRACFの教育もこの会社がやっているようです。

元々NASAでセキュリティコンサルをやっていた今のオーナーがNASAのホストに進入した事が判明してその為にソフトを作ったのが始まりのようです。
それを外販し、次々と時代の要求に沿ってたくさんのソフトを作り販売しているのです。
元IBMでRACFを造った人々やユーザのセキュリティ責任者などが社員となって頑張っているシニア中心の面白い会社です。
世界の代理店が10カ国程に有り、最近は中近東にも進出しているようです。
コンサル・セキュリティアセスメント・RACFの教育など、地味なのですが地に足をつけて確実に成長してきているようです。
今回で27回目のEXPOでたくさんのセッションがあり、活発な意見交換が行われているのだそうです。

ラスベガス  ラスベガス

この会社の本社がラスベガスにあり、(企業の所得税がとても安いのだそうです)ここ3年はラスベガスの同じホテルで代理店会議が行われており、25年前に来たラスベガスとは全く違う町(100万都市です)となってます。
とにかく日中は暑く、夕方5時頃がピークで100°F(40℃)を超えてます。
夜は20℃~15℃くらいに下がりますが湿度が異常に低く7~14%程です。
日本から持ってきたトランクをホテルで開けたらまるで水をかけられたかのように湿っておりびっくりしました。
昔、アメリカから帰国して日本でトランクを開けるとアメリカの香りがしたと記憶が有りますがそんな事を思い出させる瞬間でした。

ホテルもHarrasがあまりに老朽化しているので近くのFlamingoに変えたのですが、特別安い部屋のせいか($70/日)一番遠くの古い部屋でした。
リニューアルされていて広いのですがロビーから15分ほどかかる気がします。
全部で5000室以上も有るようで、それでも一杯なのが、又、又驚きです。
冷蔵庫もコーヒーサービスも無い安いホテルでした。

ラスベガス  ラスベガス

オワリ

追)初めて夢の中でレクターと話しをしました。
姫野がレクターの背中に乗って2人で楽しそうに話をしました。
「妹のりんごを可愛がって」と言った事だけは覚えてますが後は
全く覚えておりません。
今回はレクターの為にホースボールを買ってやりました。
兄妹仲良くやってもらいたいものです。

りんご  りんご

りんご

外国に 来て見て分かる 知恵と無駄
成功は 努力と知恵の 結晶だ
きれい事言っている他人は 役立たず
ビジネスの 基本はすべて 当たり前
レクターの 初夢を見て 目が覚める

以上

 

NYの桜が満開でした-Ⅱ
2013年04月30日

NYの所々に桜の木は有るのですが、かなり白っぽく良く見ないと桜だと思えない程で、しかも、それを人がたむろして見ている事など、この国では無い様でした。

今回の「Sienna Farms」訪問はかなりスケジュールがきつく、直前の週末の自転車で又、風邪を引いたようで誠に体調の悪い移動でした。
往復ANAだったのですが何とか最後にビジネスクラスにアップグレードされて助かった。 NYのMr.NOBUも「姫野さんてほんとうにケチですねホテル代、飛行機代でいつも文句を言う人は居ない」と言う。
でも姫野的には本当にもったいないと思うのです。
今回も1日目NYで2日目OCALA、3日目NYでNYは同じホテルだったのですが、1日目$350でどう見てもその価値が有るとは思えなくて、3日目にネゴしたら何と$200になった。
これでレクターのお土産品代は出たと思うと、何となく嬉しい気分になるのです。

恒例のMOMA SHOPで$350程買い物をして、1年の会員になると20%オフとなるので、いつも通り$60を会費として払いかなり得した気分で満足するのです。
毎年MOMAに$60寄付した気持ちなのです。

今回、オーナーが何故牧場を始めたのかずっと疑問だったのですが、何と彼は9才~16才ぐらいまで牧場で働いていたのだそうです。
これは、ほとんど最低生活を青春時代に過ごした事になると思います。
ソフトウエアで成功してから牧場主として成功する事はたやすい事では無いと思うのですが、そんな青春のバックグラウンドが彼を動かせ、奥様もしっかり支えている事で姫野自身納得が行った。

2日目にオーナがKEIGOに銃やコヨーテ狩りなど色々考えて居たのだけれど、ロングアイランドのCOOがいつもCEOがやっている事をKEIGOにさせないように注意をされて、どうして良いか困って居たと言われて大笑いした。
かなり姫野もワイルドで有ることを証明出来たようだ。

NYについた月曜日は今回はボストンマラソンの爆破事故が有り、NYも自動小銃を持った軍や装甲車などが多数出ていて物々しい警戒態勢でした。

次の日7時30分の朝1番のフロリダ行きの飛行機に乗ってオーランドに向かったのですが、8時に爆破の電話が有り空港閉鎖となり、その後AA(アメリカン・エアライン)がコンピュータの不具合で全便キャンセルになったりして大変だった様です。

次の水曜日フロリダから戻りロングアイランドのCOOと食事する予定だったのですが、飛行機が遅れて午後6時に着く予定が11時半になってしまった。
仕方なく12時半頃にNYでMr.NOBUと軽く食事をしていたら「日本人は鯨を食べるのを止めるべきだ」とぽつんと言われ、40年もNYに住むと日本人の文化とは焦点がボケるのだと驚いてしまった。
姫野は飛行機の中ですぐ眠るのだけれどMr.NOBUはかなりお酒を飲んでいたのです。

10年程前にテキサスの友人に「何故アメリカは銃を規制出来無いのかな、日本人から見ると本当に不思議だ」と聞いた時にその友達の答えは、テキサスの小学校に入って最初にやることは「銃の分解掃除だよ。だから難しい問題だと思う」でした。
相手の文化は理解できるつもりでも本質的に頭の中で考えなくてもわかると言う事はいかに難しいか思い知らされた出来事でした。
一番いけない事は「相手の心や文化をわかったつもりになる事程失礼な事は無い」と思うのです。

それでも海外の会社と25年続いた影の功労者はMr.NOBUとFLORAのお二人が日米の文化の架け橋にふさわしい方々だった証明と思います。

 

Mr.NOBUとFLORA  FLORAと姫野

Mr.NOBUとFLORA

是を経験出来た姫野は本当に幸せ者だとつくづく思いました。

オワリ

NYの桜が満開でした-Ⅰ
2013年04月24日

4/15(月)から19日(金)まで米国へ出張してきました。
大きな目的はブロードのソフトウェアパッケージの販売の最初のスタートとなったNYのロングアイランドに有るSEA社(Software Engineering of AMERICA)の代理店になって丸25周年経ったお祝いに、とにかくしっかり挨拶に行こうと思って行ったのです。
SEA社はホスト(IBM)系のツールを世界的に販売している大手で、ホストが全盛期の頃は世界で30番目ぐらいに入る程の大手でした。
オープン系が進行する中で相対的に地位は下がっておりますが、最後のガンマンになるべく努力しているようです。
ブロードの原点のブロードウェイの写真を撮って、翌日フロリダのオーランドに向かいました。

ブロードウェイ  ブロードウェイ

 

CEOは既にフロリダに移り競走馬の生産に情熱を燃やして10年経ってかなり定着してきて成功しているようです。
馬(サラブレッド)の世界は先ずは血統が物をいう世界でインターネットで調べると400年程前まで遡ることが出来るようです。
お土産の特注のダルマよりディープインパクトの三冠達成の記念切手が気に入ったようで、早速ディープの男親がUSAのサンデーサインレスと判って、日本はお金でUSAの良い馬を買いあさって行くので困ると言ってました。
彼の牧場はフロリダのオーランドから80マイル程北へ行ったOCALAで何と300エーカーの広さに100頭程の牝馬がおり、年20頭程生まれるのだそうです。
安いので$5万、高いので$25万程で世界に売っているようです。
売り先はアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドバイが多いようで、何とか日本にもコネクションをつけたいと言っておりました。
1日目の夕方から3時間程かけて案内してくれましたが、1頭がもうすぐ生まれそうで、既に馬乳が出始めているので、今夜は側に居てやりたいという事で食事は買いに行って食べました。

ceo

次の日は朝8時から牧場に有る調教コースを見学して、OCALAの馬の取引場を見学させてもらった。
日本からもバイヤーが7~8人来ていて真剣にタイムを見ていた。
テスト走行して翌週の火曜日にセリにかけられるのだそうです。
400mのタイムが10秒程で、これを切る馬は殆どいなかった。
彼が取引所の人を紹介してくれるので何人かと握手したが、とても真剣そうなので、後で彼がKEIGOは日本で何頭か馬を持っているらしいよ、と遊んでいたらしい。
近くに馬具のお店があったので、またレクターの馬着を3枚も買った。(日本の1/3程の値段ですが重たいので無理する事は無いのですが、日本では品数が無いのでついつい無理するのです)

レクター  レクター

OCALAは牝馬を、ケンタッキーでは牡馬を分けて飼育しているようです。
2~3歳の馬達は全く人見知りもせず、ノビノビと育っており、うらやましい限りでした。
とにかくゆっくり写真を御覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上


6月18日から26日までの米国出張
2012年07月06日


毎年恒例のホストコンピュータで世界一の「Vanguard社」のコンファレンスと教育が有る前の週末金、土、日とラスベガスで世界のディストリービュータを集めての「代理店会議」が行われるため渡米した。
その前にロスの南のアーバインに本社があるeEye社のオーナーに会いに行った。
彼は元々有名なハッカーで、17歳で会社を作り、14年間続けてきた会社をBeyond Trust社に売却した。
今回、セキュリティレベルを上げるだけでなく、使え、しかもユーザが儲かる仕組みを提供する新しいパッケージでソフトを作った訳です。
デモを1時間半程見せてもらって、昼食に連れて行ってもらった。(まるで映画の1シーンのような気がしました)
とても陽気で楽しそうに仕事をしている感じだった。

 

今年のロスは大変涼しく15℃~25℃の間であったが、アメリカ全土は火が点いたかのようにあちこちで100°F(38℃)を越えている所が多かった。
ラスベガスは103°F(40℃)から60°F(18℃)でとても昼中はゴルフをやれるどころではなかった。
ラスベガスのホテルでの会議は毎回失敗(身体が冷えて胃腸が悪くなる)しているのでなんと今冬ユニクロで買った上下のヒートテックの下着を着てワイシャツも冬の厚い物を着込んで切り抜けた。
しっかり準備をしたつもりが、又目覚まし時計を忘れたが、今回は携帯電話にその役をやってもらう事とした。
ホストコンピュータのパッケージソフトのオーナーはいつも姫野を家族として迎え入れてくれて食事の時も同じテーブルにわざわざ呼んでくれる珍しい人である。

彼はお前のビジネスの基本は何かと言うので、私が言った商売の基本を「アメリカにも同じ意味のトリプルウィンと言うのが有り全く同じだ」と教えてくれた一人です。
2年程前まで一人でCEO、CTO、COOの3役をやっていたのが、今は新しい優秀なCOOがかなりの所をカバーしていた。
又、アメリカではホスト市場が回復してきており、この会社も前年比20%の売上げ増だったそうで、その数字も細かく教えてくれた。

 

又、オーナーはとある代理店のオーナーの奥様が重い病に罹り、その費用(2千万円?)を肩代わりしているとの話しもありました。
この会社もただ長く続いて来ている訳でなく、IBMや顧客との強い絆とオーナーの情と言うきわめて日本の浪花節的経営だったのです。

いつも思うのですが「人の心はどこでも不変であり、表現の仕方さえ気をつければ世界は同じ」と改めて強く思い直しました。 アメリカに行くといつも新しい刺激を受けるのですが、今回もご多分に漏れずとても刺激的でした。

オワリ

ブータンからのタクシードライバー  ~その3~
2012年03月16日


NYでは街を歩く事が多いせいか、だんだん腰の痛みがとれてきた。
昔だと一度腰が痛くなると1~2ヶ月はカイロに通うことになったのに、レクター(馬)のおかげと感謝感謝。
ロスではLA Saddly、NYではManhattan Saddlyに寄りレクターのお土産ばかりを買った。
日本で売ってないものが多いのと、1$80で換算すると50%程安いからです。
そんな意味では日本の物価は世界の常識はずれと思える程高いと言えるのではないでしょうか。

3月3日は1人でブロードウェイをブラブラして飯を喰うはずだったのですが、25年近くのお付き合いとなる浅野さん御夫妻にお祝いをしていただいた。
やはり季節がらマッスルやオイスターなどが食べたかったので、10数年ぶりにシティCrabへ行った。
200人以上も入る大きなシーフードレストランなのですが、3回転はしていると思えるほど、繁盛していた。
その前、2回も日本食レストランへ行ったのですが、すべて一杯でした。
1人50~100$は取られる店なのに、白人だけでは無く黒人の方々も大勢居た。
アメリカの景気は2年前と比較すると確実に良くなっていると肌で感じられた。
唯一の心配はイスラエルのイラン攻撃かもしれません。
白ワイン一杯とウィスキーのダブルを2杯飲んでNYの夜を楽しんだ。

 

 

ロスの失敗をしない為、ホテルに3時30分過ぎでリムジンを頼んでおいた。
少し飲み過ぎたせいか、3時に目が覚め慌てて支度をした。
ラガーディア6時発、ワシントン7時23分着、
ワシントン12時20分発、成田16時着(翌日)
でトータルすると24時間程かけて自宅に戻るのです。
4時少し前に空港に着いたのですが、今回はすぐチェックインが出来たのですが、荷物を何とか勘で50ポンド以下にしたいと思い、手持ちと少し分けたのですが、チェックインの荷物はジャスト50ポンドで、とても嬉しくなってしまった。
席もビジネスクラスは駄目でしたが、マイレージプラスにUP出来とても楽でした。
セキュリティが4時半からしか開かないので、30分ほどボーとして立っていた。
ワシントンから15時間程のロングフライト。
ただただ我慢して乗っているしか無い帰りは初めてエコノミーの窓際のせいか、温度がとても寒くなったり暑くなったりで、ほとんど眠ることが出来なかった。
あのまずい赤ワインを3本も飲んだのに効果はなかった。
あまりに食べ物がまずく満腹にならないのが原因のようでした。
今回10日間で運良く1日も雨に降られず、相変わらず「晴れ男」の神様は我を見捨てずのようです。
でも体力的には、酒の量も減り楽しみが段々減って来ているようですが、日本では小笠原諸島、海外ではガラパゴス諸島へ是非生きている内に行きたいと考えています。
昨年はイエローストーン公園へ行きましたが、NYのソフト会社の社長から、3.11に対するお悔やみを頂いた後に「アメリカだってイエローストーンが大爆発を起こすと北米全般が火山灰の下になるんだよ」と言っていたのには驚いた。
今回の3.11が世界に与えた影響は、いかに凄かったか良くわかります。
60万年に1回といわれるイエローストーンの大爆発までアメリカ人の心を揺さぶっているのは確かなのです。
それから見れば、あまりに短い25年ですが、考えさせられることが多かった出張でした。

オワリ

 

ブータンからのタクシードライバー  ~その2~
2012年03月15日


特に問題も無くNYに着きました。
ところがロスで久しぶりのエコノミーだったせいで又、失敗してしまった。
チェックインの荷物が50ポンド(22.5㎏)をオーバーすると$100取られるのですが、まあ少しぐらいなら大丈夫と思っていたら、しっかり$100取られてしまった。
5.6ポンドオーバーだったのですが、通常ビジネスだと何の問題も無いのですが、荷物の一部をハンドキャリーにするか考えたのですが、袋も持っていなかったのでしぶしぶ$100払うことにした。
手荷物検査にも、随分時間がかかり、ゲートに着いたのは5時頃でした。
こんなに人が少なくてもこんなに時間がかかるとすると、帰りのラガーディアはとても心配である。

とにかく5時間のフライトで眠って行けば午後3時過ぎには、NYのホテルに着いている訳です。
夜は日本食と熱燗でゆっくりすることにしよう。
嫌なことや失敗は早く忘れて、ブロードの由来であるNYのブロードウェイをゆっくり歩いて見よう。
ブロードウェイを歩きながら25年間の短い時間を少し楽しもうと思う。
次の25年は無いのだから。

 

いつものことですが、タクシードライバーと話しをしていて人生を豊かにすることが多いものです。
今回もJFKからタクシーに乗ったらいきなり日本人かと聞かれ、一般的に日本人は礼儀正しく、又今回の津波の時の日本人の行動や精神を心から尊敬するよなんていう。
どこから来たのかと聞くとブータンという。
初めてNYに来る日本人は舞い上がっていて危ないけど一般的にしっかりしているともいう。
子供はと聞くと10歳と10ヶ月の男の子2人という。
思わず、腹違いかと聞くと、こちら(アメリカ)の人はすぐ離婚するけど、東洋人は一般的にそんな簡単にしないよカルチャーの違いは明確ともいう。
お前の子供はと聞くから、もう35歳だというと、嘘をつけお前も35歳に見えると平気で嘘をいう。
ブータンは資本主義のような経済数値ではなく、自然指数を持ってる素晴らしい国だねとこちらから言うと、自然は素晴らしいけど、仕事が無いからと言っていた。
NY34丁目のとてもローカルなホテルだけれどしっかり目の前で停めてくれた。
つい5$程余分にチップを支払った。
相手が気持ち良くチップを支払えるようにしているのが、見え見えなのにそれにはまってしまう。
ついブロードの社員の顔を思い出してしまう。
個人の金で無いのだから、気持ち良く払えるようにすべきです。
なぜ、相手に大きな楽しみや喜びを与えられないのか不思議でしょうがない。
お客様が痛む訳でもないのに何をビクビクしているのかまったく理解出来ない。
NYのタクシードライバーでも、一生懸命営業していることをブロードの営業は「肝」に命じておくべきと思う。

NYのホテル(韓国系)に入ってまず気が付いたのは、何とテレビは「OLEVE」という中国のメーカの製品だった。
又、テレビで驚いたのは「煙草の害」を訴えるすごい番組が流れていた。
日本では絶対に有り得ないと思う。
それを映しているテレビが一部歪んでいて、日本では品質保証上、絶対市場に出さないと思われるのですが、ホテルにとってはとにかく安ければ良いということなのでしょう。
日本文化やルールは世界では通用しない上、この判断を間違うと市場から退場させられることになります。
本当に厳しい時代となりました。

続く

 

ブータンからのタクシードライバー  ~その1~
2012年03月14日


2月25日から29日までロス、3月1日から4日までNYに出張しました。
相変わらずのケチ(もとい経費節約)な出張でしたが、いつもマイレージアップして何とかビジネスクラスに乗っていたのに、今回は成田のユナイテッドのカウンターで多分難しいと言われて、久しぶりにエコノミーに乗った。
3人席で隣の席は空いていてまだ助かったのですが、次第にお尻と腰が痛くなって参ってしまった。
それでもしっかり7時間程は眠ることが出来た。
食事もどちらかというとエサに近く、又、ワインはキッチンワインに近かったが、それでも2本飲んで休むことが出来た。

ロスは相変わらず良い天気が続いていましたが、朝晩はとても寒く革のジャケットが欲しい程でした。
ホテルも安いEnbasy Suitesで2部屋有るのが自慢なのですが、なんと今回を象徴するように42型のテレビSAMSUNGが居間に、LGが寝室に有った。
日本のメーカーから比べると少し電源が入ってから画面が出るので時間がかかるようだけど、ホテルにとっては安ければ良いのでしょう。
ブラウン管テレビでは日本が圧倒的だったのに時代の流れを感じます。

今回のロスでは車で50~100マイル程離れているので毎日、自分でカローラを運転しました。
行きの道はほとんど間違えなかったのに、帰りはどうも気が緩むせいか、ほとんど毎日間違えて、最後の日などは20マイルも東に走ってしまった。
それでもほとんど毎日5時頃やっとホテルに着くことが出来たが、とにかく明るい内に帰れたのが、救いでした。

ロスは砂漠の街なので朝晩がとても寒く(5℃以下)昼中は陽が出てると暖かいのですが、曇って風が吹くととても寒くなります。
あちこちで、杏の小さな花が満開でロスもNYも同じでした。

 

日曜日には昨年11月に「KEYSTONE」の紹介の為に来日したドロンさんの自宅にもお伺いした。

 

ロスからNYへ移動する前日の夜、隣のマリオットでロブスタービスワとコロラドのラムを1人で思いっ切り食べた。
これで1年間はラムを食べなくても良いほどでしたが、まるでローストビーフのような味で美味かった。
量も日本では3人前ほどを1人で食べた。
1人で夕食を取るのは今回3回目でしたが、1回目は映画女優のような若い金髪の人を前に見、今回はアラフォー中心の日本人女性4人組(多分スチュワーデス)の他愛ない話を聞くとは無く、聞いていた。
味の濃い白のシャルドネを一杯飲んでから、シーバスのロックを2杯飲んだ。

翌朝6時のユナイテッドでNYに向かう。
1時半頃に目が覚めて、そのまま起きて、2時半過ぎのホテルのバスに乗って3時には空港カウンターに着いてしまった。
ほとんど人が居らず、たまたま通りかかったユナイテッドの関係者に聞いたら、朝1番の飛行機は4時15分からしかチェックイン出来ないことがわかった。
この年で初めて知ることも有ると感心してしまった。

 

続く

 

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