2022.07.04
是非読んで下さい
先日コトラーのH2Hの話しをしましたが、その最後に紹介した「読まずに死ねない世界の名詩50編」を是非お読み下さい。
実は少し馬鹿にしていて、たいした事ないと思って買ったのです。
しかし「編訳」の小沢章友(オザワ・アキトモ)氏のコメントが1編ごとに有り、それがとても良いのです。さすがプロと思わせるレベルです。
特に気に入った2編を紹介します。
51頁からの「母の夢」と58頁からの「虹」です。
ではウィリアム・バーンズの「母の夢」から
----------
母の夢
今夜、わたしは夢をみました
ほんとうに悲しい夢でした
夢からさめて
いつまでも泣いていました
わたしを残して逝ってしまった
あの子の夢だったからです
夢のなかで
わたしはあの子をさがしまわって
天国にいました
そこへ一列になったこどもたちがやってきました
みんな可愛らしく
どの子も白い衣をまとって
あかるいランプを持っていました
どの子の顔もはっきり見えましたが
だれもわたしに話そうとはしませんでした
そのうちに順番がきて
あの子がやってきました
けれど、どうしてか
あの子の持っているランプの光が
消えていました
なぜなのだろうといぶかしく思っていると
あの子はなかば顔をそむけて
わたしに言いました
「お母さんのなみだでランプが消えたんだよ
お願いだから、もう泣かないで」
+ + +
母性愛というものを、これほど、せつせつと歌った詩は、ほかに例を見ません。
マーラーの『亡き子をしのぶ歌』が、聞こえてくるようです。
これを書いたのが、男性であるウィリアム・バーンズということに、驚かされます。
イングランドの聖職者だったバーンズの心のなかには、死者たちを思うひとびとの悲しみ、とりわけ、幼くして子を亡くした母たちの悲しみが、たえず流れていたのかもしれません。
----------
次はウィリアム・ワーズワースの「虹」です
----------
大空に虹がかかったとき
わたしの胸はおどった
ちいさいころもそうだった
おとなになったいまも
そうなのだ
どれほど年老いても
胸をおどらせたいと
わたしは思っている
そうでなければ
生きている意味がない、と
こどもは
おとなの父親なのだから
わたしは願っている
これからの一日、一日が
自然をうやまい
聖なるものをうやまう心に
みたされていることを
+ + +
「こどもは おとなの父親なのだから」
この、一見、さかさまの言葉に、ワーズワースのメッセージが、端的にあらわれているのではないでしょうか。
思えば、なんに対しても、新鮮なおどろきとよろこび、おそれを感じていたこどものころ。このときの、感じやすい、いきいきと躍動する心を失ってしまったなら、生きている意味がない、とまで、ワーズワースは言い切っているのです。
----------
場所を選ばず気楽に読め、心が洗われると思います。
追) |
6/27(火)、この暑さの中、東京よみうりに3人で行きました。なんと60代、70代、80代の3人だったのですが、70代の姫野だけ完全に2人と別物で、何とかラウンドして来ましたが、36℃を超える中、こんなにつらい地獄のゴルフになるとは思いませんでした。 おまけにクラブの取り違いも有り、一生の思い出(?)になりました。 今回で前半が終り、9月から後半スタートとなります。 |