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「すぐ近くで分かりやすい、30分で着くよ」とCEOは言っていたが、何と20マイルもあり、ローカルの道をおっかなびっくり運転して15分前にやっと着いた。 Saticoyゴルフコースは全米オープンもやったほどの名門でティーグラウンド以外は相当うねっており、しかも大きなユーカリやパインの木が邪魔をする難コースであった。 特にグリーンは良くテレビで見るように方向によりなかなか止まらず、乗ったつもりがグリーンのエッジを越えてラフへ入るような所であった。 レンタルクラブで古いアメリカのSシャフトでクラブのメーカーも年代もバラバラ(リゾートではなく名門クラブなのでレンタルクラブを借りる人がいないのだと思われた)で全くコースに歯が立たなかった。 前半はボロボロ。 後半は少しましでしたが疲れました。
グリーンの旗のポールにレーザーの反射ミラーが付いていて、自分で距離を計るようになっているのにびっくり。 その機械も持ってないのでグリーンまでの距離も分からずオーバーや手前に落ちる事が多かった。 次回は必ずクラブを持っていこうと思う。 3人で回って6時半頃にやっと1ラウンドが終了した。 当然お風呂は無いのですがシャワーも浴びず急いでホテルに戻った。 割合フリーウェイは空いていて60マイル程を1時間ほどで無事ホテルに戻る事が出来た。
とてもハードな一日だったが、お蔭でぐっすり8時間ほど眠る事が出来た。 いつも通り6時半に朝食を摂り、8時に知人に頼んだバービー人形(Computer Engineer)6体をもらってロスエアポートに行く事にした。 周囲から「何故バービー人形を」との声が有ったが、ブロードが事務局を勤めている「コンピュータ運用を考える会」の東京・大阪の両方で運用部門の女性の地位向上と活躍の場を広げる為に女子部を作る話が出ており、まず大阪運用会で9月末に女性だけ集まって第1回目の準備会を開く事になっているのです。
先日そんな話を東京海上日動システムの横塚社長にしたところ、同じような話をB社の女性会長から聞いてバービー人形(Computer Engineer)を頂いたと言われた。 とても興味を持ったので「是非見せて下さい」と言ったら見せてくださって、しかもB社の会長も紹介しましょうとの話となったのです。 それで、なんとしてもバービー人形が欲しくなり、知人にお願いしたのです。 長い話ですが、今回の目的の50%がこれだったのです。
アメリカのITの運用部門は25%が女性で、マネージャもたくさんいるのですが、日本ではとても珍しい存在となっております。 昔のようにM/Tリールやディスクを腕力で運ぶ事も無く、通常時間でしっかりしたマニュアルを作ると言う点でも現在の運用は女性の仕事として大変適していると思うのです。 運用会も20年経ってやっと女子部会を作ろうと言うのは遅きに失する感が有りますが、そのシンボルとしてバービー人形(Computer Engineer)を位置づけたのでした。
アメリカが 我が人生の 糧となる 海外で 出来ぬ句作を 作りおき 良く聞かず 悪い結果は 当たり前 寂しげな 溜まり水飲む カラスかな 老い猫と 老犬が会う 夏の朝 人生を シンプルにする 難しさ
Mr.Doronは古き良きアメリカの心を持っていて、まだこんな人が堂々として生きていけるアメリカが本当に嬉しい。 ソースの公開は将来M&Aなどによってユーザに迷惑がかからないように、又、M&Aの予防策としても有効と思っているようであった。
姫野が25年前に独立した時と同じで「ユーザの為」が第一義なのに久しぶりに感動させられた。 「日本で是非やってくれ、いつでも日本に行くよ」とMr.Doronが言ってくれたので是非新たな心で頑張ってみたいと思うのでした。
追)Mr.Doronの会社から歩いて5分程に米国式イタリアンが有り、「美味しいよ」と言うので野菜の入ったラザニアを注文したが、あまりに美味しく完食した。 普通のアメリカのお店では1/3も食べられれば充分なのにとても気に入ってしまった。 いつも食で釣られる姫野でした。
毎回ホテルの会議はとても寒く風邪を引きそうなのでたくさん着込んで行くことにしている。 今回は日本で少し喉がおかしいと思い風邪薬を持参したのですが、それも足りず現地で薬を調達する羽目になった。 たぶん熱も高かったのでしょうが測ることもできないのでひたすら部屋を暖め汗をかいて眠る事にした。 咳も酷く、肺炎になったかなと自分ではとても心配であった。(小学校1年の時に二回肺炎に罹り殆ど学校に行かれなかった) 部屋から出る時はマスクをしたが、それでも寒くてしかも汗が酷く流れた。 最後の夕食に参加はできなかったが、その前のレセプションでオーナーの社長が私をわざわざ別室に呼んで話してくれた。 初めての取引(10年前)開始から今までの付き合いについて感謝していると、又、お前が毎回プレゼントを持ってきてくれてとてもよい記念になっている。 長い間の協力の御礼と今後の協力の依頼と強いフレンドシップを話してくれた。 海外に来て久しぶりに嬉しい瞬間だった。 非常に狭い範疇のエリアだったがしっかりした商いをしていて年40%利益確保と開発費15%投資は続けているとの事であった。
いつもの忘れ物 目覚まし時計。 今回は携帯の自動調整機能で現地時間と日本時間が一瞬にわかり、時計合わせも要らなくなった。 又目覚まし機能も結構便利で助かった。 でも2日目の夜スリープモードから戻そうと思ったら全く使えなかった。 電池を再セットし直したらOKとなった。 毎度何かを忘れ、新しい発見と出会いが出張の楽しみとなっているのでもっと海外に出たいのだけれど社のリスクも考え、海外製品と国内製品のハイブリッド型にするのに3年程かかっていたせいで、少し足が遠のいていた。 ここ3年程は年平均2回程しか海外へ行ってないのですが、何かしら体調不良が有り、なるべく無理しないスケジュールにしているつもりでも身体がなかなかついてこない。 考えてみれば還暦も越えてる身、体力、気力が衰えないほうがおかしい訳ですが、まだ自覚が足りませんし、周りのサポート(姫野に対する)も足りません。 また、飲む量も極端に減って食事の時にワイン2~3杯で酔って次の店へ行ったり、朝まで熟睡する事が無くなった。 8~9時に眠って12時頃トイレに起きて3~4時まで眠る日本のパターンと少しも変わらない。 でも今回の風邪には参ってしまった。 全く食欲も無く考える余裕も無くなった。 3日程で治った(勝手に思うだけ?)のは奇跡としか思えない。
気がつくと、そろそろトランジットのデンバー空港に着陸です。
よくもまあ身体から次々と汗が出てとどまる事を知らないようで、一晩で寝巻き、シャツ4回取替え、大きなバスタオル3枚も使ったけれど汗が止まらない。 気がつくとベッドも枕も汗でベトベトになっていた。 とはいっても大きなベッドのお蔭で(枕4つ)、汗を気にしなくて眠る事はできるのだけれど、あまりの汗のためすぐに目が覚めてしまう。 なんだか身体中から血が抜けて身体がしぼんでいくような気がした。 こんな時に体重計が無いのがとても残念だった。 初めて海外で体重が減った事が確かめられたのにと、今でも残念です。(いつもは太る一方)
デンバーに8:05分(自動修正され)に着いて1番南の端から北の端まで歩かされる羽目になったが、お店(G16→G87)を見たりしながらのんびり歩いてきてG87に着いたのが10時過ぎなのに驚いてしまった。 薬を飲む為にラスベガスエアポートで果物の切り身(?)を食べ、デンバーエアポートでパンケーキを1つ食べ、ラテを飲んだ。 両方ともスタバでした。 目的のBOZEMANへは約1時間半。 初めてのフライトですが40人乗りの小さなCRJでした。 この辺りに(ゲート80番台)来ると日本人は皆無ですが私の頭もD/Bが変更されたせいか川柳をやろうとも思わなくなり、各エアポートの暇な時間を利用してレポートするのが精一杯です。 日本食を食べないせいか毎晩サラダやアペタイザーで白ワイン1杯、メインで赤ワインを一杯くらいで誠に健康的な生活をしています。 体力的な事も考え、可能な限り海外へ出なければというかノルマを作って行かねばと思うのでした。 一番長い付き合いの会社と20年以上経ち、10年以上の会社も2つ有りますが、そんな会社とのワールドワイドのハイブリッド型業務提携も夢では無いと思うのでした。 日本人はアメリカの製品、特にソフトウェアに関して日本製でなければと良く言うのだけれど、世界に通用しているソフトウェアは殆どがアメリカ製、次いでドイツ、イスラエル製で有り、日本が世界に出る幕は皆無と言って良いでしょう。 アメリカのように数年で世界の市場を席巻するソフト会社はすぐに無理だと断言できますが、先ずは日本製品をOEMで世界の国と手を組む事が大切だと思うのです。 物作りの日本としての原点に先立ち世界に広げる努力が先ず必要だと思うのです。 その後で気がついたら日本ブランドを立ち上げれば良いのです。 日本のメーカーはそうやって毎々汗水流して努力してきたわけですから、日本のソフトウェアメーカーにできないことは無いのです。 日本の大手ソフトウェア会社やSlerでは、売り上げ利益が優先されて無理だと思います。 中小のパッケージ製作会社が突破口となるような気がします。
ラスベガスのフラミンゴホテルに3泊して2日間ホストセキュリティで世界No.1の「Vanguard社」の「International Distributor Meeting」で年1回の缶詰になってきました。 フラミンゴは、JTBのツアーも良く使うようで、ご存知の方も多いと思いますが、部屋数4000近く有る巨大なホテルで有名なステーキハウスや日本食の浜田なども入っています。
特定のショーを見たり、ゴルフをしたり、ギャンブルをするには最高の場所だと思いますが、子供を連れて来るのはあまりお勧め出来ないような気がします。 街を歩いても、昼から酔っぱらって、大声や奇声を発する人も多くストレス発散の街のような気がしてなりません。(リノとは大変違います)
お土産品はほとんどがMade in chaina. ホテルのテレビにも中国語のチャンネルが2つも有りここでも中国の進出はすさまじい物が有ります。(当然日本語放送は有りません) ホテルの中も街の中にも日本人はほとんど見かけません。 基本的に日本人はラスベガスのような騒がしい所は合わないのかも知れません。 でも平日でもこのあふれる人は何なのだろうと思います。 NYでも、とても景気が良くなって来ているようで、アメリカの底力をまざまざと見せ付けられているような気がします。 海外に来ると、日本の国の将来や日本人としてのアイデンティティのとてつもない大きな危機に日本人として何も出来ないのが、とても虚しく感じられます。 ついつい母親がしっかりして無いから、こんな有様になってしまうと酒を飲みながら愚痴が出てしまうのです。 イギリスのサッチャー以来ヨーロッパでは政治の信念として、「1に教育、2,3、が無くて4に教育」と言うのが常識で国家としてものすごく力を入れていて次々新しい施策がおこなわれているのに、日本は旧態以前の個人主義かつ横並び主義で「次の世代を創り世界に日本の文化」を展開出来るような政策を早く作るべきと益々思うのでした。 4/17代理店会議も今日で終わりで、少し気楽になって来た。
今18日午前7時、ようやくラスベガスエアポートの53番ゲートに着き、スタバでサンドイッチとコーヒーを買い、レポートしてます。 今回の出張も毎日素晴らしい天気に恵まれ天候に感謝するのを忘れる程でしたが、マンハッタンの八重桜の素晴らしさと、今朝のラスベガスの日の出が特に印象に残りました。 だんだん1週間を超える出張がつらくなって来て(以前はいつも2週間でした) 今回帰るのがとても待ち遠しく思われて、やっと無事帰れる喜びと、こちらのビジネスマン達のあくなきチャレンジ精神とエネルギーに圧倒され続けています。 自分が年を取ったのもありますが、「世界の中から見た日本」をさらに考えさせられた出張でした。
何と自分で白ワインをひっくり返して姫野のテーブルを洪水にして、シャツやズボンがワインに染まったのです。 本人がまったく謝らないので「何で」と聞くと「自分のテーブルがぐらぐらしていて」と言うので、頭にきて「謝れ」と怒鳴りつけてしまった。 おもわず5年前に車で追突された時の女の子を思い出してしまった。 (国内編2005年7月13日の「ついに自分も」に詳しく書いてます) 普通は「洗濯代を払います」ぐらい言うべきと思うのです。
それでも、NYのセントラルパークの貯水池(周囲1.6マイル)のすばらしい八重桜を見て忘れる事が出来ました。 その日は(残念ながら万歩計を置いて来たので)多分12kmぐらいは歩いたのではないだろうか
4/13日は朝からNYの会社を3社程回って夕方5時頃に戻って来た。 久しぶりにNYの量り売りのお店でサラダやチキン、マトンや果物をプラスチック容器に入れ$10.79で買って来てホテルで1人で食べることにした。 昔はNYに来て1人で食べることも多く、懐かしさ半分気持半分で有ったがサラダ類と果物はまあまあだったが後は食べる気がしなかった。 ビールはNYで買ったのだが万が一の為(飲めない時の非常用に)300mlのワインを日本から持って来たのだが余りにまずく、一口飲んで全て捨ててしまった。 Asahiサントネージュワインで「酸化防止剤無添加、有機ワイン カベルネ」の名前に騙された感じがする。 こんな物を世に出してAsahiは恥ずかしくないのかと思う。 ビールはBud LightのGolden Wheatの赤いビールで残っていた小瓶を3本飲んで、夕方の6時半頃に眠ってしまった。 そのおかげで夜の11時頃に目が覚め暇に任せてペンを走らせているのです。 明日(4/14)は予定が夜だけになったので、久しぶりに朝から美術館めぐりをしようと思ってます。 まずは88丁目にあるグッゲンハイム美術館、クーパー美術館、Jewish美術館、NYシティ美術館、時間が有ればClaremet Stableとアメリカ自然史博物館も回る予定です。
グッゲンハイム美術館 Jewish美術館
NYシティ美術館 アメリカ自然史博物館
夜は、17丁目に有る「バスタ・パスタ」で20数年ブロードと関係の有るCOOとイタリア料理を楽しむことになってます。
昨夜(4/14)は3人でワイン3本と飲み過ぎだったのにさらに食事の前後にシーバスリーガルのダブルを4杯程飲んでしまった。 11時頃にホテルに戻り朝4時半までぐっすり眠った。 又、昨日の「バスタ・パスタ」で何と今年の6月で退職となる日本の上場会社の役員御夫妻にお会いした。 世の中とはわからないものです。 食事会が月曜日から水曜日に偶然変更になったのですが、余りの偶然にただただ驚くばかりです。 昨日ブロードウェイで劇を見て今日は最後の夜で一度来たかったお店を予約して来られたそうです。 まあ本当にびっくりでした。
続く