2020.02.21
ロシア文学
先日NHK BSのシベリア横断鉄道を見ていて、トルストイの墓と「復活」の1コマがあり、50数年ぶりにトルストイの「復活 上下」を買い読み直した。
姫野は、中学・高校の多感な時期に富山の田舎にいて、本にどっぷり浸る時間が有り、日本文学全集85巻や世界文学全集40巻、世界の絵画全集30巻などを読みあさり、受験勉強もせず、文学部へ行ってシナリオライターになりたいなどと思ってました。
そんな事をまだ覚えているのは、世界文学全集をオーダーした時、最初が、当時話題の「チャタレー婦人の恋人」が入っている本で、母親が「こんな本がこんなに早く配本されるんだ」と驚いていたのを、いまだに鮮明に覚えています。(母親は姫野に何も言いませんでした)
姫野本人は内容知らず、読んで驚きだったのです。
(すべての本は、20年前に「あざみ野の横浜市図書館」に寄付しました。)
話しがだいぶそれましたが、シベリア鉄道はモスクワからウラジオストックまで9258kmを6泊するのですが、モスクワから190kmのヤースナヤ・ポリャーナ駅が有り、トルストイ記念館やお墓が有るのです。
トルストイの「復活」はお読みになられた方々も多いと思いますが、ロシア文学は映画の1場面、1場面を言葉ですべて言いつくすような感じを、姫野は昔から持ってます。
「復活」の中で面白く感じ、良い例だと思った事を1つ書いて見ます。
人間について語る時、我々個人は、良い人か悪いタイプの人とか短い言葉で語るのが普通なのですが……。
☆ミンゴヴィッツ(佐藤亜紀さんの黄金列車に出てくる)は、「人間には三種類ある―馬鹿と悪党と馬鹿な悪党だ」
☆オスカーワイルドは「人間には二種類ある―善人とか悪党とか言った区別は馬鹿げてる。魅力が有るか、退屈のいずれかだ。」
この2つは割と姫野は気に入ってるのですが、トルストイは、
“われわれがある個人について、あれは善人だとか利口だとかいい、別の個人のことを、あれは、悪人だとか馬鹿だとかいうならば、それは誤りである。それなのに、われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが、これは公平を欠くことである。人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変りがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現われることになる。そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変らず同一人なのである。なかにはこうした変化がとくにはげしい人もある。” |
となるのです、主人公の「ネフリュードフ」について、しっかり説明しているのです。
ロシア文学の思い出についのめり込みそうな姫野です。